きずなこそ 在家のしるし これを切り 独覚ブッダは 一人で歩く<44>

○少年少女のためのスッタニパータ44
・・・
お釈迦さまは
みんながほしがるものを
大切だとは言わない。
みんなが大切だと思う
世間のきづなも
大切だとは言わない。


44.第1 蛇の章 3.犀の角経 10

○毎田周一先生訳
葉の落ちたコーヴィラーラの木のように
世俗の生活のしるしを取り去り
世間のきづなを断ち切った勇者として
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、
在家者のしるしを捨て去って、
在家の束縛を断ち切って、
健き人はただ独り歩め。


○正田大観先生訳
落葉した黒檀のように、
諸々の在家の特徴を取り去って、
勇者は、諸々の在家の結縛を断ち切って、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
オーローパイートゥワー   ギヒビャンニャナーニ
Oropayitvā          gihibyañjanāni,
取り去って          在家のしるし

サンニチンナパットー    ヤター    コーウィラーロー
sañchinnapatto        yathā    koviḷāro;
葉の落ちた          ように    黒檀の

チェートゥワーナ    ウィーロー   ギヒバンダアーニー
Chetvāna         vīro        gihibandhanāni,
切断して         勇者は      在家の束縛を

エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で    行く      犀の角のように


○一口メモ
「犀の角経」は全体で41偈ありますが、今回の偈はその第10番目になります。注釈書には、この偈で第一品終わりとなっています。10偈が終わったので、第一品の終わりですが、意味的にもその通りだと思います。

葉の落ちた黒檀のように在家のしるしである、在家の束縛を断ち切った勇者は、犀の角のように歩く。
在家のしるしである在家の束縛は何か?その具体的内容は第1偈から第九偈で述べられてきたことなのです。それの偈を要約した短歌で復習してみましょう。

生きものを 慈しむけど 子をもたず 仲間求めず 一人で歩く<35>

人は皆 交際すれば 情ができ 苦労するので 一人で歩く <36>

友達を 同情すれば 道はずす 危険を避けて 一人で歩く <37>

竹の根は もつれているが 筍(タケノコ)が からまぬように 一人で歩く<38>

森の鹿 自由に歩く 食求め 智慧ある人も 一人で歩く<39>

朝起きて 仲間がいれば 声かける 沈黙行者は 一人で歩く<40>

仲間など 親しい人との 別れ避け 一人で暮らし 一人で歩く<41>

満足と 慈悲の心で 安心だ 死を恐れずに 一人で歩く<42>

出家にも 救い難い人 在家にも かかわり避けて 一人で歩く<43>

子供、仲間、愛情、同情、しがらみ、共同行動、声の掛け合い、別れの辛さ、食事や住む所の不安、死の恐れ、性格の悪い仲間などとの付き合い。これらがすべて在家のしるしであり、在家の束縛なのです。

しかし、これらを断ち切ること困難です。ですから、これらを断ち切った人は勇者なのです。勇者は犀の角のように一人で歩くのです。

以上で最初の段落が終わりますが、次の第11番目、第12番目を踏まえて、この犀の角経の新な展開がはじまるのです。特に第11番目の偈では「犀の角のように一人歩く」というフレーズがありません。ではどのような句になるのでしょうか?


きずなこそ 在家のしるし これを切り 独覚ブッダは 一人で歩く<44>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年05月14日 11:19
悟りを目指せば当然
孤立的、個人的、内省的な人間になり
この「孤高」な生き方は
世間一般に広く波及するとは考えられず
むしろ「高飛車」であると言う
レッテルを貼られる可能性が高い。
何の論理性も無い固定観念に縛られ
振り回され続ける惰性的人生から
早く脱却すべきでありますね。
大抵、主観的思想を自分勝手に作り上げ
それでもって行動するので
必ず相手と対決してしまいますから
もしも真理に出会っても
自分の妄想的主観的思想で判断し
「真理」さえも即座に
否定、却下してしまうのでしょうね。
折角のチャンスを自ら逃してしまいますね。

因果法則によって
お釈迦様の真理の教えに出会えた事に
深く感謝し
確信をもって学び続けようと思います。


あすか
2013年05月14日 11:58
表面的に見ると、
世間の常識からは「え?」
という内容も多いですね。
それゆえスマナサーラ長老も
取り扱いには注意されるのかしら。
しっかり学ばなくては。
これからの展開が楽しみです。
静まり
2013年05月14日 12:34
たとえば「嫉妬が生じた」と、そのつど観察して、ではどのように「二度と嫉妬が生じないか」と、独り静かな環境を整えて冥想実践ができますように。
カエルくん
2013年05月14日 19:48
こんばんは。
見事なまでに、在家の束縛にがんじがらめになっています。
一日のうちで、お釈迦様について考えるのは、このブログを読む時間だけです(^^;
必死でついて行きたいと思っています。
こころざし
2016年02月28日 06:44
在家らしく本文の「子供、仲間、愛情、同情、しがらみ・・」等々が日常的にあります。だから修行が出来ない、となるのではなく、教えて頂いたことを真摯に実践する事で、その在家状態なりに成長出来るように努めたいです。