水滴で ハスの葉濡れぬ そのように 欲で汚れぬ 彼はバラモン(401)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
子供のような大人もいます。
我がままで、怒りっぽい。
でも、大人のような子供もいます。
小さい子のせわをして、
欲しいものでも他の子にゆずる。


○パーリ語原文と訳語

ワーリ  ポッカラパッテーワ
Vāri    pokkharapatteva,
水    ハスの葉の ように

アーラッゲーリワ   サーサポー
āraggeriva       sāsapo;
きりの先に ように  からし粒

ヨー  ナ   リンパティ  カーメース
Yo   na    limpati    kāmesu,
人   ない  汚れ     情欲に

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は   呼ぶ   バラモンと


○直訳
ハスの葉の水ように
きり先のからし粒ように
情欲に汚れない人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○意訳
ハスの葉の水滴のように
きりの先の芥子粒のように
快楽に汚されない人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。

2008年12月
*水滴でハスの葉濡れぬそのように欲で汚れぬ彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200812/article_9.html
 
2009年10月
*水滴でハスの葉濡れぬそのように欲で汚れぬ彼はバラモン(401)
http://76263383.at.webry.info/200910/article_14.html


○一口メモ
この詩の因縁物語は次のようなものです。かつてウッパラワンナー(ハスのように美しい)長老尼が森のなかで、暴漢に犯されたことがありました。それに、ついて比丘たちが話していて、その一人が「尊者よ、阿羅漢も普通の人間と同じように、性交時に快楽というものがあるでしょうか?」と質問しました。仏陀は「ハスの葉の水のように きりの先の芥子粒のように 快楽に汚されない人 彼を私はバラモンと呼ぶ」と上の詩のように説かれたということです。

今の日本人はハスの葉の表面がどのようになっているか知らない方が多いと思います。ハスの葉の表面は、桃の実の皮のように、うぶ毛で覆われています。そのため、水は葉に落ちても、水は直ぐ水滴になって葉からこぼれるのです。

また、木などに穴を開ける「きり」の先は尖がっています。芥子粒は、胡麻より小さな丸い種ですから、その種をきりの先に乗せれば、種は直ぐ落ちてしまいます。「ハスの葉の水のように きりの先の芥子粒のように」とは、留まることなく直ぐ、落ちてしまうことです。ですから、性交時の感覚をハスの葉と水滴やきりと芥子粒で譬えたことは快楽を感じる前に落ちてしまうということです。

「ハスの葉の水のように きりの先の芥子粒のように」はヴィパッサナー瞑想を実践する時も大切な感覚なのです。ヴィパッサナー瞑想中の必要なことは①スローモーション、②実況中継、③感覚を感じることです。この③の感覚を感じる時、感覚はどんどん変化していますから、一つの感覚に留まっていてはいけないのです。次から次に新しい感覚を感じて行かなければ、事実に反します。ヴィパッサナー瞑想を真剣に行うとかなり忙しいのです。阿羅漢は一つの感覚に留まって、その感覚に執着することなどないのです。ですから快楽に心が汚されることはないのです。ウッパラワンナー長老尼は阿羅漢だったのです。
(2009年10月の記事を一部修正)


水滴で ハスの葉濡れぬ そのように 欲で汚れぬ 彼はバラモン(401)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎2013年3月25日(月)~3月31日(日)はワンギーサが熱海における一週間宿泊自主冥想会を担当するために、ゴータミー精舎の朝晩の自主冥想会はお休み致します。
4月1日(月)からは通常通り朝晩の自主冥想会は再開致します。ご注意お願いいたします。


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この記事へのコメント

あすか
2013年02月28日 13:17
快が生じないのではなく、
とどまらないのですね。
快から欲が生じる前に手放す。
欲が生じてしまっても
執着や癖になる前に
できるだけ速やかにてばなす。
難しくても挑戦してみます。
ぱん
2013年02月28日 14:24
昔は必死で快楽を求めました。
今は必死で天国を求めてます。
無常、無我の理解を深めて、
欲の汚れをなくしたいです。
カエルくん
2013年02月28日 19:43
こんばんは。
怒りの感覚は不快なので気付きやすいのですが、欲の感覚は気分がいいので気付きにくいです。怒りっぽい自覚はあるのですが、自分の欲深さには無自覚です。欲の感情を野放しにせず、しっかり観察しなくては、と思いました。
時麿
2013年02月28日 21:17
「欲」の感情は止まるところを知らず、果てしなく欲するので、本当に苦しいです。
さらに欲は執着・怒りを引き連れてきます。悟り、解脱したい、という感情も「欲」になる。
ヴィパッサナーを常に、常に、意識して行う、これしかないのですね。精進します。
とも
2013年02月28日 22:21
もうなんて言って良いか、人間の次元を超えてますね。少しでも近づけるよう真剣に自分を観察するとともに、ハスの葉も観察します。それは余計か(^_^)
こころざし
2016年02月03日 07:50
その時その時に心的に感じるものが生まれて消えて、その繰り返しと学び、冥想でそれを感じる事があります。ですがそれは知識の域でしかまだないのではと思います。
また、何か大きな事があると、リフレインしてそれが出そうになりますが、今の心の状態に集中していればそれはありえない事と思います。
今をしっかりとサティして参りたいです。