独座あり 禅定あって 存在の 苦を覚って 一人歩く<69>

○少年少女のためのスッタニパータ69
・・・
宇宙は果てしなく、
知り尽くすことはできません。
しかし、宇宙は自分の中にあると
ブッダは教えます。
そうであるならば、自分を知れば、
宇宙を知ることが出来るはずです。


69.第1 蛇の章 3.犀の角経 35

○毎田周一先生訳
独りの生活と瞑想との中で
どんな事に当つてもいつも真理に従つて行動し
色々の生存に伴ふ悲惨を知り抜いて
犀の角のやうにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
独座と禅定を捨てることなく、
諸々のことがらについて常に理法に従って行い、
諸々の生存には患いのあることを確かに知って、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
坐禅と瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を遠ざけずにいる者として、
諸々の法(教え)について常に法(教え)のままに行じおこなう者として、
諸々の生存のうちに危険を触知する者(苦しみの生をあるがままに知り見る者)として、
犀の角のように、独り、歩むがよい。(35)


○パーリ語原文
パティサッラーナン   ジャーナマリンチャマーノー
Paṭisallānaṃ       jhānamariñcamāno,
独座            禅定  捨てることなく

ダンメース    ニッチャン   アヌダンナチャーリ
dhammesu   niccaṃ     anudhammacārī;
法において   常に       随法行者

アーディーナワン    サンマスィター   バウェース
Ādīnavaṃ         sammasitā     bhavesu,
苦難を           触知して      生存において    

エーコー   チャレー   カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人     行こう     犀の角のように


○一口メモ
瞑想修行はいつでも、どこでも、自分の内面を見る作業です。それが心を観察することです。ですからそれは独座なのです。他の人々と一緒に行っていても独座です。また内面の観察、心の観察は心が煩悩、妄想で汚れていてはよくできないのです。濁った水のなかでは、水の中がよく見えないと同じです。ですから、心の濁り(五蓋)のなくなった状態でこそ、心の観察ができるのです。瞑想で五蓋がなくなれば、五禅支(尋、伺、喜、楽、一境性)が現れ、第一禅定に入ります。さらに心が清浄になれば、禅定のレベルが上がるのです。そのような訳で、この偈の一行目「独座と禅定を捨てることなく」は、仏道修行に必須の項目なのです。

二行目「諸々のことがらについて常に理法に従って行い」は、さらに日常生活においても理法に従って行うのですが、この理法とは、中道です。さらに具体的には八正道と考えるとわかりやすいと思います。正しい見解を持ち、欲のない、怒りのない、害意のない考え方で、正しい話し方、正しい行いをし、生命を害する仕事はしないで、心を育てることに精進し、心が悪に染まらないように注意し、心を落ち着かせて生活することです。これは八正道を実践することですが、さらに詳しくはこのブログ内検索で八正道を検索してください。

三行目「諸々の生存には患いのあることを確かに知って、」の「諸々の生存」とは、五蘊(色、受、想、行、識)のことです。一行目、二行目ですでに述べた修行によって、五蘊の患いがあることが確かに知られるのです。その事実から苦諦がわかり、四聖諦が理解できるのです。


独座あり 禅定あって 存在の 苦を覚って 一人歩く<69>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年06月08日 17:20
子供の頃、宇宙飛行士になるのが夢でした。
宇宙には果てが無いと言う事に
すごく魅了されました。
しかし今大人になって(?)
最高最善の善友、お釈迦様に出会い、
真理の教えを学ばせていただき
「外に向かって膨張し続ける宇宙」
よりも広いものを理解しました。
それは「自分」でした。
「果てしない宇宙」でさえ
「自分」の中にスッポリと
入ってしまいますものね。
果てしない宇宙より広いって・・・・・
さすがお釈迦様です!
さすがワンギーサ先生です!


こころざし
2016年03月07日 07:26
(今もそうですが)完全に無明の頃は、外に外にと目が向いていました。そして自分とそれ以外を区別する方しか思考が行かなかったと思います。
自分を観察する事が、全てに繋がってくる印象を感じています。
禅定をまだ体験できていない自分なので、まずはそれが叶えれるように努めたいです。