群れ離れ 巨大な象が 困難を 物ともせずに 一人で歩く<53>

○少年少女のためのスッタニパータ53
・・・
インドの荒野には焼けるような暑さも
裸では堪えられない寒さもあり、
食べるものや水も少ない。
あぶや蛇などもいる。
・・・
群れを離れた巨大な象は
苦しみに耐えるというよりは、
楽し気に心の平安を保っている。


53.第1 蛇の章 3.犀の角経 19

○毎田周一先生訳
背のよく発達した斑紋(ハンモン)のある
大きな象が ひとり群れを離れて
自ら楽しみながら森を歩き廻るのと同じく
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、
その群を離れて、
欲するがままに森の中を遊歩する。
そのように、犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
肩が立派に生育した、蓮華〔の紋〕ある巨象のように、
諸々の群れを避けて、
喜びのままに、林に住み、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
ナーゴーワ    ユーターニ   ウィワッジャイトゥワー
Nāgova       yūthāni      vivajjayitvā,
象は ように    群れを      離れて 

サンジャータカンド   パドゥミー   ウァーロー
Sañjātakhandho    padumī     uḷāro;
大きく発育した肩    蓮        広大な

ヤタービランタン    ウィハラン   アンニェー
Yathābhirantaṃ    viharaṃ     araññe,
喜びのままに      住み       荒地に
エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
Eko       care     khaggavisāṇakappo.
一人で     行こう     犀の角のように


○一口メモ
今日の偈は昨日の偈の続きと考えてください。
昨日の偈では「寒さと暑さと飢ゑと渇きと風と太陽の熱とあぶと蛇と これらすべてのものに堪えて」とありました。インドの荒地はこれらの要素をすべて備えています。巨大な象は群れから離れて、困難に堪えるというよりは楽しんでそこに住んでいるのです。ブッダの御姿を象徴しているようであります。

その訳を紹介している毎田先生は、この52(18)番と53(19)番の偈について次のような最大の賛辞を述べています。

「小欲知足の具体的風姿をここに見なければならない。18、19と重ねて、この両ガーター(偈)の表現がいかに詩的であるか、否、すぐれた美しい詩であるかを、私は味ふ。これを詩といわずして何ぞといい度い。例えば西東詩編をかいたゲーテに、かくの如き詩を、否、犀の角の経をみせたならば、いかに驚愕したことであろう。彼は少なくともこれらの詩を解し得る西欧の稀な人の一人であると信ずる。」

この二つの詩をもう一度毎田先生の訳で掲載しますので、味わっていただきたいと思います。

寒さと暑さと飢ゑと渇きと
風と太陽の熱とあぶと蛇と
これらすべてのものに堪えて
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう

背のよく発達した斑紋(ハンモン)のある
大きな象が ひとり群れを離れて
自ら楽しみながら森を歩き廻るのと同じく
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


象は忍耐の象徴のようです。ダンマパダの次の詩も参考にしてください。またブッダの使われる忍耐という言葉は苦しいのを我慢すると意味よりも、心の平安を保つという意味であることも知っておくとよいと思います。そのことはあんさんの次のブログ記事に述べられています。
http://77713696.at.webry.info/201207/article_6.html

戦場で 弓で打たれた 象のよう 誹謗する人 私は耐える(320)
http://76263383.at.webry.info/201212/article_21.html


寒暖や 飢えや渇きを 堪え忍び 小欲知足 一人で歩く<52>

群れ離れ 巨大な象が 困難を 物ともせずに 一人で歩く<53>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月27日(月)から6月2日(日)まで、ワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するため、ゴータミー精舎における朝晩の自主瞑想会はお休みいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

みき
2013年05月23日 05:59
おはようございます、ワンギーサ先生。
『犀の角のように一人歩む』ような強さには憧れますね。私は少しでもいいから、自分の出来ることをしながら、頑張ります。仏教でいう強さとは、世間一般でいう強さとは違うと思います。例えば、漫画に出てくるヒーローの強さとは、文字通り、相手との戦いにおいての強さです。それら漫画内では正義の下における、相手を打ち負かす暴力は肯定されています。仏教でいう強さとは自分に打ち克つ強さだと思います。果たして現代社会には、忍耐強い象徴である象のような、精神力があって度量がある人はいるのでしょか?居られるならお会いしたいものです。
noritarou
2013年05月23日 11:22
ワンギーサ先生、みなさん、こんにちは。

私たちがいる世界は、たくさんの欲望を煽ってくれます。
どんなときも欲望の対象を変えることで、刺激を求め、輪廻のワナにはめられているように感じます。
生き物は、目の前の苦しみを乗り越えることで生きています。
その苦しみは、生きている間じゅうずっと来ます。
人間はそれら苦しみを持ちつつ、平安でありたいと願いますが、その転換方法を智慧と呼ぶのだと思います。
この詩では、智慧の象徴は「犀の角」「1」ということだと思います。

以下は、同じような意味に取れたので書かせて頂きました。
群れを離れる=人と離れた静かな所に住む
大きく発育した肩=地の中に打ち込まれた柱が、四方からの風に揺るがないように

カンティーとティティッカーについて、パーリ経典「諸仏の教え」に書かれていました。
http://www.j-theravada.net/pali/key-buddhanu1.html
櫻井由紀
2013年05月23日 12:23
天才作家三島由紀夫が崇拝してやまなかった
ドイツの天才作家ゲーテは
私も三島由紀夫の影響から
戯曲「ファウスト」や詩集を少し読んでみまして
その頃は未だテーラワーダ仏教に出会う前で
それらを興味深い作品だと感じていましたが
もし今手に取ったなら
恐らく全く違った印象を持つと思いますが、
毎田先生が述べられた賛辞を
凡夫である私の浅い知識と
有るか無いか分からない程度の智慧でもって
いくばくか同感出来る幸福を
ありがたく頂戴いたします。
しかしこの「蓮」と言う単語で見事に
前のガーターとの対比に成功していて
前のガーターの太陽、熱、毒など
「ドライ」=「苦」の表現に対して
次の蓮、象、森などで
「ウェット」=「幸福」と言う境地を
最上級表現をされているのですね。
真理を最高美で教示出来るのは
やっぱりお釈迦様だけですね!




静まり
2013年05月23日 14:37
心の環境、心の波を落ち着けて、無執着の気持ちで冷静にリラックスして、その都度その都度、確認作業を行います。

暗いイメージで我慢するのではなく、明るいイメージで忍耐して、今どうすべきかを課題にします。

心の平安や平和、安穏を楽しむ者として住みます。
カエルくん
2013年05月23日 21:11
こんばんは。
ここしばらくいろいろあって家族に振り回されていましたが、今日、ちょっとだけふっきれました。歳をとった親のお世話は義務ですが、兄弟や友人たちとの付き合いは最小限にして、徐々に一人の時間を増やして行こう、親を見送った後は一人で暮らそう、と思います。ちょっとずつ、皆から離れる準備をして。
こころざし
2016年03月02日 09:31
色々な困難な状況に陥るのが日常と思います。その中で楽し気に心の平安を保てたら、それはとても幸いな事と思います。
職場で言いがかりや事実と違うことで犯人状態にされ嫌な思い先日しましたが、それも「だから何」となれたらどんなに幸せか・強いか、と思った事があります。
心を成長させて、そうなれるように努めたいです。