生命に 慈悲の心で 善なせば 楽しみ多く 苦しみ終わる (376)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
どんな人にも
やさしくし、
多くのよいこと
するならば、
こんな楽しい
ことあるか。


○パーリ語原文と訳語

パティサンターラヴトゥヤッサ
Paṭisanthāravutyassa,
歓迎の習慣があり

アーチャーラクサロー   スィヤー
ācārakusalo        siyā;
浄行に巧みで       あれば

タトー   パーモッジャバフロー
Tato    pāmojjabahulo,
その故   喜悦が多く

ドゥッカッサンタン  カリッサティ
dukkhassantaṃ    karissati.
苦の終わりを     行うだろう


○直訳
歓迎の習慣があり
浄行に巧みであれば
その故、喜悦が多く
苦の終わりを行うだろう


○意訳
慈しみを習慣とし
善行を行うならば
それ故に、喜びが多く
苦の終わりになるだろう


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年11月
*善友と共に生活善なせば楽しみ多く苦を終わらせる
http://76263383.at.webry.info/200811/article_13.html
 
2009年9月
*善友と共に生活善なせば楽しみ多く苦を終わらせる (376)
http://76263383.at.webry.info/200909/article_19.html


○一口メモ
前回および前々回の解説記事とも、直訳「歓迎の習慣があり」を意訳では「善友を歓迎し」と訳しています。今読むとこれは、少し訳しすぎかと思います。歓迎の習慣があることはどんな人も歓迎することだと思います。それはどんな人にも、慈しみの心で接することです。「慈しみを習慣とし」の方がよいと思います。その時は、ちょうど善友に対する思いれがあって、あのような訳になったのだと思います。

前回の解説にも書いてありますが、368番から、今回の376番までの9つの詩は、一連の詩なのです。復習のために、詩をできればパーリ語でよみ直してみてください。リズムも良く強いものです。

これらの9つ詩の因縁物語はすこし複雑です。マハーカッチャーナ長老の説法を聞いたソナ・クーティカンナは正しい法を理解して、マハーカッチャーナ長老に出家を申しでました。しかし、地方には出家儀式に必要な10名以上がいませんでしたから、比丘にはなれませんでした。しかしソナ青年は3年間厳しい修行しました。かれは師匠に願い出て、ブッダのおられるジェタヴァナ僧院への長い旅にでました。ようやく僧院に到達し、ブッダに新弟子の挨拶をしました。翌朝、ブッダの希望により、「16からなる8つの詩句」(スッタニパータ第4章)を詠唱しました。それを聞いたブッダはまだ新弟子であるにも関わらず、ブッダの教えをよく理解していることに驚かれ、「私の息子ソナよ、立派である。実に立派である」と大いに褒めました。ブッダがソナ比丘を誉めたうわさ彼の母親の耳にも入り、母親は「是非一度息子の説法を聞きたい」と念じました。

それからしばらくして、ソナ比丘は故郷に向かって、布教の旅にでました。ソナ比丘帰郷のニュースは母親の元にも届きました。喜んだ母親は召使一人だけを残して、屋敷のもの全員を連れてソナ比丘の説法を聞きに行きました。屋敷が留守になったその隙に、盗賊の一団が屋敷に入り込み、銅貨の入っている金蔵に入りました。これを見つけた召使は、盗賊団に気付かれないように、説法会場に走り女主人にこの一大事を伝えました。しかし、女主人は「盗賊たちには好きなだけ持っていかせなさい。それより私は息子の説法を聞きたいのです。邪魔をしないで。」と言いました。屋敷に帰った召使は今度は盗賊たちは金貨の入った金蔵に入り込んでいるのを見つけました。今度こそ一大事と考えた召使は再度説法会場に走りました。しかし女主人は「お前は何度私の邪魔をするのですか。盗賊たちには好きなだけ持って行かせなさいといったでしょう。今度邪魔をしたら罰を与えます。」と言いました。

一方、盗賊たちは「どうもおかしい。あれほど警戒が厳しかったこの屋敷でこんなに簡単に盗みができるとは。ひょっとすると、信仰の深いこの屋敷の財産を盗むと、後で我々の頭に雷が落ちるのではないか。」このように考え始めると、盗賊たちはブルブル震えだし、言いようのない恐怖に襲われました。盗賊の頭は子分らに命じて、盗んだものを元の場所に戻しました。またその盗賊団は説法会場に行き、ソナ比丘の説法を聞きました。説法が終わると盗賊の頭は母親の所に行き、自分たちの悪行の一部始終を話し謝りました。最後に盗賊の頭は「私たちをあなたの息子の弟子にしてください。」と頼みました。盗賊たちの潔い態度を見て、母親は許し、息子に彼らの願いを伝えました。ソナ比丘は盗賊たちの出家を許しました。遠く離れたジェタヴァナ僧院におられたブッダはこの様子を神通力で観ておられ、また神通力で現れ、ソナ比丘たちの前に現れ、今回の9つの詩を説かれたと言うことです。またその一つの詩を述べられる度に、100人の比丘が阿羅漢になられたと言うことです。


生命に 慈悲の心で 善なせば 楽しみ多く 苦しみ終わる (376)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年02月04日 20:03
こんばんは。
この詩では「歓迎」とありますが、私の就いている職業の福祉の業界でいうところの「受容」かな、と思いました。
就職したばかりのころ、上司に、「この仕事は一に受容二に受容。三から十まで全部受容だよ」と教わりました。その通りにしたらお年寄りには評判が良かったのですが、私自身は相手の感情に巻き込まれて、身心ともにボロボロになって最後は本当に病気になってしまいました。
いま思うと、私はもともと悲の気持ちが強く、捨の気持ちが極端に弱かったせいかなと思います。誰かを歓迎(受容)するとき、慈悲喜捨の心がバランスよく育っていることが大事な気がします。
あすか
2013年02月04日 21:01
意味がとりにくいですが
意訳だとわかりやすいです。
368から376難しかったので
復習します。
まさこ
2013年02月05日 21:46

かえるくんへ

私も、介護の仕事をしていて、神経科受診するはめになりました。優しさだけでなく、技術、ストレス対処法、いろいろ必要ですよね。自分が疲れていたら、人に優しくできませんよね。ご自分を労り、ゆっくり心と体休めて、お仕事されてください。お互いに無理しないにしましょうね。
こころざし
2016年01月26日 07:48
日常・特に職場で、嫌な事をされた方に攻撃するような対応をする方と、嫌な事をされても慈しみで接しようとする人とでその後の成り行きをみる状況になった事があります。前者ですとその後似たものが寄り添う派閥?のようになり、そして分裂していく印象を感じました。
何より、人により態度が変わる状況になり、それは気持ちの良くない流れを感じました。
反面、慈しみの気持ちで接すると温かい関係が続きますが、やもすると都合よく使われる状況に陥ったりします(自分が至らないからだと思いますが)
智慧を持って、慈しみや善行為を行って参りたいです。