在家とも 出家にも会わず 無執着 満足している 彼はバラモン(404)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
あの子はね、
一人遊びが好きみたい。
頭が良すぎて、
他の子と遊んでも、
つまらないみたい。


○パーリ語原文と訳語

アサンサッタン  ガハッテーヒ
Asaṃsaṭṭhaṃ    gahaṭṭhehi,
交際しない    在家者にも

アナーガーレーヒ   チューバヤン
anāgārehi       cūbhayaṃ;
出家者にも      また両者にも

アノーカサーリン   マッパッカン
Anokasārim     appicchaṃ,
家なく遊行する    少欲な

ハマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は   呼ぶ   バラモンと


○直訳
在家者にも出家者にも
また両者にも交際しない
家なく遊行する 少欲な(人)
彼を私はバラモンと呼ぶ

○意訳
在家者にも出家者にも
また両者にも交わらず
無執着で満足している人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
在家とも出家にも会わず無執着満足している彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200812/article_12.html

2009年10月
在家とも出家にも会わず無執着満足している彼はバラモン(404)
http://76263383.at.webry.info/200910/article_17.html


○一口メモ
この詩の解説は、また2008年12月の記事が適切だと思い最掲載します。「また」と言うのは2009年10月にも掲載したからです。以下引用。

「この詩を何度か読んでどのように感じますか?
普通、あまり共感しないのではないかと思います。私が出家する何年か前、スマナサーラ長老にこの詩について、質問しました。『理解できない』という質問だったと思います。スマナサーラ長老は無理に説明せずに、『阿羅漢のことですからね。』とだけ応えられたと思います。これは阿羅漢の境地なのだから、分からなくて当然と思われたのではないかと思います。

この詩に反発を感じる人はたくさんいると思います。これらの人々は人間は人々と積極的に交わるべきだ。それが人間のあるべき態度だと思っているのです。 また、この詩に反発は感じなくとも、このような人生は惨めだ、不幸だと思う人もいるでしょう。あるいは、この詩に共感するが、このような人生を自分には出来ない、またはしたくないと思う人もいます。しかし、これこそ人生の理想だと、しみじみと共感し、このような生き方をしたいと思う人もいると思います。なぜ、このような受け取りかたの違いがでるのでしょうか?生き方や幸福に対する考え方が違うからでしょう。

今だから言えますが、私が出家した初めは、人生の苦しみから抜け出すために、輪廻の苦しみから解脱すためにと決意して出家したのですが、やはり一人になると寂しいのです。それまでは孤独などあまり感じてはいませんでしたが、若者のように人生は孤独だなとつくづく思いました。また、これは寂しいという感じは私だけではないのだと言うことも分かりました。人はみんな寂しいのだと思いました。

しかし、仏教を学んで出家したわけですから、私たちはいろいろな物や人々に依存して、執着して生きているから、寂しいのだということも分かっていました。それが実感できるようになったのです。人は人に交わりたいと思い、誰にも交わらない生活は嫌だと思うのが当然だろうと思いました。ですから、上の詩のようにだれにも交われないことには共感できないだろうと思います。

一方、出家したことによる家族や職場の人間関係などへの執着がなくなった穏やかな生活への満足感というものも現われました。ですから、『在家者にも出家者にも また両者にも交わらず 無執着で満足している人』の安らぎはなるほどとも思えるのです。

この詩の『無執着(アノーカサーリン)』は直訳すれば『家なくして遊行する』ですが、パーリ語辞書によれば、それは無執着のことであるとありますのでこのように訳しました。また『満足(アッピチャ)』の直訳は『小欲』です。しかし、スマナサーラ長老によれば、アピッチャには喜びの意味があると言われますので、小欲より満足の方が適切だと判断しました。辞書にも『満足』も記載されています。無執着とは阿羅漢のことであり、満足こそが幸福です。このことが分かるように訳の事情を述べました。」以上少し修正して引用しました。

ただ、この2,3年、政治と仏教の問題を考えることがあります。この詩をどのように理解すべきかという課題は残っていました。この課題をどのように解決しようと考えている時、興味ある「おばあさん」を見つけました。若杉友子と言う方です。その方へのインタビュー記事がネットにありましたので、アドレスを紹介します。
http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae129-masumi.html
彼女は、政治、政治というわけではないのですが、自分の生き方、食べ方を通じて、正しい生き方、正しい政治の在り方を教えているように思いました。本もいろいろ書いています。
「長生きしたけりゃ肉をたべるな」、「これを食べれば医者はいらない」
「体温を上げる料理教室 今の健康法は間違っている 正しい食事に変えなさい」等。


在家とも 出家にも会わず 無執着 満足している 彼はバラモン(404)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎2013年3月25日(月)~3月31日(日)はワンギーサが熱海における一週間宿泊自主冥想会を担当するために、ゴータミー精舎の朝晩の自主冥想会はお休み致します。
4月1日(月)からは通常通り朝晩の自主冥想会は再開致します。ご注意お願いいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年03月03日 05:41
おはようございます。
若杉友子さんのインタビューを読みました。
俗世を捨てて庵をあむような生活をしていても、魅力のある人のところへは人が集まってくるのだな、と思いました。
生命のネットワークの中にいることを、実感できる暮らしでしょうね。
孤独感を感じることが恐怖で、走り回っているので、今日の詩と若杉さんの境地には程遠いです。
あと、孤独と孤立は違うのだろうなあということも考えながら読みました。
とも
2013年03月03日 06:17
かっこいい(おばちゃん)ですね。今の日本はかなり不自然だなと思います。「明日死んでも悔いない。すべてこの私が選んできた行動なのよ」の一文にしびれています。
ぱん
2013年03月03日 09:29
孤高の生き方は、大変です
仏法僧は尊敬に値します
私も機が熟したら出家をして、
無執着で満足したいです。
てくてく
2013年03月03日 13:22
こんにちは。
てくてくは、この詩は、出会ったことのある人へも、ない人へも分け隔てのない心配りだと思っていました。
お互いをよく知らないことによって傷つくことがないように。でも、鉢を持って回って下さることで、どんな人にも平等に功徳が積めるようにと、どんな人に対しても平等な優しさの表れ・・・と想像しました。
生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
あすか
2013年03月03日 17:35
パーリ語ができずもどかしいのですが
アサンサッタンのニュアンスが
交際しないと微妙に
ずれているのかもしれませんね。
執着しない、とらわれない、
という事かなと思いました。
みき
2013年03月03日 19:01
こんにちは。孤独は不安で辛いものですね。私もアパートで一人暮らしをしていた時があり、夜になって、部屋に一人一日中いると惨めな気持ちや寂しい気持ちになりました。今にして思えば、執着が原因だと思いますね。テレビとかで、不安な気持ちを紛らわしましたね。おばあさんはその点、執着がないのか、人里離れた場所で一人暮らしをしても元気にいられる。すごいと思います。
こころざし
2016年02月04日 07:40
誰かと接触したい→自分を認めてほしい→自分を凄いと思ってほしい・・みたいな欲があり、それが叶ってほしいと不自然な生き方をしていた時期があります。ご馳走をするから来て等のお誘いをした事もあります。
自分的にはその時に、自己顕示欲が猛烈にあるのを感じました。今はそんなものに価値があるとは思いません。
無執着で心穏やかに生きれるように、阿羅漢の生き方に近づけるように精進したいです。