智慧あるか 身語意は 清らかか 煩悩断って 輪廻しないか<162>及び<163>

○少年少女のためのスッタニパータ162.163.
・・・
知識と智慧の違いは何ですか?
知識は知識を増やすもの。
智慧は知識を減らすもの。


162.163.第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 10.11.

○毎田周一先生訳
162(10)
「明らかな智慧に透徹して居られるか
                と雪山に住む者が問ふた
全く清らかに生活して居られるか
煩ひを絶ち切つて
又外のものに生まれかはられることはないか」 

163(11)
「明らかな智慧に透徹して居られる
                とサーター山に住む者が答へた
そして全く清らかな生活をされ
すべての煩ひを絶ち切り
又何かに生まれかはられるといふことはない」


○中村元先生訳
162
雪山に住む者という神霊がいった、
「かれは明知を具えているだろうか? 
かれの行いは全く清らかであろうか? 
かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか? 
かれはもはや再び世に生まれるということがないであろうか?」

163
七岳という神霊は答えた、
「かれは明知を具えている。
またかれの行いは清らかである。
かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。
かれはもはや再び世に生まれるということがない。」


○正田大観先生訳
162.
かくのごとく、ヘーマヴァタ夜叉が〔尋ねた〕
「どうでしょう、〔彼は〕明知の成就者ですか。
どうでしょう、清浄の行ないある者ですか。
どうでしょう、彼の、諸々の煩悩は滅尽しましたか。
どうでしょう、〔彼に〕さらなる〔迷いの〕生存が存在することはないですか」〔と〕。(10) 163.
かくのごとく、サーターギラ夜叉が〔答えた〕
「しかして、まさしく、〔彼は〕明知の成就者です。
さらには、清浄の行ないある者です。
彼の、一切の煩悩は滅尽しました。
彼に、さらなる〔迷いの〕生存は存在しません」〔と〕。(11)


○パーリ語原文
162.
カッチ    ウィッジャーヤ     サンパンノー
‘‘Kacci    vijjāya          sampanno,
どうか    明智を         具えている者
  

イティ     ヘーマワトー     ヤッコー
(iti       hemavato       yakkho )
と       雪山           夜叉

カッチ     サンスッダチャーラノー
Kacci      saṃsuddhacāraṇo;
どうか     行いが清らかな者

カッチッサ     アーサワー     キーナー
Kaccissa       āsavā        khīṇā,
どうか        煩悩は       尽きた

カッチ     ナッティ     プナッバヴォー
kacci      natthi      punabbhavo’’.
どうか     ない       再生は

163.
ウィッジャーヤ     チェーワ     サンパンノー
‘‘Vijjāya          ceva       sampanno,
明智           まさしく      具えた者

イティ     サーターギロー    ヤッコー
(iti       sātāgiro         yakkho)
と        七岳           夜叉

アトー     サンスッダチャーラノー
Atho      saṃsuddhacāraṇo;
更に      行いが清らかな者

サッバッサ     アーサワー     キーナー
Sabbassa      āsavā         khīṇā,
すべての      煩悩は        尽きている

ナッティ    タッサ    プナッバヴォー
Natthi     tassa     punabbhavo’’.
ない      彼の     再生は


○一口メモ
雪山夜叉と七岳夜叉の問答は今回の二つの偈で終わります。次にいくつか偈が続き、その後世尊と二人の夜叉との問答が続くのです。

最後ですから、問答のまとめです。雪山夜叉は七岳夜叉に「世尊は智慧を具えていますか?」と訊きます。

「行ないが清らかであるか?」と訊きます。それは、身語意が清らかであるかと訊いているのです。身語意が欲や怒りや無知に基づいて行われてはないかということです。

更に、「世尊からは、すべての煩悩がなくなっているのか?」訊くのです。

最後に、「世尊は輪廻から解脱しているのか?」と訊くのです。

それに対して、七岳夜叉は雪山夜叉に次のように答えます。

「世尊はまさしく智慧を具えたお方である。」

「行いが清らかである。」すなわち、身語意において、欲や怒りや無知がない方であるということです。

「世尊からはすべての煩悩がなくなっている。」

最後に、「世尊は再び生まれ変わることはない。」と答えます。すなわち、涅槃を体得しているので、輪廻から解脱しているのです。


智慧あるか 身語意は 清らかか 煩悩断って 輪廻しないか<162>

智慧はある 身語意は 清らかだ 煩悩断って 輪廻はしない<163>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年08月21日 11:20
智慧を開発するための
知識だけ有れば良いのです。
明知の成就者には
最早その知識さえも
邪魔になりますね。
「有」や「無」の観念を
超えていますね。
こころざし
2016年04月01日 17:44
以前「何かに役立つ知識」を得ることに(自己満足で)貪欲で、実に様々な知識を・・の道に走った事があります、「雑学読本をどんどん読み進める」様な感じでした。その結果、その知識が役に立った!と思うような流れの結果になる事は皆無だったのと・折角得た知識が容易に忘れ去られる事に愕然としました。
そのような知識を求める事に時間・労力を使ってしまうのではなく、智慧がつくように努めたいです。