死ぬことが 一番の恐怖 どのように 恐怖をなくすか お尋ねしよう<166>及び<167>

○少年少女のためのスッタニパータ166.167.
・・・
死ぬのが一番怖い
死ぬのが嫌だ
どうしたら死なないことができますか?
お釈迦さまに聞いてみましょう。


166.167.第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 15.16.

○毎田周一先生訳
166
獅子のやうに独立の道をゆき
象のやうに欲望を顧みないで進まれる
その人に近づいて
どのようにしたら死のわなから解き放たれるかをお尋ねしよう

167
一切の物事を究め尽くして 
説き明かし 述べ伝えてくださる人
憎しみと怖れをこえた自覚の人 
そのゴータマに私達はお尋ねしよう


○中村元先生訳
166
諸々の欲望をかえりみることなく、
あたかも獅子のように象のように独り行くかれに近づいて、
われらは尋ねよう、
──死の縛めから解き放たれる道を。」

167
(その二つの神霊がいった)、
「説き示す人、説き明かす人、
あらゆることがらの究極をきわめ、
怨みと恐れを越えた目ざめた人、
ゴータマに、われらは問おう。」


○正田大観先生訳
168.(166) 
獅子のように〔常に〕独り歩む龍に、
諸々の欲望〔の対象〕について期待なき方に、
近しく赴いて、死魔の罠の解き放ちを、
〔わたしたちは〕問い尋ねるのです」〔と〕。(16)

169.(167) 
〔世尊にたいし、サーターギラ夜叉とヘーマヴァタ夜叉が言った〕
「〔真理を〕告知し〔真理を〕伝授する方に、
一切諸法(現象世界)の彼岸に至る方に、
怨恨と恐怖〔の思い〕を超え行った覚者に、
ゴータマ〔姓〕の方に、わたしたちは問い尋ねます」〔と〕。(17)


○パーリ語原文
168.
シーハンウェーカチャラン     ナーガン
‘‘Sīhaṃvekacaraṃ          nāgaṃ,
獅子のように一人行く        象の(ように)

カーメース     アナペッキナン
Kāmesu       anapekkhinaṃ;
欲望において   期待しない

ウパサンカンマ    プッチャーマ
Upasaṅkamma    pucchāma,
接近を         質問する

マッチュパーサッパモーチャナン
maccupāsappamocanaṃ.
死の罠の解き放ちを


169.
アッカーターラン    パワッターラン
‘‘Akkhātāraṃ      pavattāraṃ,
説示者に        宣説者に

サッバダンマーナ     パーラグン
Sabbadhammāna     pāraguṃ;
一切諸法の        彼岸に達した


ブッダン     ウェーラバヤーティータン
Buddhaṃ    verabhayātītaṃ,
仏陀に      恨みと恐怖を超えた

マヤン    プッチャーマ     ゴータマン
mayaṃ    pucchāma      gotamaṃ’’.
私たちは   質問する        ゴータマに


○一口メモ
さあ、ついに二人の夜叉はゴータマ・ブッダに会いに行くことになります。そこで、この二人の夜叉はゴータマ・ブッダに一番尋ねたいことは何だったのでしょうか?

それは、「死の罠からの解き放ち」だったのです。つまり、死の恐怖を取り除くことだったのです。夜叉に限らずすべての生命は、何としてでも生きたいと望んでいます。ですから、死ぬことが一番嫌なことであり、死ぬことは恐怖なのです。

当然人間もその通りです。私達も是非そのことにはゴータマ・ブッダに尋ねたいことです。

なにしろ、彼はあらゆる事柄を究め、恨みや怖れを克服した悟った人だからです。彼は当然死の恐怖を超越しているからです。

明日以降のことを少し、先まわりして言えば、この二人の夜叉、ゴータマ・ブッダにこの質問をしないのです。少し回り道して、質問するようです。


死ぬことが 一番の恐怖 どのように 恐怖をなくすか お尋ねしよう<166>

物事を 究め尽くして 恐怖など なくしたブッダに お尋ねしよう<167>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年08月24日 17:26
「生」と「死」の現象は
輪廻の輪の中にある証拠ですけれども
御二人の夜叉が
「死の回避、死の恐怖の克服法」を
質問しないと言う事は、
「死」をもう二度と経験しなくて済む
「心の滅尽、解脱」へと導く方法を
学ぼうと思い、
突然、質問を変更したのでしょうか?
ちょっとわかりません・・・
次はどんな質問なのでしょうか・・・
いけざきなかひこ
2013年08月24日 20:58
ワンギーサさん、こんばんは。ご無沙汰しております。携帯から失礼します。

個人的なことなのですが、最近プールによく通ってます。
あんまし泳げないにも関わらず。
ほんの少ししか泳げず、水面に浮かぶコツを心得ていないため、当然、沈みます。
私は所謂カナヅチさんです。

沈んでしまった時の恐怖感、それは死に対する恐怖と言っても過言ではありません。

その時、必死になって水面に顔を出そうとします。空気を求めて。死にたくないから。

私は水に対する恐怖感は以前から異様に強く、死ぬ際には溺死だけは避けたいと常日頃、思ってます。

でも悲しいかな、生き物である以上、死に方は選べません。

どんなにお金を持っていようとも、美しい容姿を誇っていようとも(←コレ私のこと!)
死に方は選べないのですね。

悟りを開いた方は、どんな死に際であっても、うろたえることがないのですね。

私は凡夫であるので、その境地が全く想像出来ません。
こころざし
2016年04月02日 06:21
死にたくないという気持ちはとても大きく、それを元に生きていると実感致します。そしてそこから様々な欲・怒り等が出てくるように感じます。昨日三重県沖で地震があり、その時も色々煩悩が浮かぶ自分がいました。
そのような死を恐れる自分を乗りこえる、サティで生きれる域になりたいと思います。