行き過ぎず 遅れもしない 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<8>

○少年少女のためのスッタニパータ8
・・・
マラソンは
頑張り過ぎず、
止まらなければ、
最後はゴール。
・・・
仏道修行も
頑張り過ぎず
止まらなければ
最後は涅槃。


8.第8 蛇の章 8.

○スマナサーラ長老訳
行き過ぎることも止まることもなく
現象の世界をすべて乗り越えている修行者は 
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。


○中村元先生訳
走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
すべてこの妄想をのり超えた修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


○正田大観先生訳
行き過ぎず、戻り過ぎず、
この戯論(分別妄想)の一切を超え行った者
――その比丘は、此岸と彼岸を捨てる
――蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文
ヨー  ナッチャサーリー  ナ   パッチャサーリー
Yo    nāccasārī     na   paccasārī,
者は   行き過ぎず    ない  戻りすぎ 

サッバン  アッチャガマー  イマン  パパンチャン
sabbaṃ   accagamā     imaṃ   papancaṃ;
一切の   乗り越えた    この   妄想(捏造)を

ソー   ビック   ジャハーティ  オーラパーラン
So    bhikkhu   jahāti      orapāraṃ,
その   比丘は   捨てる     この世あの世を 

ウタゴー  ジンナミワッタチャン  プラーナン
urago    jiṇṇamivattacaṃ     purāṇaṃ.
蛇は    老化した皮を       古い   


○一口メモ
今回の偈で問題になる言葉は、「行き過ぎず、戻り過ぎず」と「妄想・捏造(パパンチャ)」です。

先ず「行き過ぎず、戻り過ぎず」をどのように理解すべきか?
あまり精進しすぎると、心が浮ついて行き過ぎる。あまりゆっくりしすぎると怠けてしまって落後する。このことを理解する一つのエピソードを引用しましょう。

釈尊が、在家のとき琴の演奏の得意であったソーナという弟子に説法をしました。ソーナが血のでるような厳しい修行をしていましが、悟りの境地に至らなくて悩んでいたのです。

 釈尊は思い出したように、ソーナに問いました。
 「そうだ、ソーナよ、なんじは家にあったころ、たいそう琴を弾くことが上手であったと聞いているが、そうであるか」
 「はい、いささか琴を弾ずることを心得ておりました」
 「では、よく知っているだろうが、ソーナよ、琴を奏でるには、あまり弦をつよく締め過ぎてはいけないだろう」
 「大徳よ、その通りでございます」
 「だからといって、ソーナよ、弦がゆる過ぎてもいけないだろう」
 「大徳よ、仰せの通りでございます」
 「では、どうすればよいか」
 「大徳よ、それには、あまり強からず、弱からず、ほどよく弦を締めることが大事でございます」
 「ソーナよ、その通りである。そしてわたしの説くこの道の修行もまた、まさにそれとおなじであると承知するがよい。刻苦にすぎると、心がたかぶって静かなることをえない。だからといって、弛緩にすぎるとまた懈怠におもむくであろう。ソーナよ、ここでもまた、なんじはその中をとらねばならない」

 この説法が転機となって、弟子のソーナは見事に彼の目的を達成したのでした。(増谷文雄著「ブッダ・ゴータマの弟子たち」教養文庫、32~33ページより)
この解説はブッダの中道の教えでありますから、間違いはありません。

しかし、毎田周一という方(後日この方のスッタニパータの訳文を紹介することになるかもしれません)は、「行き過ぎるとは未来を望みすぎるのであり、未来に希望をつなぐことである。先を見過ぎるのである。・・・・・
これに対して後れるとは、過去をのみ回顧することである。・・・そこには前進がない。足踏みばかりしいて、むしろ後退するのである。」と解説しています。仏教は過去、未来ではなく、現在只今を教えていることを考えるとこの説も納得いきます。

スマナサーラ長老は「行き過ぎとは、思考・妄想し過ぎ、という意味です。」と説明されています。
「止まらないこと」については、「パチャサーリー(paccasārī,)とは、問題に真向から直面しないで、逃げ回ることです。考え過ぎの人よりも、後退して逃げる人のほうが多いという気がします。」と解説しています。次の妄想(捏造)(パパンチャ)と関連させて、「行き過ぎない止まることもなく」の解説はこれがよいという気もします。

これらの違いは、その人の理解力に従って、理解する他はないでしょう。経験の違いによって理解力も変わるからです。

しかし、もう一度、この三つの解説をよく考えると同じことの三つの側面を述べているのかもしれません。中道とは何かを問われれば、毎田氏は現在只今の事実と答えます。考え過ぎは現在只今ではなく、過去、未来を考えることなのです。怠けは、過去にとらわれ、前進しない態度であります。これをスマナサーラ長老はそれを問題に直面しないで逃げることだといいます。このように考えると、この三つの解説は同じことを述べているとも言えます。

次に、「妄想・捏造(パパンチャ)」について、考えてみましょう。
Papañca(パパンチャ)は辞書に「障碍、戯論、迷執、妄想」と書いてあります。スマナサーラ長老はこの言葉を特別の「捏造」と訳して、この言葉の持つ特別な意義を喚起させようとされています。深い意味はスマナサーラ長老のパンフレット「パパンチャ」をお読みください。次のアドレスでその内容を読むことができます。
http://gotami.j-theravada.net/2011/09/pdfpapanca.html
また、その説明は「原訳『スッタニパータ』蛇の章」のこの偈の説明にも当然述べられています。

誤解を恐れずに簡単に言えば、パパンチャとはどんな生命も事実を自分の都合に良いように捻じ曲げて見ているということです。事実をありのままには見ていないということです。私たちが見ている世界はありのままの世界ではなく、捻じ曲げられた世界であるということです。そのような世界が現象の世界なのです。ですからスマナサーラ長老は、捏造(パパンチャ)の世界を「現象の世界」と訳されているのです。そうすると、「行き過ぎること」は「捻じ曲げること」になると思います。

そういうわけで、「ヨー ナッチャサーリー ナ パッチャサーリー」は、事実を捻じ曲げることもなく、問題から逃げることもなく」ということになり、その結果、妄想・捏造を乗り越えて、事実を正しく見る修行者は、捻じ曲げられた世界を乗り越えて世界を正しく悟り、この世の執着もあの世の執着を捨てるということになります。


行き過ぎず 遅れもしない 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<8>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kumetsu
2013年04月08日 08:23
瞬間毎に生滅・変化する事実に寄り添うようにして、行き過ぎることなく、遅れることもなく(立ち止まることもなく)、気付き続けていく。常に今ここの事実に気付いているため、事実から離れて妄想する余地がない。まさにサティの極意が説かれているように思えました。
あすか
2013年04月08日 08:35
何事も両極端はよくない、
良い加減が大切なのですね。

「パパンチャ」読みなおしてみます。
何でも、しばらくして再読すると、
新たな気づきも多いので
今回はどうか楽しみです。
カエルくん
2013年04月08日 20:20
こんばんは。
怠けは今の私の課題です。やり過ぎる、は程遠い境地で、瞑想がいやで逃げ回っています。
生活をシンプルにして、欲を削ぎおとしていくことで、瞑想を持続させる力がたまらないかな、と思っているのですが…。どうでしょうか。
昨日、使わなくなって何年もたつ山道具を処分しました。心がちょっと身軽になりました。身の回りを、ほんとにほんとに最低限の物だけにして、瞑想に集中したいです。
ささ
2013年04月09日 09:45
『パパンチャ』読み直しました。
その中で、間違えながらもちょこちょこちょこちょこ勉強すること、ありのままの観察に対する精進・覚悟についても説かれていて、とても勉強になりました。
とにかく実況中継ですね。自分の身の丈と少し、を続けていきたいと思います。
こころざし
2016年02月16日 19:37
やや日数が長めの冥想合宿に参加し「この機会に悟るぞ!」との気持ちが先行すると、それに執着して修行になりにくい印象があります。
また、自分の都合の良い捏造は気を付けてないと常にしかねないです。
どちらもコントロールして、そして心が成長出来るように努めたいです。
たか坊
2016年04月30日 15:26
今回も、
明るく学べたコトを嬉しく思います♪
コツコツ励み焦らず精進します!