集会を 楽しむ人は 解脱ない ブッダの言葉で 一人で歩く<54>

○少年少女のためのスッタニパータ54
・・・
あんまりおしゃべりをしていると
自分の心がお留守になって
空っぽの人間になることを
知っていますか?
ときどき、黙って
自分の心がどうなっているか
観察してください。


54.第1 蛇の章 3.犀の角経 20

○毎田周一先生訳
人と一緒にゐることの好きな者は
しばらくの間も解放されてゐることが出来ない
「太陽の親族」(仏陀)の言葉に耳傾け乍ら
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
集会を楽しむ人には、
暫時の解脱に至るべきことわりもない。
太陽の末裔<ブッダ>のことばをこころがけて、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
〔他者との〕社交[まじわり]を喜ぶ者には、
〔彼が〕暫時の解脱に触れるであろうような、その状況は〔存在し〕ない。
太陽の眷属(ブッダ)の言葉をこころして聞き、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
アッターナタン     サンガニカーラタッサ
Aṭṭhānataṃ       saṅgaṇikāratassa,
その根拠はない    集会を  楽しむ人には

ヤン   パッサイェー    サーマイカン   ウィムッティン
yaṃ    phassaye      sāmayikaṃ    vimuttiṃ;
ことは   達するだろう   一時の       解脱に

アーディッチャンドゥッサ   ワチョー   ニサンマ
Ādiccabandhussa       vaco     nisamma,
太陽の眷属(仏陀)の    言葉を   注意して(聞く)

エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で    行く      犀の角のように


○一口メモ
この偈の意味を普通の文章で書けば次のようになります。「人と一緒にいることを楽しむ人は、短時間の解脱、心から煩悩がなくなり、心が完全に解放され、自由になる状態を経験することはない」というブッダの言葉を真剣に学んで、人との交際から離れて、犀の角のように一人で歩くということになります。

三行目の「太陽の眷属」とはゴータマ・ブッダのことを指しています。また「太陽の眷属の言葉」とは、すでに述べましたが、再度繰り返せば「人と一緒にいることを楽しむ人は、一時的な解脱も経験できない」ということです。

ここで、なぜ、人と一緒にいることを楽しむ人は解脱できないのか考えてみましょう。

解脱するとは、心の汚れ(煩悩)をなくし、心を完全に清らかにすることです。しかし、人と一緒にいると、意識は心の外へ向かい、自分の心が汚れているかどうかわからない状態になります。そうであるならば、心の汚れに気付くことができないのです。心を完全に清らかにすることができないのです。ちなみに、人と一緒にいることを楽しまない人は、人と一緒にいても、自分の心に意識を向けることができます。そのような人は心を清らかにできると思います。


集会を 楽しむ人は 解脱ない ブッダの言葉で 一人で歩く <54>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月27日(月)から6月2日(日)まで、ワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するため、ゴータミー精舎における朝晩の自主瞑想会はお休みいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

みき
2013年05月24日 06:27
おはようございます、ワンギーサ先生、みなさま。
私は未熟者で、一人生活することは寂しく感じてしまいます。

心の何処かで、伴侶をさがしている自分に気付くことがあります
それがいけないかどうかは分かりません。

今後、縁があり、家族を持つことがあっても、一日最低2時間は一人の時間を作り、瞑想に勤しんでいきたいと思います。
カエルくん
2013年05月24日 10:27
こんにちは。
介護職のせいか、頼まれやすい性格のせいか、身内や友人から病人の看病や子守りなどを休みなく頼まれます。
昨日、母に、「出来ないことは断っていいんだよ」と忠告をされて、その瞬間心がぱっと変わるのを感じました。
これまで、人の困りごとと、自分の困りごとと区別がつかないようなところがあったのですが、これからは周囲と心の距離をとっていけそうな気がします。
うまく説明できないのですが、人の輪の中にいても、一人を守れる、というか…。
相変わらず、頼まれごとは続き、出来る限り引き受けていくと思いますが、これまでのように心までくたくたになることは減っていく気がします。
そして最後はやはり独り暮らしをしたいです。
一人でいても生命のネットワークの中にいることを、忘れなければよいのではないかな、と。
ワンギーサ
2013年05月24日 10:56
カエルくん、おはようございます。

最近のあなたのコメントが少し気になっていました。
ダンマパダの166番が、今のあなたに参考になると思います。
是非再読してください。
「人のため 自分の目的 捨てるなよ 目的よく知り 専念すべき」(166)
http://76263383.at.webry.info/201208/article_15.html

三宝のご加護がありますように
幸せでりますように
櫻井由紀
2013年05月24日 12:00
虚栄心やら自尊心やら独占欲やら
主観から来るありとあらゆる感情が
どんどんどんどん際限なく心に溶け出し
一つ消えたら次、消えたら次と
終わり無く溶け出し続け、
それらを外に向かって吐き出すから、
吐き掛けられた相手はたまったもんじゃなくて
相手もまたそれをただの「音」であると
捉える事も無いから、その汚れが
相手の心に感情のまま溶け入ってしまい・・

何の意味も無い、解決に導くことも無い
言葉の陳列的会話が延々と続く。
この意味の無い言葉の展覧会で
相手との絆を深めたと勘違いする。

吐き出し続けなければならない程
汚れた心所で満タンになっている心は
それがあるから苦しいのであって
心自体を滅尽すれば問題は解決しますね。
そうなる様に努力すれば良いのですけれど
並大抵の中途半端な努力では
到底到達することは出来ませんね。
「孤独」を「孤立」と捉えるか
「孤高」と捉えるか。
己の臆病さからそれを「孤立」ととらえ
それに恐怖する様であると
「真理の極み」を味わう事は不可能でしょうね。
お釈迦様の御教示を無駄にしないよう
努力しようと思います。
カエルくん
2013年05月24日 13:08
ワンギーサ先生、こんにちは。
お返事をありがとうございます。
ご心配おかけしてしまってすみませんm(__)m

ダンマパダ166番、再読しました。
人の思惑に惑わされがちなのは、優柔不断な性格のため、との解説に、大変納得しました。
頼まれごとを断るのは嫌なものですが、無理なことは無理とはっきり断っていこうと思います。
まず自分を大事にすることが、基本ですよね。
静まり
2013年05月24日 17:50
一人でいる時も、人と一緒だったことを思い出して、楽しかったり、面白かったり、落ち込んだり、後悔したりします。

現実に立ち返って、過去の私はもういない、瞬間瞬間別の自分ということで、「心を完全に清らかにする」「苦しみをなくす」という目的のもと、妄想せず悩まないで、明るい気持ちで今やるべきことができますようにと、ここに誓願をいたします。
質問
2013年05月25日 00:02
ブッダは集団生活をしていますよね。
他者を思いやらず、自分だけの瞑想の世界は、大乗仏教ではなく、二乗ですよね。
こころざし
2016年03月02日 09:38
以前は孤独と暇が嫌で、仲間とやる事を求めてさ迷う自分がいました。
今はそんな孤独と暇を卒業して、修業を進めて参りたいです。
そして何かで誰かにお会いするときは、自分の心が乱れないように・慈しみの実践が出来るようにしたいです。