戒律を 守るふりして 傲慢で 自制ない者 道汚す者<89>

○少年少女のためのスッタニパータ89
・・・
ごまかして、ほめられて
うれしいの?
自分がみじめだと
思わない。


89.第1 蛇の章 5.チュンダ経 7.

○毎田周一先生訳
正しい行ひをしてゐる者のやうに見せかけて
内心は図太く 在家の生活を汚し あつかましく
偽善者で 自分の身は修まらぬのに 口達者で
しかも殊勝らしく振舞う者 彼が「道を汚す者」である


○中村元先生訳
善く誓戒を守っているふりをして、
ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、
いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、
しかも、まじめそうにふるまう者、──かれは<道を汚す者>である。


○正田大観先生訳
善き掟の者(出家者)たちの覆いを作り為して(善人のふりをして)、
傲岸で、尊大で、家を汚す者――
幻術師(偽善者)で、自制なく、籾殻〔のような者〕――
〔いかにも〕それらしい形態で行じおこなう者――彼は、道を汚す者です。(7)


○パーリ語原文
チャダナン    カトゥワーナ    スッバターナン
‘‘Chadanaṃ    katvāna      subbatānaṃ,
覆いを       作って       善い戒を守る者の

パッカンディー    クラドゥーサコー    パガッボー
Pakkhandī       kuladūsako       pagabbho;
入り込み        家門を汚し       あつかましい

マーヤーウィー   アサンニャトー    パラーポー
Māyāvī         asaññato       palāpo,
欺瞞者で       自制なく        おしゃべり

パティルーペーナ     チャラン    サ     マッガドゥースィ
Patirūpena         caraṃ      sa     maggadūsī.
ふさわしさによって    行いつつ    彼は   道を汚す人


○一口メモ
この偈は、私たちのものの見方を教える重要な偈です。
戒律を守っているふりをしている出家者、図々しく、在家の生活を荒らし、自制心のない、おしゃべりで、まじめそうに振舞う出家者がいます。それらの者は、出家者とは名ばかり、実際は出家者とは言えないのです。一応第四の出家修行者「道を汚す者」というのです。

ここで、第四の出家修行者「道を汚す者」がいるから、出家修行者は信頼できないとなってはいけないのです。例えば、悪い日本人がいるから、日本人は悪いと決めつけるのは間違った判断です。そのように「道を汚す出家修行者がいても、第一、「道の勝利者」、第二「道の説示者」、第三「道に生きる者」が本来の出家修行者であり、第四「道を汚す者」は、出家者修行者とは言えないのですから、本来の出家修行者に対する尊敬と信頼を失ってはいけないのです。

もう一つ、重要なことは、第四の「道を汚す者」を自分とは違う人々であると思うことは自省のない態度は非常に危険なのです。修行中の修行者はまだまだ多くの煩悩があるのです。いつ何時、自分が「道を汚す者」になっているかもわかりません。例えば、図々しく、自制なく、おしゃべりな態度をとっているかもしれません。ゆめゆめ気付きを忘れることがないように注意が必要です。


戒律を 守るふりして 傲慢で 自制ない者 道汚す者<89>


○三十七菩提分法の解説(一回目)
昨日述べましたように、三十七菩提分法は7項目(1.四念処、2.四正勤、3.四如意足、4.五根、5.五力、6.七覚支、7.八支道)あります。今日は一番目、四念処についてです。

1.四念処とは、ヴィパッサナー瞑想における四つの観察対象、すなわち、身(身体)、受(感覚)、心(行為の原因)、法(法則)を言います。以下の説明は大念処経及び念処経などに書かれている全面的なものでなく、私の考える要点のみを記載するものです。詳しくは上記経典をお読みください。

1.身念処:自分の身体と自分の身体の動きを観察すること。身体は具体的な形があるために観察しやすい。また自分を観察するとはどのようなことか理解しやすい。歩く瞑想では身念処を中心に行います。

2.受念処:感覚の観察です。座る瞑想では始めこの感覚の観察を中心に行います。感覚には、目、耳、鼻、舌、身、意がありますが、意は心の感覚器官ですから、次の心念処に入ります。この五感官から、色(形)、声(音)、香(匂い)、味、触(身体感覚)を観察するのです。その際、それぞれの感覚において、苦(不快)、楽(快)、不苦不楽(快でも不快でもない)を観察します(感じる)。これは大切なことです。苦から心に怒り現れ、楽からは心に欲が現れ、不苦不楽からは心に無知が現れるからです。

3.心念処:心を観察することです。心に欲があるかないか、怒りがあるかないか、無知があるかないか、憂いがあるか、清らかな心かどうか、落ち着いた心かどうか、解放された心かどうなどを観察します。

4.法念処:法(真理、法則)を観察すること。これは身、受、心の観察において観察するのです。特別に法を見るということではありません。経典にはそれを、五蓋、五蘊、十二処、七覚支、四聖諦の観察としてまとめてあります。無常、苦、無我を観察し、体得するのです。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年06月28日 11:41
聖者でない者が
聖者に見える様に振舞い
人の目を欺こう・・・・・・・って・・・
その努力、正しい方向に使えば良いのに。
コソコソしないで
ドーンと構えて
サティの実践にはげむ。
四念処を常に念頭に。
どこまで行けるかは自分次第。
自我が有ると思っているから
他人の評価が気になって
表面を取り繕う。
お釈迦様の真理の教えより
凡夫の賛辞を欲する??????
何だか理解に苦しみます。
兎に角自分がそうならない様に
不放逸で行きます。気をつけます。
こころざし
2016年03月15日 07:41
自分がどれだけ実践しているか、こんな事も知っている・・みたいなPRをする姿勢でいると、智慧がないとばれてしまう印象を感じます。何より自己顕示欲が著明となってしまうと思います。
そのようなものは捨てて、気づきの実践をして参りたいです。