無我の時 慈しみあり 邪見なし 戒は守られ 執着もない<152>

○少年少女のためのスッタニパータ152.
・・・
みんなが
幸せであればいいな
みんなに
良いことがあればいいなと
思える人は幸せです。


152.第1 蛇の章 8.慈経 10.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
152(10)
[このように実践する人は] 邪見を乗り越え、
常に戒を保ち、正見を得て、
諸々の欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。


○毎田周一先生訳
152(10)
片寄つた考えをすべて捨て去り
しつかりした腰の坐りで 物事の奥を深く究め
色々の欲望にからみつかれることがなければ
人はもう決して 母胎に帰るやうなことはない


○中村元先生訳
152
諸々の邪まな見解にとらわけず、
戒を保ち、見るはたらきを具えて、
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、
決して再び母胎に宿ることがないであろう。


○正田大観先生訳
152.
しかして、〔誤った〕見解へと近づき行くことなくして、
〔あるがままの〕見を成就した戒ある者は、
諸々の欲望〔の対象〕にたいする貪求〔の思い〕を取り除いて、
もはや、胎内へとふたたび至り行くことは、まさに、ない。ということで――(10)

○パーリ語原文
152.
ディッティン    チャ     アヌパッガンマ
Diṭṭhiñ       ca      anupaggamma,
(邪)見に     また     近づかない

スィラワー    ダッサネーナ    サンパンノー
sīlavā       dassanena      sampanno;
戒 或は     (正)見を       備えて

カーネース    ウィネッヤ     ゲーダン
Kāmesu      vineyya       gedhaṃ,
欲において    なくす        貪求を

ナ    ヒ       ジャートゥッガッバセッヤ    プナレーティーティ
Na    hi       jātuggabbhaseyya        punaretīti.
ない  決して    母胎に生まれること        再び行く と            


○一口メモ
昨日は、慈しみを実践することで、最高の神々である梵天と同じ心になれるということが述べられました。それは、死後は梵天の世界に生まれ変わるということです。

今回は、慈しみの実践することで、更に上の境地である解脱することが出来ると述べられているのです。

先ず、慈しみを実践する人は、邪見に近づかない、邪見を乗り越えるというのです。邪見もいろいろありますが、一番重大な誤りは生命を差別する見解です。これによって世の中の多くの不幸が生まれるのです。生命は平等であるという真理に反するからです。慈しみを実践する時、生命を差別する思いはありません。この時、この邪見は乗り越えられているのです。

慈しみを実践する人は、戒(道徳)を守っているのです。例えば。五戒のどの条項を調べてみても、慈しみを実践するためのものです。慈しみを実践する人は、生命を殺しませんし、盗むこともしません。よこしまな行為をしません。嘘もつきません。本当に、慈しみを実践しようとする人は、人に迷惑をかけるような理性を失わせるような酒はのまないものです。

正見を備えているとは、邪見と反対の見解を持つことです。生命は平等であるという真理を、言葉だけではなく、体得していることです。これは、自分と他の生命を差別する自我がなくなっているということです。

更に、慈しみの実践をすることにより、諸々の欲望に対する執着がなくなります。そうすると、もう二度と母体に宿ることはありません。それはもう輪廻を繰り返すことはないこと、すなわち、解脱するということです。

ブッダはこの「慈経」で、慈しみを実践するものは、梵天になれる、更に解脱することが出来ると述べられておられるのです。


無我の時 慈しみあり 邪見なし 戒は守られ 執着もない<152>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

水口かよこ
2013年08月15日 08:54
「食べたら楽しいよ」と誘ってくれます。食べます。
「食べたら楽しいよ」と誘ってくれます。食べます。
「食べたら楽しいよ」と誘ってくれます。食べます。

誘われなくても、食べたくなります。

誘われても、自分で考える時間を持ちましょう!

そして、自分の意思で決めましょう!
櫻井由紀
2013年08月15日 11:05

慈悲の

一句を

実践・実践・実践・・・・・・・・・・・


生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年03月30日 08:38
ボランティア等人の為に・・と生きておられる方に感じる共通点は「道徳的に生きている」と思う事です。それは仏道とは無縁の方でも、姿勢が似てくる面があると感じています。
道徳的に生きる!としてもなかなか出来ない様に思いますが、慈しみの実践の姿勢があれば道は出来ると感じています。怠りなく実施して参りたいです。