慈悲喜捨の 心を育て 解脱して 自由自在に 一人で歩く<73>

○少年少女のためのスッタニパータ73
・・・
慈とは幸せになってほしいという気持ち
悲とは苦しみがなくなってほしいとい気持ち
喜とは嫉妬のない共に喜べる気持ち
捨とは冷静で分け隔てのない気持ち


73.第1 蛇の章 3.犀の角経 39

○毎田周一先生訳
慈しみと安らぎと哀れみとのどけさと
心の優しさとの中にいつもありながら
しかも一切の世事に煩はされず
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
慈しみと平静とあわれみと解脱と
喜びとを時に応じて修め、
世間すべてに背くことなく、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
慈愛〔の心〕(慈)、放捨〔の心〕(捨)、慈悲〔の心〕(悲)を、さらには、歓喜〔の心〕(喜)を、
〔これらの四つの無量なる心による〕解脱を、〔正しい〕時に〔常に〕習修している者として、
一切世〔界〕に遮られずにいる者として、
犀の角のように、独り、歩むがよい。(39)


○パーリ語原文
メッター   ウペッカン   カルナン   ウィムッティン
Mettaṃ    upekkhaṃ    karuṇaṃ    vimuttiṃ,
慈しみを   平静を     憐れみを   解脱を

アーセーワマーノー   ムディタンチャ   カーレー
āsevamāno        muditañca      kāle;
修習しつつ       喜びとを      応時に

サッベーナ    ローケーナ    アウィルッジャマーノー
Sabbena     lokena        avirujjhamāno,
一切の      世間の       妨げられることなく

エーコー  チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko      care    khaggavisāṇakappo.
一人     行こう   犀の角のように


○一口メモ
仏教を二言で説明してくださいと言われたら、「慈悲と智慧の教えです」と答えます。昨日の72番の偈では、獅子の牙の譬えで、仏教の智慧について述べられていました。今回の73番の偈は慈悲について述べられています。

慈悲は無量心と言われます。無量心とは、限界がない大きさの心という意味です。無量心には、慈(慈しみ)の心と悲(憐れみ)の心の他に、この偈にあります喜(喜び)の心、捨(平静)の心もあります。これらを合わせて、四無量心とも言います。慈悲喜捨の心を修習すると、心の解脱を体験できるのです。解脱とは何者にも囚われのない心の状態です。

このような心の状態の人には、他人を自分と対立させる自我がありません。そのような人は回りの人々と諍いや不和がありません。ですから、この偈の三行目にあるように、「一切の世間に、妨げられることがない」のです。

慈悲喜捨すなわち、この四無量心を育てる「慈悲の瞑想」については、このブログで度々述べましたから、ブログ内検索で検索して調べてください。また毎日の記事の最後には人生の万能薬(慈悲の瞑想)として、掲載しておりますので、改めて確認してください。

慈悲の瞑想は、智慧を養成するヴィパッサナー瞑想に比べると容易に実践できる瞑想です。いつでも、どこでも、身体の調子の悪い時でもできます。しかも、その効果、功徳は誰も想像できないほど大きなものなのです。はじめはそれを信じられない方でも、実践すればわかります。普通はすぐにわかりますが、すぐに分からない方も続ければ、短期間で感じられます。


慈悲喜捨の 心を育て 解脱して 自由自在に 一人で歩く<73>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

なお
2013年06月12日 09:08
おはようございます。
はじめてコメントさせていただきます。
一年程前からブログを読ませていただいてます。
先日のワンギーサ先生が書かれた、世の中では不条理などと騒いていることがありますが、すべて原因があって結果があるのです。一切の不思議はない・・・。いつも、頭では理解していたつもりですが、やっと今、心が解放された気持ちです。(すみません。何を言っているのか。)随分、ワンギーサ先生のブログには助けられました。これからは、やっと慈悲喜捨を少しでもこころがけたいと思います。いつもありがとうございます。
櫻井由紀
2013年06月12日 11:37
まるで芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」に出てくる
お釈迦様が下ろした蜘蛛の糸の様な
「命綱的役割」を果たしてくれた
「慈悲の瞑想」でした。
大きな底無しの穴に足をすべらせて
垂直下降し始めようとしている相手に
自分の足首をつかまれ
道連れにされそうになっていました。
しかし今ではもう「慈悲の瞑想」は
単なる「命綱」ではなくなり
むしろお釈迦様が下ろしてくださった
「真理の糸」だと理解し
それをどんどんどんどん登って
お釈迦様の「掌」に乗れる様に
頑張ります。

生きとし生けるものが幸せでありますように

ぽん母さん
2013年06月12日 22:08
慈しみの瞑想を昼夜問わず暇さえあれば実践しています。
最近、動物が近づいてくるようになりました。
公園で息子と遊んでいると、鳩が私の頭や肩にどんどん乗ってきます。
知らない犬や猫も遊びに来ます。
でも、蚊もめちゃめちゃ来るんですよね~。
私が叩けないのを知っているからでしょうか?
しょうがないので、吸われています。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
2013年06月13日 20:03
最近苦しみがあり、どこにも行けない状況です。この病気を治す薬を求めに、苦しみながらこのブログにきました。切羽詰ってます。先生は、ブッダの教えにとても感動していますが、私もそれほどお釈迦様のありがたさがわかれたらいいなと思いました。ブッダの教えに、仏法僧に感謝します。
こころざし
2016年03月08日 07:29
慈悲の実践をすると、相手に敵対する気持ちが生まれにくくなると感じています。そして一体で区別しないような、自我が減るような印象を受けます。
慈悲喜捨の実践、やって参りたいです。