生きものに 暴力振るわず 殺さない 殺させもしない 彼はバラモン(405)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
なぜ殺してはいけないの?
君は殺されたどうですか?
嫌だ。
だから殺してはいけないよ。


○パーリ語原文と訳語

ニダーヤ   ダンダン   ブーテース
Nidhāya   daṇḍaṃ     bhūtesu,
下に置く   杖を     生き物対して

タセース       ターワレース      チャ
tasesu         thāvaresu        ca;
動くものに対して   動かないものに対して  と

ヨー  ナ   ハンティ  ナ   ガーテーティ
Yo   na    hanti    na   ghāteti,
人   ない  殺さ    ない  殺させ

タマハン  ブルーミ  バラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は   呼ぶ   バラモン


○直訳

生き物対して杖を下に置く
動くものに対してと動かないものに対して
殺さない殺させない人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○意訳
動くものでも動かないものでも
生きものに対して暴力を振るわず
殺さず、殺させもしない人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
生きものに暴力振るわず殺さない殺させもしない彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200812/article_13.html
 
2009年10月
生きものに暴力振るわず殺さない殺させもしない彼はバラモン(405)
http://76263383.at.webry.info/200910/article_18.html


○一口メモ
今回の詩を学ぶにあたって、次の二つの詩を想い出して下さい。

「人々は 死ぬこと恐れる それゆえに 殺してはならぬ 殺させてはならぬ」(129)
http://76263383.at.webry.info/201207/article_12.html

「人々は 命愛しむ それゆえに 殺してはならぬ 殺させてはならぬ」(130)
http://76263383.at.webry.info/201207/article_13.html

「人々は死ぬことを恐れる」と「人々は自分の命を愛しむ」この二つのことは同じことの裏表の関係にあります。そしてこのことを自分の身に引き比べて考えてみると、「殺してはならぬ」「殺させてはならぬ」と言う結論が出てくるのです。

私たちのいろいろな悩み苦しみは、結局のところ死ぬかもしれないという恐れからくるのです。それは自分の命が一番愛しくて、死になくたくない、何としても生きたいという思いからくるのです。

しかし、そのことにはなかなか気づけません。それはあまりも当たり前の事柄だからです。当たり前のことにはなかなか気づけない例としては、私たちが立つことができるのは、ニュートンの発見した万有引力に対抗して、心のエネルギーが働いているからです。もし心のエネルギーがなかったら、命のない他の物質と同じように、身体は床に横たわることになります。このことは以前スマナサーラ長老が言われたことですが、それを聞いたことのない方は、今もって気づけないでしょう。それほど、当たり前のことはきづけません。

というわけで、すべての生命は死を恐れ、自分の命は一番愛しいと思っていることを自ら悟らなければいけません。そのことが分かれば、その真実に従った行為をすべきなのです。それは慈しみも行為です。

動くものでも動かないものでも、生きものに対して暴力を振るわず、殺さず、殺させもしないことは、慈しみの行為です。生命の真実、真理を悟り、それに基づく行為をする方は阿羅漢です。バラモンなのです。

私たちが慈悲の瞑想をし、慈悲の行為をすることは阿羅漢に近づくことです。繰り返し実践しましょう。


生きものに 暴力振るわず 殺さない 殺させもしない 彼はバラモン(405)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎2013年3月25日(月)~3月31日(日)はワンギーサが熱海における一週間宿泊自主冥想会を担当するために、ゴータミー精舎の朝晩の自主冥想会はお休み致します。
4月1日(月)からは通常通り朝晩の自主冥想会は再開致します。ご注意お願いいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

イグレック
2013年03月04日 07:45
コメント欄で教えていただいた、「箭経」http://gotami.j-theravada.net/sallasutta.pdf を読みました。
ワンギーサ様の仰る通り、生命はつまるところ死の恐怖から様々な苦しみを派生させているのですね。
箭経の内容に全く反論はありませんが、それでも即座に「一切の悲しみを乗り越えて、悩みなき静寂に達する」まで私の智慧不足で行きません。
ですが、だからと言って絶望的な気持ちではなく、次第に行けるだろうという漠然とした思いがあります。
というのは、慈悲の瞑想も初めは違和感があったのに続けていたら嫌いな人が嫌いではなくなっている実績があるからです。
五戒や三帰依もまた然りです。
またいろいろ勉強させて下さい。よろしくお願いします。
あすか
2013年03月04日 19:50
一見、あたりまえのような
殺さない。
実践しようとすると
その奥深さ難しさがひしひしと。
さらに、非暴力、殺させない。
とりくみがいがあります。
カエルくん
2013年03月04日 20:15
こんばんは。
仏教を学ぶことで、自分がいかにこの生に執着しているか、自覚してきました。なんと醜い、なんと愚かな、と思いますが、目をそらさないでおこうと思います。
一方で福祉の仕事を通して会う、死にたくない、老いたくない、病みたくない、と願う目上の方たちに、いつでも慈しみを持って接することができますように。
こころざし
2016年02月04日 07:45
相手が○○になるのは構わないが、自分がその○○になるのは嫌だ・・みたいな言動をする方を見る事があります。自分と他人の区別(差別?)を明確にしている印象を感じます。
ですが自分だけ良ければいいと思って生きている方は、何処かでつまずく印象を受ける事もあります。
平等・慈しみの実践を教えて頂いて・自分なりに実践する中で、随分生き易くなっているなと、ふと思う事があります。それは自分さえよければそれで良いとは思わないからかなと感じます。
今後も実践していきたいです。