彼を見よ あらゆることに 解脱した 天の道行く 大仙人を<176>及び<177>

○少年少女のためのスッタニパータ176.177.
・・・
お釈迦様は智慧がある。
お釈迦様には欲はない。
お釈迦様はこだわらない。
お釈迦様は静かに歩く。


176.177.第1 蛇の章 9.雪山夜叉経 26.27.

○毎田周一先生訳
176.
深い智慧の目で微妙な事を知り
すべてを捨てて欲望に生きることを離れ
どんな事に向つても捉われない
この気高い道を行かれる大いなる人を今ここに見ました

177.
至高の名を得て微妙な事を知り
人に智慧の目を開かせ欲望に捉はれず
一切を知つて物事に透徹し
この清らかな道を行かれる大いなる人を今ここに見ました


○中村元先生訳
176
(雪山に住む者という神霊がいった)、
「深い智慧があり、微妙な意義を見、
何ものをも有せず、欲の生存に執著せず、
あらゆることがらについて解脱し、
天の路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

177
世に名高く、微妙な意義を見、
智慧をさずけ、欲望の起る根源に執著せず、
一切を知り、よく聡明であり、
気高い路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。


○正田大観先生訳
178.(176) 
〔サーターギラ夜叉とヘーマヴァタ夜叉が言った〕
「深遠なる知慧ある方を、精緻なる義(道理)を見る方を、
無一物で欲望〔の対象〕と〔迷いの〕生存に執着なき方を、
彼を、見よ――一切所に解脱した方を、
天なる道を進み行く偉大なる聖賢を。(26)
179.(177) 
至上の名ある方を、精緻なる義(道理)を見る方を、
〔解脱の〕知慧を与える方を、欲望と執着〔の対象〕に執着なき方を、
彼を、見よ――一切を知る思慮深き方を、
聖なる道を進み行く偉大なる聖賢を。(27)

○パーリ語原文
178.
ガッビーラパンニャン     ニプナッタダッシン
‘‘Gabbhīrapaññaṃ      nipuṇatthadassiṃ,
深い智慧の人         微妙な意味を見る人


アキンチャナン     カーマバウェー     アサッタン
akiñcanaṃ        kāmabhave       asattaṃ;
何も持たない人    欲望と生存に      執着しない人

タン     パッサタ     サッバディ     ウィッパムッタン
Taṃ     passatha     sabbadhi     vippamuttaṃ,
彼を     見よ        あらゆる点で  解脱した人

ディッベー    パテー      カママーナン    マヘースィン
dibbe       pathe       kamamānaṃ    mahesiṃ.
天の        道を       歩んでいる     大仙人を


179.
アノーマナーマン     ニプナッタダッスィン
‘‘Anomanāmaṃ      nipuṇatthadassiṃ,
最高の名前の人     微妙な意味を見る人

パンニャーダダン     カーマーライェー    アサッタン
paññādadaṃ        kāmālaye        asattaṃ;
智慧を与える人      欲望と愛着       執着しない人

タン     パッサタ     サッバウィドゥン    スメーダン
Taṃ     passatha     sabbaviduṃ      sumedhaṃ,
彼を     見よ       一切を知る人     よく賢い人

アリイェー     パテー    カママーナン    マヘースィン
Ariye        pathe     kamamānaṃ    mahesiṃ.
聖なる        道を      歩んでいる      大仙人


○一口メモ
昨日の173番、174番、175番の偈で、欲望の激流、生死の海を渡るためには、戒を守り、心を統一させ、智慧を持つこと、すなわち戒定慧が必要であることを七岳夜叉と雪山夜叉は世尊から学んだのです。

問題解決の方法を訊いたこの二人の両夜叉はその喜びから今回の偈で世尊を称賛するのです。

両夜叉が世尊を褒め称えた言葉は上の先生方の訳で示されています。

176番の偈では、先ず智慧が称賛されました。智慧は汲めども汲みつくせない井戸のように深いと言う言葉で表現されました。その智慧で真理が説き明かされたのです。

微妙な真理が明らかになったので、「何も持たない、或は欲望や愛着に執着しない」という世間では評価されない事柄を、素晴らしいことだと称賛したのです。この段階で両夜叉は智慧を得ています。

「天の道を歩いている」何を意味しているのでしょうか? 具体的に言えば、第一禅定から第四禅及び無色界の四つの禅定を指していると考えられます。

大仙人とは、世尊、お釈迦様のことを言っているのです。

次の177番の偈では、始めの言葉は、最高の名前の人、最高に有名な人として世尊を褒め称えました。次の言葉は176番と同じです。微妙な意味、真理を見る人です。これは大切な言葉なのです。世間の人々はこれが解らないからです。

次は、自分に智慧があるだけではなく、人々に智慧を与える人だと称賛しました。これは本当にありがたいことです。2500年以上たった現代の人々にも、智慧を与えています。

177番では、天の道ではなく、聖なる道と述べられています。これは聖なる八つ道、八聖道を意味していると思います。完成された八聖道です。修行初心者が歩む八正道もありますが、これとは違います。八正道は繰り返し実践して、八聖道を進めるようになるのです。


彼を見よ あらゆることに 解脱した 天の道行く 大仙人を<176>

彼を見よ 一切を知り  思慮深い 聖なる道行く 大仙人を<177>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年08月28日 10:51
有余涅槃に達するまでの
ガイダンスとしての八聖道と 
そのプロセスの八段階目安は
お釈迦様が確かに実践・体験され
それらを人々に明示されたからこそ
その証拠として二千五百年後であっても
私達が真理を学べるのですね。
この上無い幸福に感謝致します。
生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年04月04日 11:07
ブッダの素晴らしさを心より感じます。学びの機会を大切にさせて頂きながら智恵がつくように精進し、そしてご縁のある範囲でそのブッダの素晴らしさを、道を求めている方に紹介するような機会があれば実行して参りたいです。