針毛夜叉 世尊を脅すが 驚ぬ 難問出すが どうなるだろう<270序>

○少年少女のためのスッタニパータ270序.
・・・
智慧のある人は
怖れるものがない。
恐怖が何か
知っているから。


スッタニパータ270序. 第2 小さな章 5.スーチローマ夜叉経<270序>

○中村元先生訳
わたしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のタンキク石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。そのときカラという神霊とスーチローマという神霊とが、師のいます近くを通りすぎた。そのときカラという神霊はスーチローマという神霊に言った、「かれは<道の人>である」と。(スーチローマという神霊は言った)、かれは真の<道の人>であるか、或いは似而非の<道の人>であるかを、わたしが知らないうちは、かれは真の<道の人>ではなくて、似而非の<道の人>である。」

 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り、そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。そこでスーチローマという神霊は師にいった、「<道の人>よ。汝はわたしを恐れるのか。」(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。しかし汝に触れることは悪いのだ。」(スーチローマという神霊はいった)、「<道の人>よ。わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見ない。友よる汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。──


○正田大観先生訳
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ガヤーに住んでおられます。タンキタ石床における、スーチローマ夜叉の居所において。さて、まさに、その時、カラ夜叉と、スーチローマ夜叉とが、世尊から遠く離れていないところを通り過ぎます。そこで、まさに、カラ夜叉は、スーチローマ夜叉に、こう言いました。「この者は、沙門だ」と。「この者は、〔本物の〕沙門ではない。この者は、〔格好だけの〕沙門さんだ。あるいは、もしくは、彼が、〔本物の〕沙門であるのか、あるいは、もしくは、彼が、〔格好だけの〕沙門さんであるのか、わたしが知る、それまでは」と。  
そこで、まさに、スーチローマ夜叉は、世尊のおられるところに、そこへと近しく赴きました。近しく赴いて、世尊に、身体を近づけました。そこで、まさに、世尊は、身体を離しました。そこで、まさに、スーチローマ夜叉は、世尊に、こう言いました。「沙門よ、わたしを恐れるのか」と。「友よ、まさに、わたしは、あなたを恐れません。ですが、ただ、あなたに触れることは、悪しきことなのです」と。
「沙門よ、おまえに、問いを尋ねよう。それで、もし、わたしに、〔答えを〕説き示さないなら、あるいは、おまえの心を投げ放つ、あるいは、おまえの心臓を切り裂く、あるいは、〔両の〕足を掴んでガンガー〔川〕の彼岸に投げ放つ」と。
「友よ、天〔界〕を含む世において、魔〔界〕を含み梵〔界〕を含む〔世〕において、沙門や婆羅門を含む人々において、天〔の神〕や人間を含む〔人々〕において、彼が、あるいは、わたしの心を投げ放つとして、あるいは、わたしの心臓を切り裂くとして、あるいは、〔両の〕足を掴んでガンガー〔川〕の彼岸に投げ放つとして、その者を、まさに、わたしは見ません。友よ、ですが、ともあれ、あなたは尋ねなさい

――〔あなたが〕それを望むなら」と。そこで、まさに、スーチローマ夜叉は、世尊に、詩偈をもって語りかけました。
○一口メモ
今日から「スーチローマ夜叉経」が始まります。この経は序と四偈からなる短いものですが、ブッダの教えの大切な要点が述べられています。

この序に対する解説を少し付け加えます。世尊はある朝、世間を見まわして、スーチローマ(針毛)とカラ(ざらざら皮)という二人の夜叉が預流果に悟る素質があることを見つけました。そのために、世尊はスーチローマ夜叉の居所に出かけたのです。二人の夜叉は世尊を見て、序に書かれているような会話をします。スーチローマは自分を怖れるものは本物の沙門(修行僧)ではないという考えを持っていたので、彼は世尊に近付きました。しかし、世尊は怖れないので、世尊を困らせようと仏教に関する質問をしようと思いました。それは難問だから、世尊に答えられないだろうと考えたのです。

そこで、詩偈で次の質問をすることになります。それは明日紹介します。

*今回の序のパーリ語原文は省略します。


針毛夜叉 世尊を脅すが 驚ぬ 難問出すが どうなるだろう<270序>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

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◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年11月14日 10:06
スーチローマー夜叉の高慢が
無明を強化してしまい
全てが見えなくなってしまったのですね。
慚・愧が弱まって理性が無くなり
悪行為をしてしまっていますね。
高慢によって
能力の低下した状態のスーチローマ夜叉は
はたしてお釈迦様の御答えを
理解・納得出来るのでしょうか?
どんな質問をするのでしょうか?

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年05月03日 06:22
夜叉にも預流果に悟る素質のある方がいるのですね。ブッダとご縁を持てて至福と思います。
また「自分を怖れるものは本物の沙門ではないという考えを持っていた」のは、本質を分る目をお持ちだったのかなと感じました。
針毛夜叉の難問は何だろうと興味津々です。次の偈が楽しみです。