苦行者が 菜食すべき 生臭は 止めるべきだと 非難した<239>及び<240><241>

○少年少女のためのスッタニパータ239.240.241.
・・・
「あなたは肉や魚を食べながら
『私は生臭坊主ではない』とよく言うね。」
「あなたたち
生臭とは何か知っているのかい?」


239.240.241.第2 小さな章 2.生臭経 1.2.3.

○中村元先生訳
239
「稷(キビ)・ディングラカ・チーナカ豆・
野菜・球根・蔓の実を
善き人々から正しいしかたで得て食べながら、
欲を貪らず、偽りを語らない。

240
よく炊がれ、よく調理されて、
他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を
舌鼓うって食べる人は、
なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241
梵天の親族(バラモン)であるあなたは、
おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、
しかも<わたしはなまぐさものを許さない>と称している。
カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。
あなたの言う<なまぐさ>とはどんなものですか。」


○正田大観先生訳
242.(239) 
〔苦行者ティッサが尋ねた〕「さてまた、諸々のサーマーカ(雑穀の一種)やチングーラカ〔草〕やチーナカ〔豆〕を、
葉の果(野菜)を、根の果(根菜)を、蔓の果(果実)を――
〔すなわち〕正しくある者たちの法(教え)によって得たもの(規則どおりに採取したもの)を、
〔常に〕食べている者たちは、欲を欲するままに偽りを話すことがありません。(1)
243.(240) 
それが〔何であれ〕、上手に作り為され見事に盛り付けされたものを、
〔常に〕食べている者は――
〔すなわち〕他者たちによって布施され供与された妙なるものを、
〔雑穀の混じらない〕米の食べ物を、〔常に〕受益している者は――
カッサパ(迦葉:過去仏)よ、彼は、生臭ものを食べたのです。(2)

244.(241) 
上手に調理された諸々の鳥肉とともに、〔雑穀の混じらない〕米の食べ物を受益しながら、
梵〔天〕(ブラフマー神)の眷属(過去仏カッサパ)よ、
あなたは、『わたしにとって、生臭は、適確ならず』と、
まさしく、かくのごとく語ります。カッサパよ、この義(意味)を、
あなたに尋ねます。あなたの〔説く〕生臭は、どのような流儀のものですか」〔と〕。(3)


○パーリ語原文
242.
サーマーカチングラカチーナカーニ    チャ
‘‘Sāmākaciṅgūlakacīnakāni         ca,
雑穀・チュングラカ草・チーナカ豆     また

パッタッパラン    ムーラパラン     ガウィッパラン
pattapphalaṃ    mūlaphalaṃ      gavipphalaṃ;
野菜          根菜          つるの実を

ダンメーナ    ラッダン    サタマスナマーナー
Dhammena   laddhaṃ    satamasnamānā,
法によって    得たもの    善き人の・食う者

ナ    カーマカーマ    アリカン    バナンティ
na    kāmakāmā     alikaṃ      bhaṇanti.
ない   欲を求めて    嘘を       語る

243.
ヤダスナマーノー      スカタン      スニッティタン
‘‘Yadasnamāno       sukataṃ      suniṭṭhitaṃ,
何であれ・食べている   よく調理され   よくできた

パレーヒ    ディンナン    パヤタン    パニータン
parehi      dinnaṃ      payataṃ    paṇītaṃ;
他人から    与えられ     施された    優れものを               

サーリーナマンナン    パリブニャマーノー
Sālīnamannaṃ       paribhuñjamāno,
米の飯を          食べている人は

ソ    ブニャスィー    カッサパ    アーマガンダン
So    bhuñjasī      kassapa     āmagandhaṃ.
彼は  食べている    カッサパよ    生臭を


244.
ナ    アーマガンドー    ママ     カッパティーティ
‘‘Na    āmagandho     mama    kappatīti,
ない   生臭は        私に     ふさわしい・と

イッチェーワ    トゥワン    バーサスィ    ブラフマバンドゥ
Icceva        tvaṃ      bhāsasi      brahmabandhu;
と・だけ       あなたは    言う        バラモンの親族よ

サーリーナマンナン    パリブニャマーノー
Sālīnamannaṃ       paribhuñjamāno,
米の飯を           食べている人は

サクンタマメーセーヒ     スサンカテーヒ
sakuntamaṃsehi       susaṅkhatehi;
鳥肉と共に           よく料理された

プッチャーミ    タン    カッサパ     エータマッタン
Pucchāmi     taṃ     kassapa     etamatthaṃ,
問う        あなたに  カッサパよ   その意味を

カタン     パカーロー   タワ     アーマガンドー
kathaṃ    pakāro      tava     āmagandho’’.
どんな    種類か     あなたの   生臭とは      


○一口メモ
今日から、「生臭経」が始まります。この経は過去世にカッサパ仏がティッサという苦行者に教えたことだと言われています。この経は14偈で構成されています。始めの3偈がティッサの言葉であり、中間の9偈はカッサパ仏の言葉であり、最後の2偈は経の編集者の言葉です。

苦行者ティッサは、肉や魚は生臭であり、修業者は生臭を食べることは正しいことではないと考えているのです。ところがブッダであると言われているカッサパ仏は、供養された肉や魚を食べていたことが分かりました。また、カッサパ仏が「生臭は私にふさわしくない」と言われたことも知っていました。

そこで、ティッサはカッサパ仏に239偈のように、「聖者たちは、穀物や野菜や豆などを食べて、聖者にふさわしいものを得て、それを食べています。彼らは決して、欲望のために、嘘を言うことはありません。」と言い、暗にカッサパ仏を非難しました。

更に、240偈では、「カッサパ仏は、王侯からも、よく調理された、肉魚や米の飯など上等の食べ物を食べています。カッサパ仏よ、あなたは生臭を食べているのですよ。」と更に非難しました。

241偈では、「あなたは『生臭は私にはふさわしくない』と言っているでしょう。これは一体どういうことですか? あなたはよく調理された鳥肉と共に、上等な米のご飯まで食べています。あなたの生臭とはどのようなものですか?」とティッサはカッサパ仏(世尊)問うことになりました。

明日からは、その問に対するカッサパ仏(世尊)の答えが始まります、


苦行者が 菜食すべき 生臭は 止めるべきだと 非難した<239>

カッサパよ おいしい飯を 食うならば 生臭食うと 言うべきだろう<240>

カッサパよ 一体何を 生臭と 言うべきなのか 我に答えよ<241>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月25日(金)から10月31日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。
理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします



◎11月2日(土)夜のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。
理由は八王子の正山寺のカティナ衣法要にワンギーサが参加するためです。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年10月15日 08:59
苦行者ティッサさんは
「苦行修行」に
心が囚われ、雁字搦めになって
盲目になってしまっていますね。
しかしこれから
カッサパ尊者から
真理を学んで行くのでしょうね。
楽しみです。
MK
2013年10月15日 21:32
明日の答えが気になります。
殺生はいけない。でも、ただ死んで物体となったもの(スーパーの肉や魚)は、食べても殺生を犯したことにはならない。なぜなら、僕は殺生をしていないから。
と、いう説明を覚えています。だからといって、肉や魚をたくさん食べる気にはなりません。肉や魚の味を楽しむ目的で食べ、料理するのは確かに心を汚すことだとスマナサーラ長老の記事に書いてあったと記憶しているからです。

ブッダと言われるカッサパ仏は、調理された肉や魚を食べても生臭ではないと仰る。気分は少しティッサよりです(笑)
僕の食の方向を定める意味でも、カッサパ仏のお答えが気になります。
こころざし
2016年04月23日 07:39
自ら命を殺して採取し食べるのと、調理されたものを食べるのとで何が違うのか?と思いました。後者の場合は生き物を殺さないとの姿勢を貫いていると感じました。また「○○を食べたい」との欲とは無縁になると思いますし、何より食べ物のお布施がなければ飢え死に覚悟の姿勢になると思いますので、心の在り方が全く違う印象を感じました。
余談ですが、先日参加させて頂いた自主都合宿泊冥想び機会(熱海)で、夕食がない分朝・昼食でおかわり自由の主食のお米を沢山食べる自分がいました→その後座ったまま寝てしまい冥想実践にならず、失敗したと反省しました。
食事の観察の内容通り、量を配慮しようと決めました。失敗から学びたいです。