禅定で 心の汚れ 眠らせて 捨ててしまって 一人であるく<66>

○少年少女のためのスッタニパータ66
・・・
心の汚れは
どこから来るのだろう?
目から、耳から、鼻から
舌から、身体から。


66.第1 蛇の章 3.犀の角経 32

○毎田周一先生訳
心の五つの障りを捨てて
汚れを悉く払い去り
何者にも頼らず 貪りと無知とを断ち切つて
犀の角ようにただ一人歩いてゆこう


○中村元先生訳
こころの五つの覆いを断ち切って、
すべてに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、
なにものかにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
心の〔有する〕五つの〔修行の〕妨害(五蓋:欲の思い・加害の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い)を捨棄して、
一切の付随する〔心の〕汚れ(随煩悩)を除き去って、
依存なき者となり、愛執と憤怒〔の思い〕を断ち切って、
犀の角のように、独り、歩むがよい。(32)


○パーリ語原文
パハーヤ   パンチャーワラナーニ   チェータソー
Pahāya     pañcāvaraṇāni       cetaso,
捨てて     五つの障碍         心の

ウパッキレーセー   ビャパヌッジャ   サッベー
upakkilese       byapanujja     sabbe;
心の汚れを       除き去って     あらゆる

アニッスィトー   チェートゥワ   スィネーハドーサン
Anissito       chetva       sinehadosaṃ,
依存しないで   断ち切って     愛情の過失   

エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko       care      khaggavisāṇakappo.
一人      行こう     犀の角のように


○一口メモ
今回の偈は二通りの理解ができると思います。向かう所は同じ、心の汚れを取り去り、何者にも依存しない独立、自由な者として、一人で行こうという所にありますから、どちらが正しいなどと気にしなくともいいのですが、心の汚れの断ち切り方に少し違いがあります。

先ず、伝統的、注釈書に基づく理解の仕方を述べます。その場合は心の五つの障碍とは五覆(ゴガイ)を意味します。その内容は、正田先生の訳にあります。「五蓋:欲の思い・加害の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い」であります。これが心にあると初禅(第一禅定)になることを妨げます。逆に、初禅に入れば、五蓋と言われる心の汚れが除かれます。ただし、五蓋がなくなっているのは禅定にいる時だけで、心が禅定から出ると、五蓋は現れる状態になります。

初禅にはサマタ瞑想と言われる特定の対象に心を集中することによって体験できます。慈悲の瞑想も真剣に集中して行えば、初禅に近い近行定を比較的容易に体験できます。初禅と近行定の違いはどちらも五蓋はありませんが、初禅は安定した禅定であるのに対して、近行定は少し不安定であるといわれています。よく譬えられる例は、花とミツバチです。初禅は花で、その周りを飛んでいるミツバチが近行定です。いずれにせよ、近行定や初禅で五蓋と言われる煩悩を一時的に取り除くことができるのです。

禅定を体験すると煩悩が機能しない状態、働かなくなっている状態ですが、煩悩がなくなっている訳ではありませんから、ヴィパッサナー瞑想で智慧を開発して、すべての煩悩を根こそぎ断ち切る必要があるのです。

さて、次は心の五つの障碍を、五感からの汚れと見るものです。心の汚れはどのように現れるかをよく観察すると次のことが分かってきます。何かを見たとき、心に汚れが現れます。何かを聞いたとき、心が汚れます。何かの香りを感じたとき、心に汚れが現れます。何かを味わったとき、心に汚れが現れます。何かに触れたとき、心に汚れが現れます。すなわち、五感が何かを感じたとき、心が汚れるのです。

ですから、心を汚さないようにするためには、五感からの刺激を、心の汚れの原因にしないことなのです。それは感覚を守ると言いますが、感覚を、自己から切り離して、客観的に観察することで実現できるのです。ただ感覚があると観察できたとき、心は汚れないのです。それがヴィパッサナー瞑想の醍醐味であるのです。

この二つの解釈について、私は64偈で衣の話、65偈で食べ物の話と続いてきましたから、急に禅定につながるよりは、五感についての話と続いた方が素直ではないかと思いますが、どちらの解釈でも良いと思います。しかし、最後はヴィパッサナー瞑想が必要だということには変わりがありません。


禅定で 心の汚れ 眠らせて 捨ててしまって 一人であるく<66>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年06月05日 17:46
沈んだ状態の煩悩も
禅定が崩れ壊れれば
再び浮上してしまう。
念頭に「不放逸」を常に置き
何度失敗しようとも
ヴィパッサナーの実践に励み続けます。
こころざし
2016年03月06日 06:08
本文の「心の汚れ」を拝見し、入ってきた刺激で思考・妄想が回転する事を思いました。その回転が大きくなるともう妄想の世界にどんどん行ってしまうと感じます。
サティの実践を集中力を持って行う事で、禅定はまだ体験出来ていませんが、心が汚れる事を防いでいきたいです。