動くもの 動かぬものも 生きものは  幸多かれと 願うべきなり<146>及び<147>

○少年少女のためのスッタニパータ146.147.
・・・
クジラや象やキリンやカバ
ライオンやトラやヒヨウ
牛や馬や羊や犬や猫
カラスやハトやスズメ
ヘビやカエルやカメ
想い出せる生きものを想いだして
それらの幸せを願ってください。


146.147.第1 蛇の章 8.慈経 4.5.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
146(4)
いかなる生命であろうともことごとく、
動き回っているものでも、動き回らないものでも、
長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、

147(5)
見たことがあるものもないものも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
既に生まれているものも、[卵など、これから] 生まれようとしているものも、
生きとし生けるものが幸せでありますように。


○毎田周一先生訳
146(4)
どんな生きものでも 例外なく
弱いもの 強いもの
長いもの 大きいもの
中位のもの 短いもの 微細な又粗大なもの

147(5)
目に見えるもの 見えないもの
遠くに住むもの 近くに住みもの
既に生まれたもの 将に生まれんとするものーー
一切のものの幸せを願うばかりである


○中村元先生訳
146
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、

147
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。


○正田大観先生訳
146.
彼らがどのようなものたちであれ、命ある生類たちとして〔世に〕存するなら、
あるいは、動くものたちも、あるいは、動かないものたちも、〔全て〕残りなく
――すなわち、あるいは、長いものたちも、あるいは、大きなものたちも、
中なるのものたちも、短いものたちも、微細や粗大のものたちも――(4)
147.
すなわち、あるいは、〔かつて〕見たものたちも、あるいは、〔いまだ〕見たことがないものも――
すなわち、あるいは、遠くに住するも、遠くないところに〔住するも〕、
あるいは、〔世に存する〕生類たちも、あるいは、〔未来に〕発生を求めるものたちも
――一切の有情(生きとし生けるもの)は、安楽の自己ある者たちと成れ。(5)

○パーリ語原文
146.
イェー    ケーチ         パーナブータッティ
Ye       keci           pāṇabhūt’atthi,
彼らが   いかなるものでも   生きものであるならば

タサー    ワー    ターワラー     ワー     アナワセーサー
tasā      vā      thāvarā       vā      anavasesā;
動くもの   或は    動かないもの   或は     残りなく

ディーガー    ワー    イェー    マハンター     ワー
Dīghā       vā      ye      mahantā       vā,
長いもの    或は     彼らが   巨大なもの     或は

マッジーマー     ラッサカー     アヌカトゥラー
Majjhimā       rassakā       aṇukathūlā.
中位のもの      短いもの     微細な・粗大なもの

147.
ディッター    ワー    イェー     ワー     アディッター
Diṭṭhā       vā      ye       vā      adiṭṭhā,
見たもの    或は     それらが   或は    見なかったもの

イェー    チャ    ドゥーレー    ワサンティ     アウィドゥーレー
ye       ca     dūre        vasanti       avidūre;
それらが  また    遠くに       住む         近くに

ブーター      ワー     サンバウェースィー     ワー
Bhūtā        vā       sambhavesī         vā,
生まれた     或は      生まれようとしている    或は

サッベー     サッター     バワントゥ    スキッタッター
Sabbe      sattā       bhavantu    sukhitattā.
全ての      生命が       あらんことを   幸せである者で


○一口メモ
今回の146(4)番と147(5)番の偈は、すべての生命、生きものの幸せを願うことが、慈しみであると教えているのです。

すべての生命と言っても、丁寧に、具体的に、イメージしなければ、心はしっかり受け止めてくれません。すべての生命を具体的にイメージしていきましょう。146(4)番の偈は次のように述べています。
動くもの、ほとんどの動物は動きます。動くから動物というくらいのものです。
動かないもの、そのような生命もいます。仏教では植物は生命の中に入れていませんが、植物は生命に近いものです。植物でなくとも、動かない生命はいます。イソギンチャクや海鞘(ホヤ)、ウミユリなどは岩などに付着してうごきません。ナマケモノもほとんど動かない動物です。寝たきり障害者も動けない人です。動けないからと言って、差別することなく、すべての生命の生命を願うのです。
長いもの、ヘビは長いですね。ウナギも長い。ミミズは小さいけれど長いと言えますね。
大きなもの、クジラや象はおおきなものです。
中位のものは、馬や牛や人間も入るでしょう。
短いもの、これは小さなものと考えてよいでしょう。人間より小さな動物はすべて入るでしょう。犬や猫やカラスやハトやスズメも小さな生きものです。魚も虫もほとんどは小さな生きものです。
微細なもの、顕微鏡でなければ見えない、微細ない生きものもいます。微生物、バクテリアと言われる生きものです。
巨大なものは、既にあげましたクジラや象です。大昔には巨竜やマンモスもいましたが、今は死に絶えてしましました。
以上のようないろいろ生きものすべてに対して、幸せでありますように言う心が慈しみなのです。

147(5)偈では、すべての生きものを見落とすことがないように、別の見方で分類します。
見たことがあるもの、動物園で見たことのある動物はすぐイメージできます。
見たことないもの、これはなかなかイメージできません。しかし、本当にすべての生きものの幸せを願うのであれば、動物図鑑や鳥類図鑑や昆虫図鑑などを見ながら、すべての生命の幸せを願うこともやってみると良いと思います。本当に慈しみの心を育てることが出来ると思います。

次は遠くに住むもの、この日本の外の外国に住む生きもの、日本に住む生きものより多いでしょう。さらに、地球以外の星に、もし生命が住んでいるのならば、その生命たちの幸せも願いましょう。

近くに住むもの、これは分かりやすいと思います。家族や近所に住んでいる人々やペットや家の周りの野鳥や昆虫、家の中のゴキブリも入ります。ゴキブリの幸せも願ってください。スリッパで打ち殺すなどはしないでください。さらに、近くには、私達の身体に多くの生きものが住んでいます。腸内細菌や皮膚常在細菌がいます。これらの細菌は私達の身体を守ってくれているのです。抗生物質を飲んだり、石鹸で皮膚をごしごしこするとこれらの細菌が死んでしまします。そうすると身体にもよくないのです。

普通に生きものと言うと、既に生まれているものを考えますが、これから生まれようとしている生きものも忘れないように、この偈では注意しているのです。卵がこの例です。鳥類や八虫類、両生類、昆虫などは卵で生まれてきますが、これらの卵も生きものなのです。大切にしてください。


動くもの 動かぬものも 生きものは  幸多かれと 願うべきなり<146>

既に見た 或は見てない 生きものも 幸多かれと 願うべきなり<147>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:8月10日(土)から8月14日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが大阪のアラナ精舎における瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年08月10日 09:10
慈悲の瞑想の時は
目を閉じた瞬間に
360度パノラマヴューシアターに
頭の中が自動的に切り替わり、
地球の誕生の様な時代から
順を追って時を下っていく
まるでタイムマシーンに乗っていて、
地球の生命の歴史のドキュメンタリー映画を
ものすごい早回しで見ているようです。
繰り返し唱え続けると言葉も思考も消えます。
無重力の宇宙を浮遊している感覚です。
慈しみだけでなく、全てを含蓄する
巨大なエネルギーに抱擁されている感じ。
ワンギーサ先生の御解説を拝読していたら
国立科学博物館に行きたくなりました。
そのうち行ってみようと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように







いけざきなかひこ
2013年08月10日 13:18
ワンギーサさん、こんにちわ。
今日は猛暑日ですがワンギーサさんが
体調を崩されないよう心より願ってます。
私はこの鬼暑い中、川原の土手を一時間くらい歩いてきました。もうヘトヘト。
でも日光浴はいいですね。生命エネルギーが沸いてきます。
今日は少々刺激が強すぎましたが。

一日も早く元気になりたいものです。

私は以前から慈悲の瞑想のときの生きとし生けるものの~の時には
バッタとかゴキブリとかセミとか
実際会ったことのある生き物を中心にして思い浮かべながら
念じています。
解説を読むに、これだけでは不十分みたいなので
これからは会ったことない生き物にもトライしてみます。

慈悲の瞑想効果なのか
道端でジタバタ苦しんでいる虫がいると
草むらに運んであげて助けるようになりました。
そのままの状態だと、きっと誰かに踏みつけられてしまうだろうし。
この季節、苦しんでいる虫たちをよく見かけます。
ただ、コガネムシ君などの外骨格系は素手で掴めるのですが
イモムシさんは、、、ティッシュごしに掴んでしまいました。
こころざし
2016年03月29日 20:38
自分の知っている生き物やしらない生き物など、意識しないとその存在を認識しない様な自分になっているなと感じます。その生き物の幸いを願う気持ちでいると、意識がないとか・区別するような姿勢から→一体・平等な印象を受ける状況になるように感じています。
生きとし生けるものが幸せでありますように、と唱えながら、生き物を大切にする姿勢で接して参りたいです。