慢心を 壊し尽くした 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<4>

○少年少女のためのスッタニパータ4
・・・
劣等感は自分を苦しめ、
優越感は他人に嫌われる。
これらは比べるからだ。
比べなければ楽になる。


4.第1 蛇の章 4

○スマナサーラ長老訳
弱い葦(アシ)の橋が暴流で壊されるように
慢(マン)を壊し尽くした修行者は
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。

○中村元先生訳
激流が弱々しい葦の橋を壊すように、
すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

○正田大観先生訳
大激流が極めて力の弱い葦の橋を〔押し流す〕ように、
高慢〔の思い〕を残りなく壊し去った者
――その比丘は、此岸と彼岸を捨てる
――蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。

○パーリ語原文
ヨー    マーナムダッバディー   アセーサン
Yo    mānamudabbadhī   asesaṃ,
者は   慢を破壊した    残りなく

ナラセートゥンワ    スドゥッバラン   マホーゴー
naḷasetuṃva    sudubbalaṃ   mahogho;
葦 橋 ように  極めて弱い    大激流

ソー   ビック   ジャハーティ   オーラパーラン
So   bhikkhu  jahāti   orapāraṃ,
その  比丘は   捨てる   この世あの世を

ウラゴー   ジンナミワッタチャン   プラーナン
urago   jiṇṇamivattacaṃ   purāṇaṃ.
蛇が   古くなった皮を   古い


○一口メモ
今回のテーマは「慢」(マーナ)です。慢についてもダンマパダで学びました。

74 何事も 我に従えと 威張る比丘 慢心増して 心を汚す
74 http://76263383.at.webry.info/201205/article_19.html

150 肉体は 骨肉血でなり 老いて死ぬ 心の慢と 偽善が問題
150 http://76263383.at.webry.info/201207/article_30.html

221 怒るなよ 身も心も こわれるぞ 慢心捨てれば 心配ないぞ
221 http://76263383.at.webry.info/201210/article_3.html


慢とは、「私は存在する」という実感から、自分を基準にして他者と比べるは心のはたらきです。奢り高ぶることです。慢には3種類あります。
1.増上慢 : 自分が他人より上だと考える。通常の意味での慢心です。優越感。
2.同等慢 : 自分が他人と同等と考える。これで安心する
3.卑下慢 : 自分が他人より劣っていると考える。劣等感。

慢、すなわち「自分と他人をすぐに比較するという心の癖」はなかなか取り除くできない煩悩なのです。悟りの第一段階の預流果になれば、有身見(自分が存在するという見解)は無くなるので、預流果になれば、慢(マーナ)は無くなるように考えられますが、実際には慢は悟りの最終段階の阿羅漢になるまで残っている根強い煩悩なのです。自分が存在するという見解は無くなっても、自分が存在するという実感はなかなか無くならないと言うことでしょう。

慢を壊すということは、自我を壊す作業です。自我を弱くして、自我を壊すのです。
その方法は二つあります。慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想です。

慈悲の瞑想で自我を壊すことができます。
慈悲の瞑想は慈悲喜捨の心を無限に大きくすることです。
慈の心は友情の心です。小さな自我の壁を破るのです。
悲の心は憐れみの心です。困った人がいれば助けようとする心です。自己中心的な自我を壊します。
喜の心は共感の心です。自分と他人の一体感を育てます。自我の壁が薄くなるのです。
捨の心は悟りの心、無我の心です。一切の差別がなくなり、そこには自我は存在しません。

ヴィパッサナーな瞑想で真理が見えてきます。すべての現象は無常・苦・無我であると分かるのです。
無我が分かれば、自我はありません。

慢を完全に壊し尽くした修行者は、無我を悟り、自我を完全に叩きつぶしているのです。その方はこの世とあの世への執着をすべて捨て、すべての煩悩を捨て、涅槃の境地におられるのです。


慢心を 壊し尽くした 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<4>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年04月04日 12:43
こんにちは。
評価されて嬉しく思うのは、慢ですよね。
できる人、と思われたい欲求があって、根強いです。
気を付けます。
ささ
2013年04月05日 05:06
暴流を涸らし尽くす前に、その暴流を利用して慢を流すということなのかなと思いました。

慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想の両方が不可欠なことを改めて実感しました。物事がいい方向に向かった時、むくむくと慢が出てきた事に気づけたからです。あまりいい状態じゃない時に慢を感じる事が多かったので、こんな時(いい結果になった時)こそ気をつけなくちゃいけないんだなぁと、新たな発見ができました。修行者にしか表れない増上慢に気をつける…との事も目にした事があります。よく観察して、気をつけていきたいと思います。
あすか
2013年04月05日 11:38
慢は最終段階まで残る
なかなか手ごわい煩悩なのですね。
観察していると慢の多さに驚きます。
慈悲の冥想とヴィパッサナーで
少しでも減っていくよう努力します。
こころざし
2016年02月14日 06:32
相手と比較して自分は凄いとか・弱いとか・・そのような事を思う機会があります。そしてそれはこの人は味方にした方が良い等々の区別・差別化思考が回転してしまう印象を感じます。
慈しみの冥想とヴィパッサナー冥想を実践する事で、その慢を少しでも減らして参りたいです。