人は皆 交際すれば 情ができ 苦労するので 一人で歩く <36>

○少年少女のためのスッタニパータ36
・・・
むかしから恋は盲目
あばたもえくぼと言われるように
恋する人は見えません。
愛する人のいない修行者は幸いです。


36.第1 蛇の章 3.犀の角経 2

○毎田周一先生訳
人と触れ合へば愛着が生じる
その愛着からこの苦しみが生じる
愛着のもつ危険を見抜いて
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
交わりをしたならば愛情が生じる。
愛情にしたがってこの苦しみが起こる。
愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
〔異性との〕交わりが生じた者には、愛執〔の思い〕が有る。
愛執〔の思い〕に従い、この苦しみが生起する。
愛執〔の思い〕から生じた〔この〕危険を〔あるがままに〕見る者は、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文
サンサッガジャータッサ   ババンティ   スネーハー
Saṃsaggajātassa       bhavanti    snehā,
交際が生じた者には     ある       愛情が

スネーハンワヤン   ドゥッカミダン     パホーティ
snehanvayaṃ      dukkhamidaṃ    pahoti;
愛情に従って      苦     この    生じる
アーディーナワン   スネーハジャン   ペッカモーノー
Ādīnavaṃ     snehajaṃ       pekkhamāno,
苦労を       愛情から生じた   観察する者は
エコー    チャレー   カッガウィサーナカッポー
Eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人で  行こう   犀の角のように


○一口メモ
この偈では、ことの起こりを順番に述べられています。人が交際します。交際の始まりは五種類あると注釈書には書かれています。相手を見て、相手の声を聞いて、相手にさわって、相手と会話して、相手と会食してなどです。いずれにせよ交際が始まると、愛情が生まれます。皆さんもその通りだと思うでしょう。しかし、普通は次の過程が見えなくなる、あるいは見なくなるのです。

その過程をありのままに観るならば、この偈に述べられている通りに、愛情に従って苦しみが生じるのです。交際する二人は別の人間ですから、趣味や好みやが異なります。ですから必ず意見が分かれるのです。意見が分かれるとそこに対立が生まれ、苦が生じるのです。これが愛情から生じる苦労、禍、危険です。

これらの愛情から生まれる苦労を避けようとする者は、愛情が生まれる交際を避けて、犀の角のように一人行くのです。

恋は盲目、あばたもえくぼと言われるように恋愛する人は、事実が見えなくなりますから、苦しみながらも苦しみの原因が分からず、交際を続けるのです。この点になると多くの人々は納得いかなくなり、このような偈を読むと、仏教が嫌いになるのです。


人は皆 交際すれば 情ができ 苦労するので 一人で歩く <36>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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お釈迦様の祝祭日を皆でお祝いしましょう!!!

ウェーサーカ祭

関東方面
2013年5月12日(日)
午前ゴータミー精舎で食事のお布施
午後 渋谷区立文化総合センター大和田さくらホール。入場無料。予約不要。
詳細:http://extech.xsrv.jp/wesak2013/

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この記事へのコメント

カエルくん
2013年05月06日 07:50
おはようございます。
結婚する予定の人がいましたが、いろいろあって別れました。付き合っていたころより、今の方が身軽です。自分としては楽なのですが、自前の家庭を持たないことは、反社会的なのかな、と思う日もあります。
でもとにかく、付き合っている間のいろいろな束縛から、解放されたことは確かです。
みき
2013年05月06日 12:03
こんにちは、ワンギーサ先生。
世間では『結婚しなくては一人前でない、』『子どもを育てないと人間について語れない』などと言われることがあります。仏教はそういった世間とは正反対なことを述べていますよね。それが修行する身には最適なんでしょう。結婚について、深く考えさせられるような仏陀の言葉ですね。
てくてく
2013年05月06日 12:42
こんにちは。
野生のサイを見たことがないので、どのような様子なのか、あまりよく分からないでいます。
でも、そばに何人いるかという人数的なお話ではないのだろうと思いました。
私という意識があるときは、どこで何人と居ようと、”独りぼっち”になるんじゃないかなあと思います。私という意識がないときは、どこに一人でいようと、”独りぼっち”にはならないのだろうと思います。
この詩の”一人歩め”は、どんな時も、どこに居ても、”独りぼっちにならない方法”を教えてくれているのかなあと思いました。

生きとし生けるものたちが幸せでありますように。

櫻井由紀
2013年05月06日 17:05


俗世間の人間同士の関わり合いの中で
慈悲喜捨と言う四無量心で
人間関係を築こうとするのは
本当に大変です。
特に「捨」の心で人と接すると
「ドライな人」
「何だか距離感を感じる」
「一体どっちの見方なんだ?」
と言う感情を持たれる事も結構あり
「自分の妄想思考に共感してくれない
つまらない人」と
結論付けられる事が多い様に感じます。
世間では「捨」の心は中々理解されず
受け入れられず、
逆に誤解を招いたりします。
ですから一方的に偏らず
偏見を無くそうと
努力すればするほど
社会のグループからはじき出され
どこにも属さない
「宇宙の中のただの一生命」
と言うのを実感します。
お坊様方の高い次元の生では
こんなことは、とるに足らない事ですが
凡人の私にはまだまだ修行が必要です。
精進努力いたします。
水口かよこ
2013年05月06日 17:38
慈しみの心で、結婚して、子供も産んで、育てて、何の問題もありません。

生きていく中で仏教があります。

それぞれの生き方があり、そこに仏教があるかです。

仏教を知ってなくても、清らかな心で生きれば何も問題ありません。

仏教を知らなくても、今の生活態度でよくない点があること、汚れている心があることも、皆知ってます。

一個でもいいから直したり、変えたり、捨てたり、実行したりしてみれば、次の課題も見えてきます。
静まり
2013年05月06日 20:50
恋愛から友情へ (欲から無欲へ)。

愛情、依存、期待はずれの苦しみ関係ではなく、
怒り無く・不害・無嫉妬・無貪によって、
(個々人で)明るく仲良く生きていきたいです。

「相手を見て、相手の声を聞いて、相手にさわって、相手と会話して、相手と会食してなどです。」
の所は、眼耳鼻舌身意に触れて快・不快が生じて、感情が変化生滅しつつあることに気づいていきたいです。
はじめて投稿します。ナットウ
2013年05月07日 05:27
新郎新婦に『相手の何が好きか?』とたずねると
『全部』と返事がくるものです。時に盲目にならねば先に進めない事もあるのかなあとも思う。お釈迦様は逆のことを述べられておられるようで、世間知とは違うようですね。
人間って何なのかこれからも深め学びたい
こころざし
2016年02月25日 20:19
現在家庭があり子供がいる今の生活の中で、もしさらに女性と交際しようみたいな願望を持つと、色々な意味で苦労をする事になると思います。
そのようなものは捨てて、自立して一人でも修行を進めれるようにしながら成長して参りたいです。