聖者だと 言われる人は 施しを 褒めることなく けなすことなし<217>

○少年少女のためのスッタニパータ217.
・・・
あれが好き、これが嫌いなどと
言わないこと。
お釈迦様は
そんなことは言いません。


217.第1 蛇の章 12.聖者の経 11.

○毎田周一先生訳
217(11)
ひとの施しを受けて生活をする人が
上等の食物を受けても 中位のもの あるひは残り物を受けても
これをほめもせずけなすこともなければーー
かういふ人を亦 賢い人が「静かな人」であるといふ


○中村元先生訳
217
他人から与えられたもので生活し、
[容器の]上の部分からの食物、中ほどからの食物、残りの食物を得ても、
(食を与えてくれた人を)ほめることなく、またおとしめて罵ることもないならば、
諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。


○正田大観先生訳
219.(217) 
それが、至高のものであれ、中等のものであれ、あるいは、残りもの(残飯)であれ、
〔行乞の〕食を、他者の施しに依拠して生きる者(出家者)が得るとして、
褒めようにも十分ならず、また、不平を説く者でもないなら(褒めもせず貶しもしないなら)―
まさしく、彼をもまた、慧者たちは、「牟尼」と知る。(11)

○パーリ語原文
219.
ヤダッガアトー      マッジャトー     セーサトー    ワー
Yadaggato        majjhato        sesato      vā,
それが最初のもの   中ほどのもの     残りのもの   或は

ピンダン    ラベータ    パラダットゥーパジーウィー
piṇḍaṃ     labhetha    paradattūpajīvī;
施食を     得て       他人の施しで生きる者は

ナーラン     トゥトゥン       ノーピ    ニパッチャワーディー
Nālaṃ       thutuṃ        nopi     nipaccavādī,
十分でない   称賛された人を   もない    傷つけるように語る人

タン    ワーピ    ディーラー    ムニ     ウェーダヤンティ
taṃ    vāpi      dhīrā       muni      vedayanti.
彼は    もまた     賢者たちが    聖者と      知る


○一口メモ
この偈が出来た由来の物語があります。それはダンマパダ367偈の因縁物語と共通ものです。この偈との関係はあんまりなさそうに思いますが、その要点だけ述べます。

ある日、ブッダは一組のバラモン夫婦が、悟りの第三段階である不還果を得る潜在能力があることを感知されました。そこで、ブッダは鉢を持って、この夫婦に会いに出かけ、その家の前に立ちました。ちょうど夫婦は朝食を食べている最中でした。夫は玄関を背にして座っていたため、ブッダの姿は見えなかったのですが、妻は反対側に座っていたため、ブッダの姿をはっきり見ました。

しかし、妻は「もし夫がブッダの来訪を知ったら、自分の食事をすべてお布施するでしょう。そうすれば、もう一度ご飯を炊かなければならない」と考えて、夫に気づかれないように、ブッダに「尊者様、今日はお断りします。」と知らせました。するとブッダは「行きません。」と頭を振られました。彼女はそのしぐさを見て、大笑いしてしまいました。

そのため、夫はブッダの来訪に気が付き、妻をたしなめながら、自分のご飯を持って、ブッダに近づき、「尊者よ、少し手を付けたご飯ですが、この施しを受け取って下さい。」と申し訳なさそうに言いました。ブッダは「バラモンよ、それが未だ手をつけられてないご飯であっても、あるいは少し食べ始めたご飯であっても、あるいはスプーン一杯のご飯であっても、清浄な心で施された施食は、私にふさわしいものである」と答えられました。このブッダの言葉を聞いて、夫は安堵すると同時に、幸せな気分になりました。その時説かれた偈が今回の217番ということです。この因縁物語に依れば、この偈が、ブッダがご自分の事を述べられたことになりますね。


聖者だと 言われる人は 施しを 褒めることなく けなすことなし<217>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年09月25日 11:30
遠大なる真理が
わざわざ自らの足を運ばれて
会いに来て下さったのにも関わらず
バラモンの妻は
目先の利益にちまちまこだわり
法喜食を食むと言う
最高・最上の利を
妻本人が失うのはかまわないが
結果的に夫からもその機会を取り上げ
失わせると言う
最悪行為をしようと
心に思い実行したのですね。。。。。。。
ご飯をあげない=命をつながなくていい
=真理はいりません=大笑いし、さげすむ

    恐ろしいです・・・・・・・・・

寂静の境地に至った方に帰依致します。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年04月13日 08:18
不還果を得る潜在能力があるバラモン夫婦の妻が、もう一度ご飯を炊きたくない、とブッダに「今日はお断りします」と伝えた、と拝見し吃驚致しました。そんな行為もブッダは慈しみで接して下さったと感じます。
振り返ると、私後自身もお布施が出来る機会に、今の所持金から諸々考慮し・・等そのバラモンの妻を笑えない状況になる事があります。戒めてもう一歩成長出来るようにしたいです。