賢明な 友が得られぬ その時は 孤象のように 一人で歩く<46>

○少年少女のためのスッタニパータ46
・・・
友だちや動物をいじめ、
うそをつく友ならば、
さける友として、
付き合わないように。

(ダンマパダ329番の子供のためのダンマパダと同じ)


46.第1 蛇の章 3.犀の角経 12

○毎田周一先生訳
若し信の人 敬虔な人 智慧の人なる
明敏な友に会ふことが出来なければ
王者が征服した国を捨て去ると等しく
犀の角のやうにただ一人あるいてゆこう


○中村元先生訳
しかしもし汝が、
<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、
譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
もし、賢明なる道友を得ないなら、
共に行じおこなう善き住者である慧者を〔得ないなら〕、
征圧した国を〔惜し気もなく〕捨てて〔顧みない〕王のように、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
ノー   チェー   ラベータ    ニパカン    サハーヤン
No    ce     labhetha    nipakaṃ    sahāyaṃ,
ない  もし    得る       賢明な     友を
 

サッディン   チャラン   サードゥウィハーリディーラン
saddhiṃ    caraṃ    sādhuvihāridhīraṃ;
共に      行う      正しく生活する賢者

ラージャーワ  ラッタン   ウィジタン  パハーヤ
Rājāva     raṭṭhaṃ    vijitaṃ    pahāya,
王の ような  王国     征服した   捨てる

エーコー  チャレー  マータンガランヤーワ   ナーゴー
eko      care    mātaṅgaraññeva      nāgo.
一人で   行こう    林の中の孤象のように    象は


○一口メモ
今回の偈の解説に入る前に、毎田先生、中村先生、正田先生の三先生とも、この偈の四行目の訳は「犀の角のように・・・・・」となっていますが、私が掲載したパーリ語原文は「林の中の孤象のように一人行こう」となっています。この説明をしておきます。PTS版は「犀の角のように・・・」となっていますが、最新のタイ版及びミャンマー版は「林の中の孤象のように・・・」となっています。採用しているパーリ語原文によるものです。現在、私はミャンマー版を採用しているのです。

今日の偈は昨日の偈と対をなすものです。そして、このように賢明な友すなわち善友が得られないという条件のもとで、「犀の角経」の41偈のうち40偈が「一人で歩く」ことになるのです。その理由は第35番から43番で述べてきました。そのまとめが第44番でした。それは在家のしるしである在家の束縛です。

再度具体的に述べれば、子供、仲間、愛情、同情、しがらみ、共同行動、声の掛け合い、別れの辛さ、食事や住む所の不安、死の恐れ、性格の悪い仲間などとの付き合い。これらがすべて在家のしるしであり、在家の束縛なのです。

これらは、在家の生活にとって大切なことと考えられています。ですから、王が征服した王国を捨てるようにという譬えで、大切に思っているものでも、実は役に立たない、真理を求めるものには妨害になるので、せっかく征服した王国なのに、でもそれを惜しげもなく捨てるように、在家のしるしを捨てるのです。そして、林の中を一人で行く象のように、一人で歩くのです。ここではなぜ象か(犀の角という原文もありますが)、王国を捨てる王のあとには、動物の王ともいえる象がふさわしいと思います。つながる詩の流れの中で、注目されるべき詩には象が出てきます。もう一度第53番で象の譬えがあります。


賢明な 友が得られぬ その時は 孤象のように 一人で歩く<46>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年05月16日 12:18
束縛を超える努力を致します。
究極の境地
真理を知る人に
お仕えします。
カエルくん
2013年05月16日 19:53
こんばんは。
やはり、スッタニパータは出家の方のもののように感じてしまいます。頭でわかっても、在家の身で実践は難しいです(^^;
この偈の境地に近づくために、今の私にできることは何だろう?
宿題にしたいと思います。
静まり
2013年05月16日 23:14
善友に親しむ事こそ幸福だから、
欲・怒り・無知の刺激に逃げずに、
苦を乗り越えられますように。

象といえば、動物の王様であり、
忍耐であり、慈しみであるという事と、
ダナパーラを思い出したので、
親孝行もしていきたいと思いました。
SRKWブッダ
2014年07月25日 17:05
征服した国を捨てた王のように:

何でもできる権力を持ちながら敢えて行使せず、自分よりも弱い人を恕(じょ)して、「捨」(慈悲喜捨の「捨」,大いなる徳行)によって生きる修行者は、孤象のように力もて仏道を歩む。(この場合は、犀ではなく孤象が適切でしょう)

***
こころざし
2016年02月28日 06:54
在家の中でその在家らしさに埋もれてしまうのではなく、冥想実践をする事で智慧をつけ、林の中を一人で行く象のように修行を進めたいです。
冥想が出来る所にお伺いする機会を作る事と、日常でも実行するように努めます。