現れる 怒りの毒消す 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<1>

○少年少女のためのスッタニパータ
・・・
怒りは毒だよ。
毒が身体に入ったら
毒を消すでしょう。
怒りがでたら、
すぐに消さないと。


1.第1 蛇の章 1.

○スマナサーラ長老訳
体に入った蛇の毒をすぐに薬で消すように
生まれた怒りを速やかに制する修行者は、
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。

○中村元先生訳
蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、
怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

○正田大観先生訳
彼が、広がった蛇の毒を諸々の薬で〔除き去る〕ように、
沸き起こった忿激〔の思い〕(忿)を取り除くなら、
その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する
――蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文

ヨー ウッパティタン ヴィネーティ コーダン
Yo uppatitaṃ vineti kodhaṃ,
彼が  現れた    なくす   怒りを

ヴィサタン サッパヴィサンワー オーサデーヒ
visaṭaṃ sappavisaṃva osadhehi;
広がった  蛇の毒 ように   薬で

ソー ビック ジャハーティ オーラパーラン
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
その  比丘は  捨てる  この世あの世を

ウラゴー ジンナミワッタチャン プラーナン
Urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.
蛇は   古くなった皮を   古い


○一口メモ
いよいよ、スッタニパータの偈(ゲ:詩の形式の経)の勉強が始まります。
このブログでは、一つの偈に対し、要約した短歌、少年少女にためのスッタニパータ、今回はスマナサーラ長老訳、中村元先生訳、正田大観先生訳、最後にパーリ語の原文と6回読むことになります。少しくどくて、全部読まない方もおられるかと思いますが、ブッダの言葉は繰り返し読んだ方がよいのです。そうすることで、少しずつ心に沁み込んでくるのです。読んで意味が分かっただけではダメなのです。心が変わらなければ意味がありません。

それといろいろな訳文を列挙する別の意味があります。ブッダの言葉の原文はパーリ語です。パーリ語を日本語に訳す時、正確には日本語にならないのです。ですから、少しずつ異なる訳から本文に近いイメージを持てるようにするためです。このこころみが成功するかどうかわかりませんが、しばらくはこのように続けて行こうと思います。

中村先生の訳は岩波文庫でお読みの方も多く、やさしい日本語で、分かりやすく、また正田大観先生の訳はパーリ語に忠実ですので、以前ダンマパダでは「直訳」という項を設けておりましたが、これからは正田先生訳でそれを代用させて頂きたいと思っています。これからも両先生の訳は続けて掲載させて頂くことになると思いますので、ここで深く感謝させて頂きます。スマナサーラ長老にはこの訳のみならず、私の仏教全般の修行、学習、その他にわたって日頃からご指導ご支援を頂いておりますが、改めてここで甚大なる感謝を申し上げます。

さて、この偈の本文にはいります。この偈は前半2行と後半2行で構成されています。前半「体に入った蛇の毒をすぐに薬で消すように、生まれた怒りを速やかに制する修行者は、」は二つのことを述べています。
一つは怒りの評価についてです。世間では怒りは全面的に否定されてはいません。正義の怒りもある、怒りも必要なときがある。相手が悪いのだから怒るのは当たり前だというような考え方です。しかし、仏教では怒りは全面的に否定するのです。怒りはいかなる場合で否定するのです。怒りは毒であるという立場です。
この点に関しては、ダンマパダ第17怒りの章で、221番以下14の詩で学びました。
221 怒るなよ 身も心も こわれるぞ 慢心捨てれば 心配ないぞ
221 http://76263383.at.webry.info/201210/article_3.html

もう一つは「生まれた怒りを速やかに制する修行者」、修行者は怒りを速やかに制する(消す)ことが述べられています。怒りはいけないという全面否定を理解していることが、前提ですが、怒りはそれほど簡単に制したり、消したりできるものではないのです。初めは怒りが現れた時、これはいけないと怒りを必死に抑え込む努力をするのです。しかし、燃え上がった怒りは抑えきれません。修行者は、怒りが燃えあがらないように心の修行をしておくのです。方法は二つあります。慈悲の瞑想をして、いつも慈しみの心を持って、初めから怒りが起こらない心を作っておくことです。もう一つは、怒りの発生するメカニズムを熟知して、すなわち感覚から怒りが起こることを知り、感覚から怒りになる前に、感覚を守るのです。それができる修行者は怒りを制し、怒りを消すことができるのです。以上二つが前半の解説です。

後半二行は「蛇が脱皮するように、この世とかの世とをともに捨て去る」特に、「この世とかの世とをともに捨てる」の、「この世」は今生きているこの世界で、「あの世」とは死後の世界、生まれ変わった世界を意味しています。「捨てる」とは希望や期待を持たないということです。ここが少し難しくなるのです。難しいという意味は言葉の意味が難しいということではなく、実践することが難しいということです。以下ダンマパダで説明します。

ダンマパダ15番、16番の要約は次の通りです。
15 悪いこと すれば必ず 苦しむよ この世で苦しみ あの世で苦しむ
16 善いことを すれば必ず 楽しいよ この世で楽しく あの世で楽しい
15 http://76263383.at.webry.info/201203/article_15.html
16 http://76263383.at.webry.info/201203/article_16.html

悪いことすれば、この世で苦しみ、あの世で苦しむ。逆に善いことをすればこの世で楽しく、あの世で楽しいと述べ、だから悪いことをするな、善いことをしなさいと教えています。ここでは、この世もあの世も捨てなさいとは教えていないのです。しかし、スッタニパータの始めの偈では「この世もあの世も捨てる」ということになるのです。

始めは、この世とあの世の楽を求めて、悪いことをしないで、善いことをする修行者は、心が清らかになり、この世とあの世が正しく見えてきます。そうすると執着するようなものでないことが分かってきます。そこで、この世とあの世に希望や期待を持たなくなり、捨てるということになるのです。

一方、怒りを制し、消す修行者は、感覚が怒りならないように守っています。感覚を守れることは欲の煩悩が現れない様にもできるのです。そうするとこの世にもあの世にも執着がなくなるのです。そのために、この世もあの世も捨てるということになるのです。これらは悟ったということなのです。

ダンマパダの最後の第26バラモンの章の410番は次の通りで、スッタニパータの境地と同じことが述べられています。
410 この世では 欲望はなく あの世にも 期待持たない 彼はバラモン
410 http://76263383.at.webry.info/201303/article_9.html

まとめて言えば、怒りを制し、消すことのできる修行者は、感覚を守ることができるのです。感覚を守れば、煩悩をなくすことができるのです。煩悩をなくした修行者は阿羅漢です。悟ったということです。これを聞いて悟ることができるでしょうか。怒りを徹頭徹尾になくすことができれば、その人は悟るのです。


毒ならば 飲まないように 怒るなよ 怒りを消せば 悟りを開ける(1)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2013年04月01日 11:46
少年少女のためのスッタニパータ
というのもあるのですね。ほっとします。
複数の訳があるのでパーリ語に
詳しくないのを補ってもらえます。

この世もあの世も捨てるとは。
さらに一歩進んでという感じ。
まずは慈悲の冥想に力をいれ、
常に観察を怠らない、
というあたりからがんばります。
カエルくん
2013年04月01日 19:55
祝・スッタニパータ開始!
これから時間をかけてじっくりと学べると思うと、嬉しいです。

パーリ語の辞典を買って、分からないなりに単語調べをしてみたい、という野望があるのですが、文法も分からないのに無謀でしょうか。あまりいろいろ始めると挫折しそうなので、諸先生方の訳を読み比べて、ワンギーサ先生の解説を読み込んで、というのが先かな、とも思ってます。
ささ
2013年04月01日 23:23
こんばんは。
いろいろな訳をそれぞれ繰り返し読むことで気づくことがありました。
少年少女の…と長老訳の「すぐに」というのがポイントに感じました。「すぐに」消さないと中村先生と正田先生の訳の通り「広がる」のだなと理解しました。
これは欲の観察になると思いますが、好む香りを味わう時間が長いほど、すぐ味わうことをやめた時と比べ、欲の感情が増大するように感じたことがありました。
なので怒りの感情が湧いた時も、なるたけ早く気づくこと、すぐ手放すようにすることが大事なのだなと思いました。

とうとう始まりましたね。これからも楽しみにしています。

時麿
2013年04月02日 21:53
学びのblog、ありがたく拝見しています。
仰るとおり、自身の心が変わらなければ本当に理解したことにはならないのですね。
心を変えていくよう、精進します。
今後もblog更新を愉しみにしています。
こころざし
2016年02月13日 06:25
私事ですが、怒りが出た時にはほぼ間違いなく「自分(のエゴ?)が侵害された」との判断から始まっていると、自己観察で思いました。その為、自分を守るような言い訳がどっと出て着たり、防衛反応なのか相手を攻撃しだす事もありました。
その「自分」も「エゴ」も錯覚で、無我という事が少し深い所で実感した機会から、そもそも怒る事自体が無明からくるものと分かり、今はその「その怒り出そうとしている我は本来本存在しない捏造」という事と、今のサティに徹しようとう事で、怒りを抑える事が概ね出来ているように思います。
怒りを今後も抑え、そしてなくしていきたいです。
独覚
2017年06月15日 14:27
毒を 薬で 制するように、
怒りを この世かの世を共に捨てる薬(修行)で 制する
独覚
2017年06月17日 15:16
蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、
起こった怒りを制するには、
蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るように、
この世とかの世とをともに捨て去ることが必要である。
独覚
2017年06月17日 15:37
管理者様へ
一昨日と今日でコメントした『独覚』です。
一年ほど前、中村元先生訳のスッタニパータを購入しましたが、
第一章、一の一で躓いてしまいました。子供のころから国語は苦手です。
私の解釈は九分九厘、いや完全に間違っていると思いますが、
『間違ってるよ』と一言だけいっていただけれは、先にすすむことができそうです。ぜひ教えてください 
                独覚ですけど。




ワンギーサ西津(管理人)
2017年06月18日 14:29
独覚さん、コメントありがとうございます。
覚らない限り、ブッダの言葉を正しく理解できないものです。
自分は国語が苦手だから解釈が間違っていると思わなくてもいいのです。
自分が理解したことを手掛かりに、実践してください。
そうすれば、正しく理解できるようになるでしょう。
ですから、始めから正解を求めるのではなく、前進して下さい。
また、質問があればどうぞ。
独覚
2017年06月18日 18:42
管理者様 ご丁寧にありがとうございます。
やはり仏教は『よき知識』との出会いが大事なのかもしれません。