激流を 誰が渡るか 大海を 誰が渡るか 誰が沈まぬか<173>及び<174><175>

○少年少女のためのスッタニパータ173.174.175.
・・・
仏教は体は死ぬが
心は死なないと教えます
心は死ななくても、
心を汚すと地獄へ行くと教えます。


173.174.175.第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 23.24.25.

○毎田周一先生訳
173.
「誰が一体この世で盲目の命の流れを渡るのでせうか
誰がこの世で大海の潮の流れのも似たそれを渡り切るのでせうか
誰がつながる処もない 支えてくれるものもない
底も知らぬ深い流れに沈まないでせうか」

174.
「いつもしつかり身を保ち 
智慧の目が開けて心の静かに定まつてゐる人そして
内を省みながら 深い思ひのうちにある人 
彼こそは渡り難いその流れを渡る

175.
欲情のためにあれこれと思うことを離れ
一切の束縛を絶ち切つて
世間の楽しみに何のかかわりもなくなつた人
彼こそは底も知らぬ深みに沈まない人である」


○中村元先生訳
173
「この世において誰が激流を渡るのでしょうか? 
この世において誰が大海を渡るのでしょうか? 
支えなくよるべのない深い海に入って、
誰が沈まないのでしょうか?」

174
「常に戒を身にたもち、
智慧あり、よく心を統一し、
内省し、よく気をつけている人こそが、
渡りがたい激流を渡り得る。

175
愛欲の想いを離れ、
一切の結び目(束縛)を越え、
歓楽による生存を滅しつくした人
──、かれは深海のうちに沈むことがない。」



○正田大観先生訳
175.(173) 
〔ヘーマヴァタ夜叉が尋ねた〕
「いったい、誰が、この〔世において〕、〔貪欲の〕激流を超えるのですか。
誰が、この〔世において〕、〔生死の〕海を超えるのですか。
誰が、依って立つところなく支えなき深み(生死の海)に沈まないのですか」〔と〕。(23) 176.(174) 
〔世尊は答えた〕
「一切時に戒を成就した者、
〔心が〕善く定められた知慧ある者、
内に〔正しい〕思弁ある気づきの者は、
超え難き激流を超えます。(24) 177.(175) 
欲望の表象(想:概念・心象)を離れた者、
一切の束縛するものを超え行く者、
愉悦〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者
――彼は、深み(迷いの海)に沈みません」〔と〕。(25)

○パーリ語原文
175.
コー    スーダ       タラティ    オーガン
‘‘Ko     sūdha       tarati      oghaṃ,
誰が    一体ここで    渡る(か)   激流を

コーダー    タラティ     アンナワン
Kodha      tarati      aṇṇavaṃ;
誰がここで   渡る(か)    海を

アッパーティッテェー     アンーランベー
Appatiṭṭhe            anālambe,
支えのない           手がかりのない           

コー    ガンビーレー     ナ    スィーダティ
ko      gambhīre      na     sīdati’’.
誰が    深い         ない    沈ま

176.
サッバダー    スィーラサンパンノー
‘‘Sabbadā     sīlasampanno,
一切時に     戒を保ち

パンニャワー     スサマーヒトー
paññavā        susamāhito;
智慧あり        よく心統一して

アッジャッタチンティー     サティマー
Ajjhattacintī            satimā,
内省し               気付きある者が

オーガン     タラティ     ドゥッタラン
oghaṃ      tarati       duttaraṃ.
激流を      渡る       渡り難い

177.
ウィラトー     カーマサンニャヤ
‘‘Virato       kāmasaññāya,
離れた者     欲望の想いを

サッバサンヨージャナーティゴー
sabbasaṃyojanātigo;
一切の束縛を超えた者

ナンディーバワパリッキーノー
Nandībhavaparikkhīṇo,
歓喜と生存が滅した者

ソー    ガンビーレー    ナ     シーダティ
So     gambhīre      na      sīdati’’.
彼が    深い(海に)     ない      沈ま 


○一口メモ
昨日の三つの偈で、苦しみから解放される道が示されました。それは欲望から離れるということでした。
一言で「欲望から離れること」と言われても、雪山夜叉はそんなことが出来るのかと思いました。そこで、
173番の偈で世尊に質問するのです。

「誰が一体この世で激流を渡れるのか?」と質問します。ここで激流とは欲望のことです。今までは誰もこの欲望から離れようとしなかったからです。

また「誰がこの世で海を渡れるのでしょうか?」と質問します。ここで海とは何でしょうか?正田先生の訳には「生死の海」としてあります。雪山夜叉が世尊に一番訊きたかったことは死の恐怖から解放されることでした。
生と死の意味が明らかになったとき、死の恐怖を克服することが出来るのでしょう。」そこで、海とは死の恐怖を意味していると言ってもよいでしょう。それならば、「死の恐怖を誰が克服できるのか?」ということになります。

欲望の激流も死の恐怖の海も立つ底にない、捕まる処のないような場所なのです。そこでは沈んでしまうのではないかという心配がありのです。

確かに、誰でもが欲望から離れること、死の恐怖を克服することはできません。ですから、世尊は174番の偈で次のように答えます。「常に戒を守る人、智慧があって、心を統一させている人、注意を自分の心に向け、心に欲が現れないように守っている人が、渡り難い激流を渡ることが出来る」と述べるのです。

更に、175番の偈で、常に戒を守り、智慧あり、心の統一のある人、気付きのある人は、心に欲が現れないようにすることができます。智慧があれば、欲や苦しみの原因であることをよく理解して、心の統一と気付きある人は、欲の想いから離れることによって、欲が心に現れることを抑えることが出来るのです。

更に、「一切の束縛を超えた人」とは十結と言われる十の煩悩をすべてなくした人です。この人は阿羅漢なのです。

ちなみに十結とは次の通りです。
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと

「歓喜と生存が滅した者」とは、正田先生は、「愉悦〔の思い〕と〔迷いの〕生存が完全に滅尽した者」と訳されています。このような人は、欲望の激流も生死の海にも沈まないのです。


激流を 誰が渡るか 大海を 誰が渡るか 誰が沈まぬか<173>

戒守り 智慧の目あり 定の人 気付きある人 激流渡る<174>

欲望と 世俗の楽しみ 捨てた人 生死の海に 沈むことない<175>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年08月27日 10:03
ワンギーサ先生
有難うございます。

サンカーラーは苦ですね。
思い通りになりません。
しかし 荒れ狂った激流も
底知れない大海も
静まれば
渡り易くなりますね。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年04月03日 09:47
時間がある時ほど、修行ではなく何か他の事をしてそして心が曇る・・ような流れを作りかねない自分がいます。どのような状況でも心の色が濁らない様に、サティや仏道実践が出来るよう姿勢を持ちたいです。そして智慧が持てるように努めたいと思います。