欲望と 怒りと無知で その心 汚れていないか 智慧はあるのか<160>及び<161>

○少年少女のためのスッタニパータ160.161.
・・・
人間の問題は
欲と怒りと無知です。
この問題を解決しなければ
戦争も環境破壊のなくなりません。


160.161.第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 8.9.

○毎田周一先生訳
160(8)
「欲望を起こされることはないか
                と雪山に住む者が問ふた
その心は汚れてゐないか
無知を離れて 
物事の真を見抜いて居られるか」

161(9)
「欲望を起こされることはない
                とサーター山に住む者が答へた
そしてその心は汚されず
一切の迷妄を離れて 
目覚めた人として 物事の真を見抜いて居られる」


○中村元先生訳
160
雪山に住む者という神霊がいった、
「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか? 
その心は濁っていないだろうか? 
迷妄を越えているであろうか? 
諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっているだろうか?」

161
七岳という神霊は答えた、
「かれは欲望の享楽に耽らない。
その心は濁っていない。
迷妄を越えている。
目ざめた人として諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっている。」


○正田大観先生訳
160.
かくのごとく、ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕
「どうでしょう、〔彼は〕諸々の欲望〔の対象〕に染まることはないですか。
どうでしょう、〔彼の〕心は、混濁なきものですか。
どうでしょう、〔彼は〕迷妄を超越した者ですか。
どうでしょう、諸法(事象)について眼ある者ですか」〔と〕。(8) 161.
かくのごとく、サーターギラ夜叉が〔答えた〕
「彼は、諸々の欲望〔の対象〕に染まりません。
しかして、〔彼の〕心は、混濁なくあります。
〔彼は〕一切の迷妄を超越した者です。
覚者は、諸法(事象)について眼ある者です」〔と〕。(9)

○パーリ語原文
160.
カッチ     ナ     ラッジャティ     カーメース
‘‘Kacci     na     rajjati         kāmesu,
どうか     ない   染まる         欲望に

イティ    ヘーマワトー    ヤッコー
(iti      hemavato      yakkho)
と       雪山         夜叉

カッチ    チッタン    アナーウィラン
Kacci     cittaṃ     anāvilaṃ;
どうか    心は      濁ってない

カッチ     モーハン     アティッカントー
Kacci      mohaṃ      atikkanto,
どうか     無知を       超越する者

カッチ    ダンメース     チャックマー
kacci     dhammesu    cakkhumā’’.
どうか    法に対して    眼ある者


161.
ナ     ソー     ラッジャティ    カーメース
‘‘Na    so      rajjati        kāmesu,
ない    彼     染まる        欲望に

イティ    サーターギロー    ヤッコー
(iti       sātāgiro        yakkho)
と        七岳         夜叉

アトー     チッタン     アナーウィラン
Atho      cittaṃ      anāvilaṃ;
更に      心は       濁ってない

サッバモーハン    アティッカントー
Sabbamohaṃ     atikkanto,
一切の無知を     超越する者

ブッドー       ダンメース    チャックマー
buddho       dhammesu    cakkhumā’’.
目覚めた人は    法において     眼ある者


○一口メモ
昨日は、雪山夜叉は世尊のことば使いについて訊いたので、今回は世尊の心の状態について訊きました。心に欲望はないかどうか、心が汚れていないかとは、この場合、心が怒りによって汚れていないのかということです。そして心は無知を超越しているのか訊きました。

それに対して、七岳夜叉は、世尊は欲望を断っていて、怒りで心は汚れていない、真理を悟りあらゆる無知を超越していると語ります。そして諸々の事柄において、真理を見抜く智慧を持っていることを語るのです。

結局、欲と怒りと無知が問題なのですね。この三つのために生命は悩み苦しむことになるのです。欲と怒りと無知をなくすことが出来れば、悩み苦しみがなくなります。しかし、この三つをなくすことは大変難しいのです。簡単なことではないのです。

この困難を解決するカギは智慧なのです。智慧があれば、この三つをなくすことが出来ます。しかし、この三つをなくす智慧を得ることを妨害するものはこの三つなのです。例えば、欲が苦しみの原因だと解ったとします。これは一応智慧です。しかし、心は欲を捨てるのは嫌なのです。智慧の邪魔をするのです。というわけで欲は智慧の邪魔をするのです。そこでどうするか?

この三つを減らしながら、智慧を開発し、その智慧を使って三つを減らすというように前進しなければ前進できません。その具体的な方法は瞑想なのです。慈悲の瞑想もヴィパッサナー瞑想も、欲怒り無知を減らしながら、智慧を開発する方法です。是非瞑想を真剣に取り組んで下さい。


欲望と 怒りと無知で その心 汚れていないか 智慧はあるのか<160>

欲望と 怒りと無知で その心 汚れていないよ 智慧はあるよ<161>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

水口かよこ
2013年08月20日 05:00
日常生活で「しなければいけない」と自分自身で思い込んでいて、自分自身では普通では気づきにくい、欲と怒りに、自分自身が支配されてしまっている事が、有るかも知れません、日常での、気づきが、自分自身に起きるよう、慈しみで接せられる人間関係に、今ある周りと、自分を変えていかなければならないでしょう。その為にも慈悲喜捨のお人になり切ってみるのに、挑戦することは、自分自身の為になることだと思われます。
noritarou
2013年08月20日 10:11
生活のため、生きるため、理想のためと理由をつけ、
真理に忠実に生きられるほど、人間は強くないので、「社会」を作り、神や信仰(大乗)をつくりだしたのかもしれません。
もしも、個人が、神の懐に抱かれて究極的な安心を体験したとしても、その「神」が自分や他者を支配するなら、離れるべきでしょう。

でも、人間は、個人ではそこから死ぬ覚悟で離れることが出来たとしても、「組織」がそこから離れることは出来ません。
だから、戦争、経済、政治システムが続いているのでしょう。

戦争や環境破壊をなくせるよう、私にも智慧の光があらわれますように。
櫻井由紀
2013年08月20日 11:05
己の愚を常に意識し
覚醒出来るよう
瞑想に励みます。
こころざし
2016年04月01日 17:40
本文の「心は欲を捨てるのが嫌」を拝見して、その通りだなと思いました。折角寄付をさせて頂くことがあっても、それで所持金が減る事を・・と思って欲を捨てれない自分を感じる事があります。欲も怒りも捨てて智慧を持てるようになりたいです。