欲の根を 根こそぎ抜き取る 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<2>

○少年少女のためのスッタニパータ2
・・・
欲しい欲しいは、
どんどん増える。
だから、
欲しいかどうかより、
必要はどうか考えよう。


2.第1 蛇の章 2.

○スマナサーラ長老訳
池に生えた蓮華を(根こそぎ)取ってしまうように、
欲を残りなく断ってしまった修行者は
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。

○中村元先生訳
池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、
すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

○正田大観先生訳
彼が、池に生えている蓮の花を〔水に〕入って〔折り取る〕ように、
貪欲〔の思い〕(貪)を残りなく断ち切ったなら、
その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する
――蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文
ヨー ラーガムダッチダー アセーサン
Yo rāgamudacchidā asesaṃ,
彼が  貪を断ち切った   残りなく

ビサプッパンワ サロールハン ヴィガイハ
bhisapupphaṃva saroruhaṃ vigayha;
蓮の花 ように   池     取って

ソー ビック ジャハーティ オーラパーラン
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
その  比丘は    捨てる  この世あの世を

ウラゴー ジンナミワッタチャン プラーナン 
urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
蛇は   古くなった皮を  古い


○一口メモ
この偈も第一の偈と同様に、二つの部分で構成されています。後半の2行は第1の偈とまったく同じです。そで、ここでは、前半部分だけ解説することになります。第1の偈のテーマは怒りでしたが、今回のテーマは欲です。

ダンマパダでは、始めは悪いことをするな、善いことをせよ、怠けるな等と教えます。そして段階的に欲の特色
そして、欲に対してどのように対応して生きるべきか教えています。

ダンマパダ7 このからだ 清浄と見て 暮らす人 感覚守らず 悪魔に負ける
7 http://76263383.at.webry.info/201203/article_7.html
ここでは食事の節度を守れと教えています。

また、27 放逸に 耽るな、欲楽に 親しむな 不放逸な者は 安楽を得る
27 http://76263383.at.webry.info/201204/article_3.html
欲に親しむとなっています。

186 金が降っても 満足しない 欲望は 少楽にして 苦痛だけだよ
186 http://76263383.at.webry.info/201209/article_4.html
欲の特色です。

199 欲張りの 人々の中 欲張らず 真に気楽に 生きていこうよ
199 http://76263383.at.webry.info/201209/article_13.html
欲に対する生き方です。

ダンマパダの後半には336番、337番、338番に今回の偈と同趣旨の詩もあります。
336 世の中の 制止しがたい 渇愛に 打ち勝つならば 憂いが落ちる
337 草の根を 掘り起こして 枯らすように 渇愛抜いて 幸福であれ
338 渇愛の 根の根絶が ない限り この苦しみは また現われる
336 http://76263383.at.webry.info/201301/article_1.html
337 http://76263383.at.webry.info/201301/article_2.html
338 http://76263383.at.webry.info/201301/article_3.html


今回の偈で注意すべきことは、欲には根があるということです。ですから、「欲を根こそぎ取ってしまう」
「残りなく断ち切ったなら」と表現されているのです。欲というものは決して満足しないのです。例えある欲が満たされても、すぐ新たな欲が現れるのです。そして欲のある所には、欲が満たされていないと不満があるのです。ですから欲があれば不満という苦しみが必ず付いてまわるのです。

欲はどのようにして現れるのでしょうか?欲は怒りと同じように感覚の刺激から現れます。感覚に好ましい刺激が現れると、それが欲しい、その刺激がそのままでいて欲しいと思うのです。それが欲です。怒りを制すると同じように、感覚から欲が現れないように、感覚を守ることができれば欲は制することができます。

しかし、そのような欲には根があると言います。欲の根がある限り、一つの欲を制することができても、新たな欲が現れるのです。欲の根とはいったい何でしょうか? それは、「何としても生きていたい」「死ぬのは嫌だ」とい生存欲です。それがある限り、欲は限りなく現れるのです。生きていくためには欲が必要だからです。生存欲は生命の本能です。本能はなくすことはできません。ですから生命である限り欲はなくすことはできないのです。

しかし、ブッダは欲をなくすことを推薦して、しかも欲の根である生存欲まで取り除くように言われています。
なぜならば、欲が生命の苦しみの根本原因だからです。生命の苦しみをなくすためには欲はなくさなければならないのです。それを聴いた修行者は、欲を根こそぎ取り除き、この世とあの世をともに捨てるのです。すなわち悟るのです。

なぜそれができるのでしょうか?すべての現象は無常、苦、無我であることを知り尽くし、生きていることに執着がなくなった人間を越えた超人間の境地に達しているからです。


池に咲く 蓮華(れんげ)のように 欲に根あり 根がある限り 欲はまた出る<2>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2013年04月02日 12:26
必要と欲しいとはずれているんだな、
満足、おしまい、とはならないな。
とまではなんとか観察できても
なかなか次の段階に進めません。
根気強くがんばります。
カエルくん
2013年04月02日 19:28
こんばんは。
瞑想をしていると、自分の欲深さに気付きます。
とにかく死にたくない、生きていたい。できれば安全に。更に可能なら快適に…。と欲望はエスカレートします。
きりがないですね。
最期は死ぬことを、忘れないでいようと思います。
時麿
2013年04月02日 22:04
欲から様々な執着が生み出されるのは、本当に実感しています。これは経験豊富なのでよく解ります(苦笑)。
自身の欲深さに愕然としていますが、諸悪の根源を取り除くよう日々、精進します。
ささ
2013年04月03日 00:00
ふとした時、生存欲の根深さに気づかされることがあります。
感覚を守れるよう、根こそぎ…を遥か遠くに望みつつも、諦めずにしぶとくがんばりたいと思います。
櫻井由紀
2013年04月15日 12:13
中村元先生と正田大観先生の両訳を読むと、
「水にもぐって折り取る」と「水に入って折り取る」
となっていますが、「折り取る」と言う表現は、
「茎を折って根の部分は残す」と言う様な印象を私は受けてしまい、間違った理解を犯してしまいそうになりましたが、スマナサーラ先生の訳を読み正しく理解できました。

こころざし
2016年02月14日 06:24
自分に出る欲を見ますと、自分の好み・エゴでよくもこのような勝手な内容で欲があるな、と吃驚する事があります。
そんな欲は捨てて、そして本当に必要なものを得ようとする姿勢でいたいです。
私事ですが、スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の古い本を手に入れようとする姿勢があり、幾つかは手に入りましたが、本棚が足りなくなる状態まできています。でも、本はだんだん劣化してきますし、並べているだけでは意味がないので、真の意味で成長出来るようにしたいです。