無知により つまらぬものを 欲しがって 嘘をいう人 彼は賤民<131>

○少年少女のためのスッタニパータ131
・・・
人々が欲しがるものは
つまらぬものだ。
人格や真理は
欲しがらぬ。


131.第1 蛇の章 7.賤民経 16

○毎田周一先生訳
詰まらないものをやたらに欲しがって
無知に目にくらみ 
この世にありもしない(架空の)ことをいひふらす人
彼を「賤民」と知るべきである


○中村元先生訳
131
この世に迷妄に覆われ、
わずかの物が欲しくて、
事実でないことを語る人
──かれを賤しい人と知れ。


○正田大観先生訳
131.
彼が、この〔世において〕、正しからざる者たちの〔論を〕説き、
迷妄に包まれ、
微々たるものを貪り求めているなら
――彼のことを、『賤民である』と知るがよい。(16)

○パーリ語原文
131.
アサタン             ヨーダ     パブルーティ
‘‘Asataṃ             yodha     pabrūti,
不善なる人々の言葉を    この世で    述べる
(存在しないことを)

モーヘーナ    パリグンティトー 
Mohena      paliguṇṭhito;
無知によって   覆われて

キンチカン      ニジギーサーノー
Kiñcikkhaṃ     nijigīsāno,
わずかな物を   欲しがっている者は

タン    ジャンニャー     ワサロー   イティ   
taṃ     jaññā         vasalo     iti.
それを    知るべき        賤民       と


○一口メモ
このところ、2回ほど、7月26日の経典解説の時、また昨日7月28日の法話と瞑想の会でスマナサーラ長老が、「スッタニパータは真剣に修行を積んだ悟る前にブッダに質問をして、指導してもらうような経典だから、私にしても大変難しい経典であると述べられています。」それは、聞き方によれば、難しいお経だから、皆さんがそれを勉強するのはまだ早いというようにも聞こえます。

このようにスマナサーラ長老が発言されることは、ある程度予想されたことでした。今年の3月28日の私のブログ記事に次のように書きました。

「私の師匠であるスマナサーラ長老は、スッタニパータの解説はあまり好まれていないのです。その理由ははっきりとはわかりませんが、あまり修行もしてない者が、スッタニパータの文字だけ読んで、分かった気になられては困るという思いではないかと思っています。ですから、私がこのようにブログで解説のようなことをすることにもあまり賛成ではないかもしれません。」

しかし、難しいお経だから頑張って勉強して下さいとも受け止められます。難しお経だと言われて、「はい、それでは勉強するのは止めます」というのであれば、あまりにも情けないとは思いませんか。

実際、少なくとも二つの意味で難しいのです。一つは、スッタニパータでのパーリ語は、古いパーリ語で、日本語でも古文と言われている現代語とは違っていて難しいのです。ですから、古いパーリ語はパーリ語の研究者にも難しいようです。(しかし、現在では参考資料は豊富にあります。)そのため、日本語訳に訳す人で、違いがあらわれます。もう一つは、ブッダが修行者に悟るために与えた最後の言葉の真意は、そのレベルに達した人しか理解できないということもあります。

しかし、困難は挑戦するためにあります。私もこの困難に挑戦して、少しずつこの壁を破るために頑張る決意でありますから、皆さんも、頑張って下さい。努力すれば、理解力も向上しますから、諦めなければ大丈夫です。

では、本日の偈について学んでみましょう。早速、始めの単語アサタンの意味ですが、「不善なる人々の言葉を」と「存在しないことを」の意味があります。この場合、ブッダはどちらの意味を意図したのでしょうか。両方の意味を含めてこの言葉を使ったのでしょうか。或はその他の意味を意図していたのでしょうか。毎田先生と中村先生は「存在しないこと」の意味にとっています。正田先生は「不善なる人々の言葉」の意味にとっています。

しかし、言葉の表面的な表現に捉われないで、言葉の意図するものを理解しようと思えば、この点は理解できます。最近のスマナサーラ長老は「脳科学」の表現で言葉の意味を解りやすく説明されます。それによれば、アサタン以下の意味は「原始脳に支配された脳で、わずかなものを欲しがって語る」ということになります。欲に目がくらみ、人をだますことです。

私は、真理に従うか、真理に反するかを基準に考えるようにしていますので、アサタン以下の意味は「真理に反する言葉で、わずかなものを欲しがって語る」と言う意味になります。嘘でわずかことを欲しがって語ることです。

原始脳に従う人は「賤民」なのです。あるいは真理に反する人は「賤人」なのです。

結論は上に書いたことと矛盾しますが、真理は一つであり、シンプルです。その点に焦点を当てれば、難しい、難しいと言われる経典でも、素直に、真理の立場で理解すれば、難しくないのです。


無知により つまらぬものを 欲しがって 嘘をいう人 彼は賤民<131>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

いけざきなかひこ
2013年07月29日 06:33
ワンギーサさん、おはようございます。
今日は久しぶりに早朝ヴィパッサナー出来ました。
私事ですが風邪が長引いているのでなかなか集中できませんでしたが
とにかく、やれた自分をホメてあげたいです。

ワンギーサさんが解説されている
スッタニパータはとても分かりやすいと思います。
私がこんなこと言っていいものか分からないし
上手く言えませんが、頑張ってください!
私も世俗世界の、ありとあらゆる困難に立ち向かっていきたいと思います。
それでは失礼します。
陸伝
2013年07月29日 10:00
嘘をつかないことは、殺生をしないことより難しいことだと感じています。
やはり、無知により、僅かなものを欲しがっているからなのでしょうか。
執着は苦しみであるという事実をよく理解し、精進して参りたいと思います。
noritarou
2013年07月29日 17:40
ワンギーサ先生、
難しいことを色々な角度から、大変わかりやすく書いて頂いてありがとうございます。

一般的にみて、
たとえ、言っていることがどんなに立派であっても、欲にかられて言っているのでは、選民なのだと理解しました。

私の場合、
どんなに正しいと思われる事を言っても、
それが相手を組み伏すためのものだったり、
相手を変えようとしていたり、
自分の正しさを証明するためのものだったりして、
真意が伝わっていないと感じるのは、
エゴで、相手の立場に立っていなくて、私が賎民だからだと思いました。
ぽん母さん
2013年07月30日 08:28
人から「えらい人だ」と思われたくて見栄を張ることも
このお経の内容に該当するんだろうなと思いました。
自分への戒めにします。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2016年03月25日 08:34
自分の本能・原子脳からくるエゴ的な衝動を満たそうとしてしまう事は、良い流れにはならないと実感しています。見て→欲しい→手に入れる・・みたなものになるかと思います。
またその本能・原子脳からくるエゴ的なものが少ない方が生き易く・道徳的な生き方に繋がると思います。
本当に必要なものかを見れる余裕を持ちながら、自我のエゴを減らして参りたいです。