渇愛の 滅尽願い 不放逸 真理を究め 一人で歩く<70>

○少年少女のためのスッタニパータ70
・・・
自分の気持ちが
分からない人がいます。
そのような人は
他人の気持ちも分かりません。
自分の気持ちが分かるように
心の声を聞きましょう。


70.第1 蛇の章 3.犀の角経 36

○毎田周一先生訳
貪愛を滅ぼすことを切に願い
聞くべきはよく聞いて思いは深く
道理を明らかにし 確実に心を一点に集中して
犀の角のようにただ一人歩いてゆかう


○中村元先生訳
妄執の消滅を求めて、怠らず、
明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、
理法を明らかに知り、自制し、努力して、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳
〔気づきを〕怠らず〔常に〕渇愛の滅尽を望み求めている者として、
聾唖ならず聞(もん)ある気づきの者として、
法(真理)を究め〔正道を〕決定した〔刻苦〕精励の者として、
犀の角のように、独り、歩むがよい。(36)


○パーリ語原文
タンハッカヤン     パッタヤマッパマットー
Taṇhakkhayaṃ   patthayamappamatto,
渇愛の滅尽を     怠らず希求して

アネーラムーゴー   スタワー    サティーマー
aneḷamūgo        sutavā     satīmā;
明敏であって      よく聞いて   よく気づいて


サンカータダンモー   ニヤトー    パダーナワー
Saṅkhātadhammo    niyato      padhānavā,
法を究め          決定して    努力して 或は

エコー   チャレー    カッガウィサーナカッポー
eko     care       khaggavisāṇakappo.
一人    行こう      犀の角のように


○一口メモ
昨日の69番の偈で、独座、禅定により、自己観察した修行者には、生存が患いであることが知られました。すなわち、五蘊が苦であることを確信しました。その事実から苦諦を悟ったのです。その結果、その原因が渇愛であることを理解し、今回70番も偈で述べられている通り、「渇愛の生滅を怠らず希求している」のです。

渇愛の滅尽の希求はどのように実践されるのでしょうか? 2行目のアネーラムーゴーの意味は、聾唖(つんぼ・おし)でなくということで、賢明という意味になるのですが、感覚に敏感でということだと思います。聞くと言葉で、感覚に敏感であることを示しています。サティーマーは念じていると訳されますが、気づいていることです。さらに詳しく言えば、心に渇愛が現れないように気づいているのです。ちなみに、渇愛の滅尽とは涅槃を意味します。「渇愛の生滅を怠らず希求している」は涅槃を怠らず希求していることです。

この偈では、1行目で、パッタヤマッパマットーと希求を怠らない(不放逸)であること、また2行目でも実践において、不放逸とは、気づきを絶やさないことです。気づきを怠らないように、徹底的にサティ(念、気づき)が強調されているのです。アッパマータ(不放逸)は仏教のキーワードなのです。ダンマパダ第2章は「不放逸」であり、12の偈で不放逸について述べられています。その始めの偈を紹介します。

気づくこと これさえあれば 解脱する 気づきなければ 死んでるようだ(21)
http://76263383.at.webry.info/201203/article_21.html

このようにして、不放逸によって、渇愛の滅尽を実践するのです。そして「法(真理)を究め〔正道を〕決定した〔刻苦〕精励の者として、犀の角のように、独り、歩むがよい」ということになるのです。

さて、日常的な身近な話題をお話しますと、私はこのブログを書いている時、流れるように書ければいいのではそうはいきません。毎日悪戦苦闘しているのです。そのような時、気分転換をします。以前はコーヒーや紅茶を飲みます。それを別に悪いとは思いませんでしたが、これは渇愛かなと思うようになりました。ということは、私はいつも渇愛に負けているのです。およそ渇愛の滅尽を希求する態度とは異なることなのです。これでよいのか自分に問いかけています。蛇足ですが、今はコーヒー紅茶の変わりに白湯を飲んでいます。


渇愛の 滅尽願い 不放逸 真理を究め 一人で歩く<70>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年06月09日 17:47
かつてお釈迦様が弟子達に真理を教示された様に、今度はお釈迦様に代わってワンギーサ先生が私らの様な愚鈍な生徒(特に私です)に御教え下さっている。今では膨大な量に登るワンギーサ先生による経典の御解説は、正に先生の不放逸の実践により生まれた賜物、「人類の宝」です。最高レベルのワンギーサ先生の御解説程信頼に値するものを他に見い出せません。先生の計り知れないご苦労に対して何の恩返しも出来ない自分を情けなく思います。しかし何とか先生に見放されない様に頑張れるだけ頑張ります。私も先生のブログを拝読させていただく時、リラックスして真意を深く読み取れるように、紅茶を飲みながら読ませていただく時もありますけれど・・・・・・・・ダメですね。すいませんです。
池崎中彦
2013年06月11日 12:58
私もワンギーサさんに(健康法として)ススメられて
白湯を飲むようにしてます。
しかし熱いのはイヤなので冷めてから飲んでます。
私は俗に言う`猫舌`なのかも知れません。

ただ、まだまだ(己の)心に迷いがあるようで
家にいる時は、小腹がすいた時に、
どうしてもコクのある牛乳を飲みたくなったり
外出時には
眠気が出てシャキーン!としたい時は
缶コーヒー類を買って飲んでしまいます。

私は`健康体になりたい`という
世俗的な願望がありますが、
残念ながら、その願望の力が弱いようであります。
これは心の弱さの現れでしょうね。
私は世俗の人間なので
もっと世俗的な願望が叶うように
精進せねばなりません。
しかしながら、なかなか犀の角のようには
歩めません。
付け加えるならば
只今絶賛、悪い風邪を患っています。
あきらめることなく、バッドコンディション時でも
最善の努力が出来る様
心がけたいと思います。

いつもありがとうございます。
長くなりました、それでは。
こころざし
2016年03月07日 07:35
ワンギーサ長老に不放逸のアドバイスを頂いた時、その大事さがそこまで分かってませんでした。その後実践する程その意味・大切さを感じるようになっています。厚意を心より感謝に思っています。
私事ですが、職場でよく日本茶を飲みます。ある時茶葉がなくなり→白湯を飲みました。その味気なさに吃驚しました。白湯はNGではいけないと思い暫く続けましたが、早々に茶葉を買いに行く自分がいました。
違いは何かと思った時に多少でもカフェイン(興奮剤系)?が入っているかどうかなのかなと思いました。確かにお茶を飲むと元気になったような?気がします。
現在白湯は飲んでいませんが、お茶に依存する事無く必要な事を実践して参りたいです。