金色の 二つの腕輪を 合わせれば 音がするので 一人で歩く<48>

○少年少女のためのスッタニパータ48
・・・
金の腕輪のぶつかる音は
欲の世界の音がする。
欲を離れた聖者たち
二人でいても静かです。


48.第1 蛇の章 3.犀の角経 14

○毎田周一先生訳
金工が立派に仕上げた二つの
美しく輝くものも 一つの腕にあるとき
触れ合つて騒音を発するのを見て
犀の角のように一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
金の細工人がみごとに仕上げた
二つの輝く黄金の腕輪を、
一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
金の細工師が見事に仕立てた、
光り輝く二個〔の腕輪〕が、
腕にあって相打つ(音を立てる)のを見て、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
ディスワー   スワンナッサ   パバッサラーニ
Disvā       suvaṇṇassa    pabhassarāni,
見て        金色の      輝く

カンマーラプッテーナ    スニッティターニ
Kammāraputtena      suniṭṭhitāni;
金細工師によって     完成した
サンガッタマーナーニ   ドゥウェー   ブジャスミン
Saṅghaṭṭamānāni     duve         bhujasmiṃ,
相打つ            二つ(腕輪)が   一つの腕において

エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で   行こう     犀の角のように


○一口メモ
金に輝く二つ腕輪が、相打ちあって出るガチャガチャ音は、欲の世界の騒音の象徴です。世俗は欲の世界ですから、欲と欲がぶつかりあって、異常な騒音を出しています。テレビの音や、音の必要ない電気器具もたえず音を出しています。ですから、現代人はそのような音の世界に慣れてしまって、音がないと不安になって、必要なくともテレビやラジオをつけます。

この偈では、直接的意味は二人になれば、いろいろ話をしてしまい、静かな状態を保てなくなるので、一人で修行しよう、ということだと思いますが、もっと深い意味は欲の世界から離れて、欲のない、静かな世界で生きようということだと思います。

この偈の説明はこのくらいにして、昨日のブログに投稿された池崎中彦さんの下記のコメントについて考えてみようと思います。それは、スッタニパータの読み方にもかかわることだからです。

「ワンギーサ比丘様、おはようございます。

善友・悪友についてなのですが、
私はテーラワーダ仏教協会に
(現時点では)世俗的な利益を求めたり、己の欠陥を治すために
いつもお邪魔させていただいてます。
昨日もお世話になりました。ありがとうございます。

そのような私が、純粋に悟り・解脱を目標として
テーラワーダ仏教協会に出入りしている
会員の方(あるいは方々)と
仲良くすることは、やはり良いことではないのでしょうか?

私自身は
「(悟り・解脱を目標としている方の)
足を引っ張っている側面もあるのかな?」
という自己分析をしております。

上手く言えませんが、若干のジレンマを感じております。」(池崎中彦)

私(ワンギーサ)の考え方を述べましょう。(池崎さんに述べるように書きます。)
あなたが「(現時点では)世俗的な利益を求めたり、己の欠陥を治すために、いつもお邪魔させていただいてます。」ということは半分その通りでしょうが、テーラワーダ仏教協会に来ることは、解脱を求めていなくとも、世俗的な利益を求めていても、自分を成長させたいと思っているからでしょう。現時点では、解脱を求めていなくとも、成長の過程で、あるいは理解が進めば、解脱が必要になると思うようになるかもしれません。
また、他の人々もすべてが解脱を求めているというわけではありません。しかし、成長したい、心を育てたいとは思っていると思います。その点では、まだよく分からない解脱を求めるよりは、今日は昨日の自分よりは少しでも成長させたいと思う方が、足が地についているといえます。
そのような訳で、あなたがこちらの協会にくることは、他のみなさんと同じで、けして他の方の足を引っ張っていることにはなりません。
私は「スッタニパータで悟りを開く」と述べていますが、このブログを縁にして、スッタニパータがなかなか理解できなくとも、このような世界があるのだと知ることによって、新な考え方のきっかけができればよいと思っています。知らない世界、理解できない世界を知ることによって、自分の考え方を広げることができるからです。


金色の 二つの腕輪を 合わせれば 音がするので 一人で歩く<48>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。



~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月27日(月)から6月2日(日)まで、ワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するため、
ゴータミー精舎における朝晩の自主瞑想会はお休みいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

池崎中彦
2013年05月18日 08:32
ワンギーサ比丘様、おはようございます。
今日は少し遅れました。

ご回答、ありがとうございます。
まさかこういう形で、ご回答なされるとは思わなかったので
とてもうれしいかったり、少し恥ずかしかったり・・・。

そうですね、確かに表面上・上辺だけでは
誰が、どなたかが「解脱・悟り」を目指しているということは
分からないです。少なくとも
私は他人の心の状態が読めないので
まるで分かりません。

現時点で、こういうことを言うのも白々しいのかも知れませんが、テーラワーダ仏教に則った
心の実践を自分なりにしてみて、
やはり以前の己の精神状態、心身の状態と比較すると
だいぶ「楽」になりました。
「成長」したという実感はありません。
以前ならちょっとしたイヤなイベントに遭遇したら
「落ち込み地獄」に突入してしまい、
そこから何日も、何週間も抜け出ることができなかったり・・・
でも今はそういうことが(ほとんど)なくなりました。

しかし、瞑想修行も慈悲の瞑想も、
テーラワーダの教えの勉強も
まだまだマダマダ足りないと痛感しております。
ワンギーサ比丘様から頂戴したアドヴァイスの通り
まずは歩行のヴィパッサーナを
徹底してやることからリトライしたいと思います。
常にリトライ精神で臨みます。
決して負けたくありません。仏教は負けず嫌いでしたっけ。

ご回答、本当にありがとうございました。

当ブログ、最近になって過去ログから拝読させていただいてますが、
私には内容が難しく感じます。
頑張って毎日少しずつ読み進めていって
読破していきたいと思います。
櫻井由紀
2013年05月18日 16:43
以前私は音の仕事をしていましたが、
今ではその音の世界を
スッキリ、サッパリ
きれいに捨てちゃて
気分爽快です!
もう戻りませんよ、絶対に!
お釈迦様ありがとうございます。
静まり
2013年05月18日 17:47
私も、
まだよく分からない解脱を求めるよりは、
現実的にできる事を改善していって、
成長していきたいと思っています。

不安になっても、
欲と欲のぶつかり合いで
誤魔化さないで、
瞑想実践に励みたいです。

他のみなさんと同じように
頑張りたいと思います。
よろしくお願いします。
SRKWブッダ
2014年07月25日 18:43
仏道とは、静けさを目指し、静けさが次第次第に増し、(因縁を生じて)ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至る道である。

したがって、静けさを損なうものは何であれ、たとえそれが立派な修行者であっても、道の歩みを損なうものとなる。つまり、利益(りやく)よりも害が大きい。その一方で、孤独の境地に励むことは、実は害よりも遥かに利益(りやく)の方が大きい。──ということである。

***
こころざし
2016年02月29日 07:27
ご縁の機会を頂ける事は、どのような意味でも勉強の機会になると実感しています。その中で出来る範囲で善行為をして、そして執着しない、そして自分の修行を進める、そんなスタイルでやらせて頂きたいです。幸いダンマサークル準備会のご縁を頂いています。今職場事情で遠くに行けないため、地元で出来る事を実践して参りたいです。