子も妻も 父母及び 財産も すべてを捨てて 一人で歩く<60>

○少年少女のためのスッタニパータ60
・・・
欲望を満たすことが
幸福ではなく、
苦しみの原因だと知ったら、
欲望を捨てますか?


60.第1 蛇の章 3.犀の角経 26

○毎田周一先生訳
子も妻と父と母も
財産も穀物も親族も
色々の欲望も すべてを捨てて
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
妻子も、父母も、
財産も穀物も、親類や
そのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
子と妻、父と母、
諸々の財産、諸々の穀物と、諸々の眷属と、
限りあるかぎりの諸々の欲望〔の対象〕を捨てて、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
プッタンチャ   ダーラン   ピタランチャ   マータラン
Puttañca     dāraṃ     pitarañca    mātaraṃ,
子   と     妻       父   と     母

ダナーニ   ダンニャーニ   チャ   バンダワーニ
dhanāni    dhaññāni     ca    bandhavāni ;
財産      穀物        と    親族

ヒトゥワーナ   カーマーニ   ヤトーディカーニ
Hitvāna      kāmāni     yathodhikāni,
捨てて       欲望      ある限りの
エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko       care     khaggavisāṇakappo.
一人      行こう    犀の角のように


○一口メモ
昨日の偈はでは、「世の中の遊戯や娯楽に、満足することなく、心をひかれることなく」でありましたが、今日の偈はもっと具体的に、「妻子、父母、財産、穀物、親族まで、人間が一番大切だと思い、執着している対象を捨てて、さらにそのほかのあらゆる欲望を捨てて」とまで述べられています。

同様な趣旨の詩がダンマパダにもありますが、ダンマパダでは、条件が付いているのです。これは在家の信者さんに対する配慮が感じられます。
仏教徒 法に反して 望まない 子供と財産 権力などを(84)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_29.html

しかし、このスッタニパータの偈では、単刀直入です。苦しみの原因が渇愛(欲望)に有ることが分かったのですから、すべての苦しみをなくすためには、すべての渇愛(欲望)をなくす必要になるのです。ブッダの教えることを端的に示せば、今日の偈になるのです。

ダンマパダで「仏教は何か」の答えを探すとすれば、183番だと思います。
一切の 悪を為さずに 善をなせ 心を清めよ これが仏教(183)
http://76263383.at.webry.info/201209/article_1.html

一切の悪行為を行わないこと。
善に至る(善行為を行う)こと。
自らの心を清めること。
これが仏陀たちの教戒である。


しかし、スッタニパータで「仏教は何か」の答えを探せば、この偈60番になるのではないでしょうか。
実に、強烈なメッセージですが、真理ですから、真理を知った人は従うのです。

子も妻と父と母も
財産も穀物も親族も
色々の欲望も すべてを捨てて
犀の角のようにただ一人歩いて行こう


子も妻も 父母及び 財産も すべてを捨てて 一人で歩く<60>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月27日(月)から6月2日(日)まで、ワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するため、ゴータミー精舎における朝晩の自主瞑想会はお休みいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

noritarou
2013年05月30日 11:50
私たちはあらゆるものに意味を見いだし、心のままに、執着しようとします。
すべての煩悩、欲望、ある限りの渇愛を元からなくすこと、
悪から離れること、
心を清らかにすること、なのですね。
私の心は、それをとても嫌がりますが、
無明を滅し、行から離れ、目覚めていることは、本当の幸福論だと思います。

運命論、実体論ではなく、理性をもとに幸福を歩む仏道は、人類の支えだと確信しています。
これからもワンギーサ先生にならい、精進します。
櫻井由紀
2013年05月30日 12:03
「出家」と言う
最終的な決断は、
どんな選択も
どんな行為も
どんな決断も
これを凌駕する事は
不可能であると極言します。
だぶついた道徳的判断で下せる
決断ではないのです。
自己保身に最高価値を置く様な
混乱した心では
到底理解出来ませんね。

自己を崇拝する人、
真理を崇拝する人。

幸福に生きるために
着々と準備をしていきます。
出家するにはまだまだ
修行が足りない私です。
kumetsu
2013年05月30日 12:14
(1)「妻子も父母も・・・、何もかもを捨てて」というのは、自分のエゴに基づく執着心を完全に捨てて、という意味であって、決して責任放棄を勧めているわけではないと言うべきです。

仏教はあらゆる苦を無くすことを目指しますので、苦を増やすことは避け、苦を少しでも減らし、できれば苦を無くす、ということが絶対的な善になります。反対に苦を増やすのは悪ですから当然に避けなければなりません。私の下にある苦しみ、あなたの下にある苦しみ、彼・彼女の下にある苦しみ、誰かの下にある苦しみは、全て苦しみであることに変わりはなく、いずれも減らすべき、無くすべきものなのです。

問題は、具体的に存在する個々の苦を減らし、無くしていくために、誰が責任をもって対処するのが適切か、ということだと思います。病気の親や扶養しなければならない妻子がいて、彼らが自力ではやっていけず、しかも自分の他には面倒を見る人がいないという場合に、親や妻子を放っておいて何らの手当てを施すことなく自分だけ出家してしまい、親や妻子の苦しみは無視する、というようなことは当然に悪であって、避けなければならないと思います。

kumetsu
2013年05月30日 12:19
(2)ただし、誰の下にある苦しみも、その苦しみの根本的原因を除去して完全に無くすことができるのは、その苦しみを直接管理下においている自分だけです。たとえブッダと言えども、相手の意思を無視してその苦しみを除去して一方的に救済することはできないと思います。
自分の苦しみを完全に無くすには自分の心の奥底から納得して(智慧を得て)、自発的に自分自身の欲・執着を全て捨てきらなくてはならない(自灯明)、という厳然たるダンマ(自然法則)があるのだと思います。

そのための唯一の方法が八聖道です(法灯明)。

私にとっては、「犀の角のように一人で歩む」とは要するに「八聖道の実践に励む」ということだと理解しています。

皆様に智慧の光が輝きますように
生きとし生けるものが幸せありますように
こころざし
2016年03月04日 07:32
私事ですが、母が小金持ちで何かの時にはまとまったお金を頂いた事があります。母の何かの時に使おうとそのまま貯金しています。
もしその財産に依存した場合、日常のライフサイクルが容易に破たんすると思います。また身の丈を超えた車等を持った場合、維持が困難になると予想されます。
全てを捨てて執着せず、本当に必要なものを所有して、そして精進して参りたいです。