ひとの物 与えられないのに 取る人は 盗みを好む 賤民と言う<119>

○少年少女のためのスッタニパータ119.
・・・
万引きなどを
軽い気持ちでやったとしても
地獄に向かう電車に乗ったと思うべき
絶対に、二度とやってはいけない。


119.第1 蛇の章 7.賤民経 4.

○毎田周一先生訳
村や林の中で
ひとの物を与えられないのに自分の物にして
(いはゆる)盗みを好むもの
彼を「賤民」と知るべきである


○中村元先生訳
119
村にあっても、林にあっても、
他人の所有物をば、
与えられないのに盗み心をもって取る人、
──かれを賤しい人であると知れ。


○正田大観先生訳
119.
もしくは、村においてであろうが、林においてであろうが、
〔まさに〕その、他者たちにとって、わがものとされたもの(私有物)を、
盗みごころから、与えられていないのに取るなら
――彼のことを、『賤民である』と知るがよい。(4)

○パーリ語原文
119. 
ガーメー     ワー     ヤディ    ワー   ランニェー
‘‘Gāme       vā      yadi     vā     raññe,
村の中      或は     もし     或は    森の中

ヤン      パレーサン     ママーイタン
yaṃ      paresaṃ       mamāyitaṃ;
物を      他人が       自分の物にしている物

テッヤー    アディンナマーデーティ
Theyyā     adinnamādeti,  
盗んで     与えられてないのに取る

タン     ジャンニャー    ワサロー     ティ
taṃ     jaññā         vasalo       iti.
それを    知るべき        賤民         と


○一口メモ
一昨日、昨日で述べた117番、118番の偈は、五戒の一番目「生き物を殺さない」という真理に反する行為を物は賤民であるということが述べられました。

今回の偈は、五戒の第二番目「与えられてないものを取らない」という真理を反する行為をする物は、賤民であると述べられているのです。

没落経の解説でも述べましたが、五戒は真理なのです。真理とはすべての生命が幸福に生きることが出来る法則なのです。それはすべての存在の調和です。五戒はそのための具体的な表現ですから、真理なのです。五戒の一つ一つの教条を守ることは真理に従うことであり、真理を守ることです。五戒に反する行為は、真理に反する行為です。真理に反する行為は真理によって修正させられます。盗むものは、盗まれるのです。ですから、盗んでも盗んだことにならず、苦しみだけが残るのです。

ここで、「与えられてないものを取る」ことについて、少し考えてみましょう

まず、取られた人に、自分のものがなくなったという苦しみを与えます。しかも、ただなくなっただけでなく、取られたという苦しみを与えるのです。すべての生命は苦しみなく、幸福に生きていきたいと思っているのですから、その願いを踏みにじることになるのです。慈悲の心のない行為なのです。その反撃は必ずあるのです。取られた人からの直接の攻撃もあります。法律による当然の取り締まりがあります。また取った人のいわゆる良心というものが、取った人の心を攻撃します。これは取った人自身は気づかなくてもあるのです。それは例えば病気などになって現れることもあるのです。また、気の咎めから、不注意による事故にあうこともあります。これらすべて真理による、真理に反する人に対する修正なのです。

また、与えられないものを取るということは、怠けです。本来人間は生きるために必要なものを得るために何等かの働きが必要なのです。それがバランス、調和です。働きなしに、取るという行為はこのバランスに反すのです。やはりバランスに反する行為は修正させられます。

さらに、「与えられないものを取らない」ことは、人間から苦しみをなくし、成長させる教条なのです。人間の苦しみは欲望がもたらしているので、この欲望を抑える訓練をさせるものなのです。自我の求める欲望のままに生きることを止めさせる訓練をすることで、苦しみなくすのです。

「与えられないものを取らない」という行為は、これらの重要な意味がありますから、これらに反するものは「賤民」というべきなのです。


ひとの物 与えられないのに 取る人は 盗みを好む 賤民と言う<119>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月17日(水)夜の自主瞑想会から7月21日(日)朝の自主瞑想会は、ワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するため、お休みします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

水口かよこ
2013年07月17日 09:21
津波の跡 テレビの津波に合った場所のその後を見ますと、今草が生えています。おそらく沢山の生命もそこに共存しているでしょう。

昨日原発の立ち入り規制範囲まで行ってきました(立ち入りには許可書がいるそうです)立ち入り規制範囲外でも、近辺は、まだ農業は行われてなく、草が生い茂り、畦や、土手にも、もう私たちのものだ、と言わんばかりに草が生きてました。

私たちは地球上で住むには、どうしても居場所と言うものがほしくなります。

人間は謙虚になれます。その謙虚さを生かして、生きていきましょう。怒りはすべてを見えなくしてしまいます。怒りがなければ、いろんなことが発見できるようになってきます。私も常に挑戦です。完成ではありません。けれど見えてくるものは多いです。怒りが起きないよう似、自分に気を向け、常に、注意しておくこと。私はこのことにがんばります。
櫻井由紀
2013年07月17日 12:30
気が付くと、どこかの見知らぬ駅に立っていた。カビの生えた様なジメジメした頭で、ふらつきながら券売機に向かう。今いる場所から逃げたくて、一番遠い終着駅行きのキップを買った。最果ての地。当然、料金は一番高かった。ホームに行くと、電車は待つ事無くすぐに来た。何も思わず考えず、その電車に飛び乗った。座席につくと車掌が「シートベルトの着用をお願いします。」と言った。窓の外に目をやると、さっきまで見えていた街の灯りは、ずっと後ろの方にに小さく消えた。前方には漆黒の闇が広がっていた。車内アナウンスが入った。「ここから先は、かなり激しく揺れます。螺旋状に下降して行きますので、いつ脱線するかも分かりません。ご注意下さい。」あまりにも激しい揺れに、気を失いかけると、もう一度アナウンスが入った。「この電車は、特急、地獄終着駅行き~!地獄終着駅行き~!お乗り間違え無い様にお願い致します!」

こんな電車に乗らないよう気をつけます。
しあわせ
2013年07月18日 01:45
禅定があれば涅槃(解脱)は目前である

上記のような言葉を以前テーラワーダの出家の方から教えて頂いた気がするのですが、どの経典に掲載されてるでしょうか?ワンギーサ様はじめテーラワーダの皆様からブッダの教えを少しずつ学ぶことが出来て感謝してます。
ワンギーサ
2013年07月18日 04:26
しあわせさん、おはようございます。

コメントありがとうございます。
ご質問にお答えします。
ダンマパダ372番で、そのように述べられています。
しあわせ
2013年07月18日 08:34
ありがとうございました。
改めて重要な経典だと思いました。
禅定と智慧によって、皆様に悟りの光が現れますように。
こころざし
2016年03月21日 07:39
盗み的な事を過去にした事があります。相手の事を考える事はなく、自分のエゴしか見ていませんでした。それが自分の物が盗まれた時の衝撃は凄まじく、相手を呪う様な自分がいました。その流れから自分の心の程度の低さを実感します・反省致します。
盗みをせずに、そして心も成長させて心の程度を上げたいです。