一切は 虚仮(コケ)なりと知り 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<9>

○少年少女のためのスッタニパータ9
・・・
コケの意味を知っていますか?
本来は真実でないこと。
それが転じて馬鹿になりました。
コケにするな。


9.第1 蛇の章 9.

○スマナサーラ長老訳
行き過ぎることもなく止まることもなく、
世界(存在)において
(一切は虚妄である)と知った修行者は
蛇が脱皮するように、
この世とかの世とをともに捨て去る。


○中村元先生訳
走っても疾(ハヤ)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


○正田大観先生訳
行き過ぎず、戻り過ぎず、
「これは、一切が真実を離れたものである」と、世において知って、
その比丘は、此岸と彼岸を捨てる
――蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文
ヨー  ナッチャサーリー  ナ   パッチャサーリー
Yo    nāccasārī      na   paccasārī,
者は   行き過ぎず    ない  戻り過ぎ

サッバン  ウィタタミダンティ  ナトゥワー ローケー
sabbaṃ   vitathamidanti     natvā    loke;
「一切は   虚妄だ この」と  知って   世において   

ソー  ビック    ジャハーティ  オーラパーン
So    bhikkhu   jahāti      orapāraṃ,
その   比丘は   捨てる     この世あの世を

ウラゴー  ジンナミワッタチャン  プラーナン
urago    jiṇṇamivattacaṃ     purāṇaṃ.
蛇は    老化した皮を      古い


○一口メモ
今回の偈の始めの行は昨日と同じ「ヨー ナッチャサーリー ナ パッチャサーリー」(行き過ぎることもなく止まることもなく;走っても疾(ハヤ)過ぎることなく、また遅れることもなく;行き過ぎず、戻り過ぎず)です。

昨日私はこの行の意味をながながと説明しましたが、記事のコメントでkumetsuさんが見事に一言で言い表してくれました。皆さんにも参考になりますから、ここに引用します。

「瞬間毎に生滅・変化する事実に寄り添うようにして、行き過ぎることなく、遅れることもなく(立ち止まることもなく)、気付き続けていく。常に今ここの事実に気付いているため、事実から離れて妄想する余地がない。まさにサティの極意が説かれているように思えました。(kumetsu)」

「ヨー ナッチャサーリー ナ パッチャサーリー」はサティ(念)の事を言っていたのですね。逆にサティ(念)について分かっているという方は、サティ(念)は「ヨー ナッチャサーリー ナ パッチャサーリー」だと知る必要があるのです。

サティ(念)がある時は、今にいて、妄想することはなく、中道なのです。なぜサティがある時、中道なのかについては少し説明しましょう。中道とは八聖道ですから、八つの説明が必要ですが、ここでは「頑張り過ぎない、怠けない」という意味について説明します。頑張り過ぎは何がもたらすのでしょうか? 巨大な妄想である自我がもたらすものです。修行について言えば、頑張りすぎるのは、早く悟りたいなどの自我の欲なのです。逆に怠けは自我が飽きているのです。自我が修行を嫌になっているのです。サティがある時は、妄想がなく、その瞬間は自我が消えています。ですから頑張り過ぎの欲や怠けが消えているのです。

さて、この偈では「サッバン ウィタタミダン」(一切は虚妄である;世間における一切のものは虚妄である;これは、一切が真実を離れたものである)について説明しなければなりません。昨日述べましたように、すべての生命は自分の都合のよいように、事実を捻じ曲げて認識しています。そして、捻じ曲げた事実を合成して世界を構成しているのです。ですから認識している一切は虚構なのです。一切は虚妄である。一切は真実を離れたものであると言えるのです。

このことはブッダが人々に伝えたかった真実です。少し余談になりますが、皆さんご存知の聖徳太子は、インド、中国、百済から伝えられた仏教の真意を正しく理解して、「世間虚仮」と言う言葉を日本人に伝えました。「世間虚仮」とは「サッバン ウィタタミダン」ということです。聖徳太子の実在を疑う説もありますが、「世間虚仮」という言葉を残した方がおられたことは確かです。私は「世間虚仮」という言葉を使うためにこのことをここに書きました。

「世間虚仮」をサティ(念:行き過ぎることもなく、止まることもなく)によって本当に理解したら、この世にもあの世にも執着しません。この世もあの世も共に捨てるのです。


一切は 虚仮(コケ)なりと知り 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<9>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年04月09日 05:44
おはようございます。
行き過ぎることもなく止まることもなく、はサティのことなのですね。なるほど、と思いました。
あとは実践ですね。
あすか
2013年04月09日 12:21
虚仮(コケ)とはそういうことでしたか。
ふだん何気なく使っている言葉にも
仏教に関係する物が沢山ありますね。
勉強になります。
ささ
2013年04月09日 23:53
今日はゴータミー精舎で、行き過ぎることもなく遅れることもなく…を意識しながら瞑想する事ができました。
遅れがちになることもあった実況中継(それじゃ、実況中継ではないですね。苦笑)を少し修正することができました。
ありがとうございました。
こころざし
2016年02月16日 19:43
サティに徹している方が余計な事を考えないので、生きやすいと感じます。ですがそれは努めていないと出来ず、放っておくとたっくさん妄想しているのが現実です。ハッとそれに気がつくと、恐ろしさを感じます。
サティを何時も出来るように心がけたいです。