一切の 快不快を捨て 冷静で とらわれのない 彼はバラモン(418)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
世界は快と不快でできている。
どちらも捨てた人は
世界を捨てた人、
世界を捨てれば英雄でしょう。


○パーリ語原文と訳語

ヒトゥワー  ラティンチャ  アラティンチャ
Hitvā     ratiñca     aratiñca,
捨てて    快と      不快とを

スィーブータン  ニルーパディン
sītibhūtaṃ     nirūpadhiṃ;
清涼となり    とらわれのない

サッバローカービブン  ウィーラン
Sabbalokābhibhuṃ    vīraṃ,
全世界を征服した    英雄を

タマハン   ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi    brāhmaṇaṃ.
彼を私は   呼ぶ    バラモンと


○直訳
快と不快とを捨てて
清涼となり、とらわれのない
全世界を征服した英雄を
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
*一切の快不快を捨てて冷静で煩悩のない彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200812/article_26.html

2009年10月
*一切の快不快を捨てて冷静でとらわれのない彼はバラモン(418)
http://76263383.at.webry.info/200910/article_31.html


○一口メモ
2008年12月26日に書いた「この詩から学ぶこと」に書いたことは、現在もその通りだと思いますので、一部修正して再掲載します。

やはりバラモンの世界を解説するのは大変です。一般人、凡夫には、想像できない、たとえ想像はできても、実はそんな世界は望まない世界だからです。このブログで書いていても読む人の反発を感じてしまうのです。

「快を捨てて」は感覚の楽しみを捨ててという意味です。私たちは、感覚の楽しみのために生きているのですから、信じられない世界なのです。いろいろ面白いものを見ることを楽しみに生きています。音を楽しむために、テレビや街頭でも一日中音楽が流れています。そして、美味しいものを食べたいために、一生懸命 働いています。感覚の楽しみを捨てたら、何のために生きているのかと思うでしょう。

「不快を捨てて」は、不快は嫌なものですから捨てるという意味とは少し違うのです。修行者の中には、自分の肉体に苦痛を与えることが修行だと思って、苦行をするのです。それらの人々は「不快」を好んで受け入れるのです。ですから、「不快を捨てて」の意味は苦行を捨ててという意味です。

ですから、「快と不快を捨てて」とは快楽を望まず、苦行も捨てて、感覚を管理して八正道の中道を歩むと言う意味です。

八正道の中道を歩むと、冷静になります。そしてとらわれ(執着)がだんだんなくなります。
「快と不快を捨てて」の意味は、受(感覚)の快(楽)と不快(苦)を捨てること、つまり感覚で、次の渇愛への心の流れを止めることです。心に渇愛が現れなくなくなれば、すべての苦がなくなり、涅槃に達することができるのです。ですから「快と不快を捨てて」により、解脱して涅槃に至り、阿羅漢になることを意味します。そのようにも理解できます。

「全世界を征服した英雄」について。仏教では「全世界」とは眼の世界、耳の世界、鼻の世界、舌の世界、身の世界、意の世界で構成されていると考えます。

「征服した」とは管理したという意味です。ですから、「眼の世界、耳の世界、鼻の世界、舌の世界、身の世界、意の世界」において、快と不快を捨てた人は これらの世界を管理できる人なのです。そして、ダンマパダ103番にあるように、「戦場において百万人に勝つよりよりも、一人の自分に勝つ人は英雄である」と述べられている。
http://76263383.at.webry.info/201206/article_17.html

感覚の快不快を管理する人は、自分に勝つ人であり、その人は英雄なのです。そして彼はバラモンなのです。


一切の 快不快を 捨てて 冷静で煩悩のない 彼はバラモン(418)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎2013年3月25日(月)~3月31日(日)はワンギーサが熱海における一週間宿泊自主冥想会を担当するために、ゴータミー精舎の朝晩の自主冥想会はお休み致します。
4月1日(月)からは通常通り朝晩の自主冥想会は再開致します。ご注意お願いいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

ぱん
2013年03月17日 09:16
近づきがたい仏の世界
ふれがたい仏の御手
拝みがたい仏の顔
離れがたい凡夫の世界
カエルくん
2013年03月17日 10:23
こんにちは。

快も、よく観察すると苦であることが分かります。快からも不快からも離れた境地はさぞ軽やかで、穏やかだろうと想像します。
瞑想をすることで、そのような境地に近づけるのでしょうか。
頑張ります。
あすか
2013年03月17日 10:26
なかば自動的に快不快が
生じてしまいます。
せめてまず、それらを増大しない。
できるだけ早く手放す。
そんなところから練習しています。
こころざし
2016年02月09日 06:13
私事ですが、職場でストレスがかかるような状況に最近よくなります。ですが、そこで感じた事を→不快とせずに、感じた・・で止めるようにしています。そして今やる必要のあることを地道にこなす姿勢で乗り越えれています。
快も不快も乗り越えるような感覚の制御、是非行っていきたいです。