欲のない 人となりながら 還俗し 束縛されて 悩み苦しむ(344)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
刑務所を出たのに、刑務所を思い、
刑務所を出ながら、また刑務所に入る。
自由になって、またしばられる、
そんな人をどう思いますか?
・・・
悪い習慣をやめたのに、
また悪い習慣を始める。
上の詩と同じことですね
お釈迦さまのお話は、
他人のこととは思わぬように。


○パーリ語原文と訳語

ヨー   ニッバナトー    ワナーディムットー
Yo     nibbanatho     vanādhimutto,
その人   林を離れた人が   林に向かう人

ワナムットー    ワナメーワ     ダーワティ
vanamutto      vanameva     dhāvati;
林を脱した人が   林に まさに    走る

タン  プッガラメータ   パッサタ
Taṃ   puggalametha    passatha,
その  人を  来たれ   見よ

ムットー  バンダナメーワ  ダーワティ
mutto    bandhanameva  dhāvati.
脱して   束縛に まさに  走る


○直訳
林を離れた人その人(であるのに)林に向かう人
まさに林を脱した人が林に走る
その人を、来たれ、見よ
まさに脱して束縛に走る


○意訳
欲望から離れながら欲望を思う
欲望からぬけながら欲望に走る
解放されて、また束縛される
来て、その人を見なさい


○一口メモ
この詩に出てくるパーリ語のvādhimutto、vanamutto、vanameva の始めvanaはパーリ語辞書には「森、林、欲林、欲望」と書いてあります。ですから、「直訳」では「林」と訳しました。しかし、それでは意味がよく分かりませんから、「意訳」では「欲望」と訳しました。 Vanaに両方の意味が分かっていれば、意味とイメージがよく分かると思います。

この詩の因縁物語は既に、過去にも述べましたが、今回も引用しましょう。「マハーカッサパ長老の弟子にある比丘がいました。その比丘は修行して第四禅定の段階まで達することができるようになりました。しかし、ある日彼は托鉢をしている最中に一人の婦人を見た時、急に激しい情欲が生じました。それに気付いた彼は、修行の未熟さに強いショックを受け、サンガを去って還俗しました。以降いろいろな職業につきましたが、うまくいかず、盗賊の起こした事件に巻き込まれて、死刑の判決を受けました。刑場につれて行かれる彼を、托鉢中のカッサパ長老が見て、『昔の修行を思い出すのだ。』と声をかけました。長老の声に彼は昔の修行時代を思い出し、刑場において第四禅定の冥想に入りました。死刑執行人たちは彼の清々しい姿を見て、『彼には死の恐怖がない』と畏怖を感じました。このことが王に報告され、再吟味が行われ、彼の無罪が判明しました。解放された彼に釈尊は上の詩を述べ、還俗の愚かを説きました。この説法により彼は預流果を得て、許されて、再びサンガに入団した後、阿羅漢果を得ました。」

この因縁物語は、第四禅定の段階まで修行が進んだ比丘でも、ちょっとした油断で渇愛に負けて、還俗(出家を止めて一般人になること)までしてしまうのだなという例です。油断はいけません。不放逸を怠ったということです。既に学んだ次の詩もそのことを教えています。再度復習して下さい。

少しでも 性欲あれば 男らは 母牛慕う 子牛のようだ (284)
http://76263383.at.webry.info/201211/article_17.html


欲のない 人となりながら 還俗し 束縛されて 悩み苦しむ(344)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにまだアップされていません。
2012年6月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*解放されて、また束縛される、来て、その人を見なさい
http://76263383.at.webry.info/201006/article_30.html

*欲のない人となりながら還俗し束縛されて悩み苦しむ
http://76263383.at.webry.info/200908/article_28.html

* 欲のない人となりながら還俗し束縛されて悩み苦しむ
http://76263383.at.webry.info/200810/article_19.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎1月12日(土)月例講演会があるため、夜の自主瞑想会はお休みします。

◎1月18日(金)の夜、1月19日朝及び夜の自主瞑想会はお休みします。
ワンギーサがマーヤーデーヴィー精舎における新年祝福法要に参加するためです。

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。

変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

まさこ
2013年01月08日 06:12

おはようございます。
後悔、嫉妬、すぐに刑務所に戻ってしまいます。
今年は、離れたいです。
カエルくん
2013年01月08日 06:45
おはようございます。
せっかく手放した執着を、またにぎりしめていること、身に覚えがあります(^^;
自分は進んでいるのか下がっているのか、分からないです。

いろいろ言い訳はありますが、暑さ寒さが修行をお休みする言い訳にはならないように、修行が滞っているのは自分の責任ですね。何につまずいているのか、紙に書き出してみようかなあと思います。
あすか
2013年01月08日 09:19
お坊様でも欲が生じるのですね。
修行初心者マークの者なら
何度も欲に悩まされるはずです。

欲が生じた自分への怒りや後悔で
貪瞋癡のダブルパンチにならぬよう、
かといって仕方ないやと開き直らず、
日々のお洗濯のように、心の汚れも
ひどくならないうちに繰り返し
その都度おとしていきます。
こころざし
2016年01月17日 06:46
お坊様が還俗される、という事があると伺っています。「戒律の中では制限があって自由に出来ない」と聞いたように記憶していますが、本日の偈を拝見し還俗後また違うもの(欲)に捕らわれる印象を感じました。
不放逸に努め、とにかく欲に捕らわれないように、少しでもそ頻度を減らせるように努めたいです。