法津(のりつ)如来 の独り言

アクセスカウンタ

zoom RSS 感覚に 注意を向けて 行えば 見聞きしたことで 汚染されない<250>

<<   作成日時 : 2013/10/24 04:40   >>

トラックバック 0 / コメント 3

○少年少女のためのスッタニパータ250(12)
・・・
見れば欲しくなり、
聞けば楽しくなるけれど、
それで心が汚れることに
気づくべきなのだ。


250.第2 小さな章 2.生臭経 12.

○中村元先生訳
250
通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。
理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、
執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、
見聞きしたことに汚されない。」


○正田大観先生訳
253.(250) 
諸々の〔欲望の〕流れにたいし〔心が〕守られた者として、〔感官の〕機能(根)を征圧した者として、〔世を〕歩むのです。
法(正義)に依って立ち、正直と温厚を喜び、
執着を超え行き、一切の苦しみを捨棄した慧者は、
諸々の見られ聞かれたもの(執着の対象になった認識対象)に汚されません」〔と〕。(12)


○パーリ語原文
253.
ヨー    ソーテース    グットー    ウィディティンドゥリヨー  チャレー
‘‘Yo     sotesu       gutto      viditindriyo          care,
人は    流れにおいて   守り      感官を知って        行ずるがよい

ダンメー    ティトー    アッジャワマッダウェー  ラトー
dhamme    ṭhito      ajjavamaddave        rato;
法において  安立し    率直・柔和を         楽しみ

サンガーティゴー    サッバドゥッカッパヒーノー
Saṅgātigo         sabbadukkhappahīno,
執着を超えて       一切の苦を捨て

ナ    リッパティ    ディッタステース   ディーロー
na    lippati       diṭṭhasutesu      dhīro’’.
ない   汚す       見聞きしたことに   賢者は


○一口メモ
昨日の偈の解説では詳しく述べませんでしたが、昨日の偈は戒禁取(カイゴンシュ)と疑(ギ)という煩悩があれば、生臭は浄化されないということを述べたものです。苦行や無意味な儀礼・儀式が戒禁取です。疑は、生臭の原因を理解してないこと、拡大して理解すれば因果法則を理解せず、それに対す疑いを持っていることです。

さて、それではどのような方法で生臭が浄化されるのでしょうか。カッサパ仏は今回の偈の一行目だけで、それを明確に説かれました。中村先生の訳で示せば、「通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。」ということです。

通路(六つの機官)とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官のことです。そこから外部からの刺激が心に入ってくるのです。快い刺激が入ると欲が生まれます。それを欲しい、もっと欲しいと思います。不快な刺激が入ると、嫌だという怒りが生まれてくるのです。快でも不快でもない刺激が入ると無関心あるいは無知が生まれるのです。欲や怒りや無知は心の汚れです。

心が汚れないようにすること、生臭にならないようにするためには、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官に入ってくる外部刺激に気づき、心が欲や怒りや無知にならないように守ることが大切なのです。心に入る外部刺激に気づかないと自動的に心は欲怒り無知に汚れますが、この感覚器官に入ってくる外部刺激に気づくことができると、感覚の流れをストップできるのです。そうすれば心は汚れず、浄化されていくのです。実はこの気づきのこの練習がヴッパッサナー冥想なのです。

また、この感覚の流れから、自分がいるという想い(妄想)も生まれます。この想い(妄想)が自我です。心の流れから心を守ることによって自我がなくなってきます。私がいるという誤解は有身見と言います。はじめに述べました戒禁取、疑、そしてこの有身見という三つの煩悩がなくなった方を、悟りの四段階の始めの段階である預流果という悟りに至るのです。

この偈の「理法のうちに安立し」あるいは「法(正義)に依って立ち」は預流果に悟った方を意味しています。この法とは四聖諦のことです。

次の「まっすぐで柔和なことを楽しみ」あるいは「正直と温厚を喜び」は悟りの二番目の段階である一来果に悟った方を意味しています。一来果に悟った方は心を硬直した状態にする貪り・憎しみが極めて薄いからです。

そして、「執著を去り」あるいは「執着を超え行き」は不還果に悟られた方を意味しています。この方は貪り・憎しみの執着を超えているのです。

最後に、「あらゆる苦しみを捨てた」あるいは「一切の苦しみを捨棄した」は阿羅漢に悟られた方を意味しているのです。すべての苦しみを捨てた方はすべての煩悩を捨てた方なのです。

このようにしてカッサパ仏は、最高の清浄を得ている阿羅漢の境地を説くことで説法を終わられたのです。


感覚に 注意を向けて 行えば 見聞きしたことで 汚染されない<250>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎10月25日(金)から10月31日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。
理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎11月2日(土)夜のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。
理由は八王子の正山寺のカティナ衣法要にワンギーサが参加するためです。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
一切の現象の
あるがままの姿を
観る努力を致します。

生きとし生けるものが幸せでありますように
櫻井由紀
2013/10/24 09:11
文章でさらっと読むとすぐにも出来そうなのですが…。
自分では出来ているつもりでも、疲れ、余裕が無くなってくると怒り等の悪感情がさっと膨れ上がるのが分かります。特に怒りは気持ち悪くなりますし、がっかりします。
まずはしっかり休んで、エネルギーをチャージしてきます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
MK
2013/10/25 00:13
感覚から思考・妄想が回転していく事を実感しています。ですが怒り等興奮してしまうような時ほど、それを観察する状況にはなっておらず、放逸な状況になっている事があります。
不放逸が多少出来ているような時は「自分が」という自我は減る印象を感じています。
ヴッパッサナー冥想をもっと実践して参りたいです。
こころざし
2016/04/26 04:53

コメントする help

ニックネーム
本 文
感覚に 注意を向けて 行えば 見聞きしたことで 汚染されない<250> 法津(のりつ)如来 の独り言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる