悪いこと 酒を飲むこと 止めにして 自省があれば 最高の幸<264>

○少年少女のためのスッタニパータ264.
・・・
生きものに対して
やさしい気持ちがあれば
五戒を守ることは
むずかしくない。


スッタニパータ264. 第2 小さな章 4.吉祥経 7.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
7.
悪法から離れること、
飲酒を自制すること、
教法において怠けないこと、
これが最上の吉祥です。


○中村元先生訳
264
悪をやめ、悪を離れ、
飲酒をつつしみ、
徳行をゆるがせにしないこと、
──これがこよなき幸せである。


○正田大観先生訳
267.(264) 
悪から遠く離れること、〔悪から〕離れ去ること、
さらには、〔人を〕酔わせる飲み物(酒)から自制すること、
かつまた、諸々の法(事物)にたいし〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)
――これが、最上の幸福です。(7)


○パーリ語原文
267.
アーラティー     ウィラティー    パーパー
‘‘Āratī         viratī        pāpā,
止める         離れる       悪から

マッジャパーナー   チャ    サンヤモー
majjapānā        ca      saṃyamo;
酒を飲むことから   そして   自制

アッパマードー    チャ     ダンメース
Appamādo        ca      dhammesu,
不放逸         そして    法において

エータン    マンガラムッタマン
etaṃ       maṅgalamuttamaṃ.
これが     最高の幸福


○一口メモ
今回の偈で述べられている幸福に関して、次の三項目が述べられます。
19.悪を止め、離れること。
20.飲酒を抑制すること。
21.教法について、不放逸でないこと。

番号の振り方にが、前々回、前回は間違えましたので、番号を訂正して再掲します。
前々回 11.母に孝行すること。12.父に孝行すること。13.妻子を愛護すること。14.混乱のない仕事をすること。前回 15.布施。16.法に適う行為。17.親族を愛護すること。18.非難されない行為。

では、19番の悪を止め、離れることについて考えてみます。日本テーラワーダ仏教協会訳では、単に「悪法から離れること、」となっていますが、パーリ語原文では二語で説明しています。中村先生も正田先生も「悪をやめ、悪を離れ、」「悪から遠く離れること、〔悪から〕離れ去ること、」というように訳されています。ブッダは本当に丁寧に、悪は一度止めるだけでなく、二度としないように強調しておられます。日本人はあるいは日本語があまりくどく書かない方がよいというような性格があるので、このような場合一言で「止めること」にする場合が多いのです。

それはともかくとして、ここで悪とは何を意味しているのでしょうか?次に飲酒を抑制するとありますから、19番と20番で五戒について述べられているように思います。注釈書にもそのように解説していますから、このように考えて間違いないでしょう。そうするとこの悪とは、①生きものを殺さないこと、②与えられてないものを取らないこと。③邪な行為(不倫)をしないこと、④嘘をつかないことになります。

これら①から④の内容は、生命に対する慈悲の心から生まれたものです。①から④を守れば生命に慈悲の心で接することができるのです。慈悲の心は宇宙の真理にそうことですから、これらを実践する人々は幸福であって、また幸福になるのです。

20番「飲酒を抑制すること」は五戒の五番目です。この項目を別にしてあるのは、飲酒自体は悪行為とは言えないのです。しかし、この項目が五戒に含まれ、ここにも特別に記載されている理由は、飲酒によって理性が抑制され、正しい判断が出来なくなる危険性が大きいのです。そうすると、①から④を実践できなくなるのです。ですから、ブッダはこの項目を五戒の中に含めておられるのです。

21番「教法について、不放逸でないこと。」は、20番の問題と関連しています。人間はお酒を飲まなくても、酔っ払っていると同じような状態であることが多いのです。そのような状態を放逸と言います。その時は、理性が働いていませんから、五戒の①から④を守れなくなってしまいます。そのようにならないように、いろいろな行動において不放逸であることが必要なのです。別の言葉で言えば、気付きを絶やさないようにすることが大切なのです。ブッダはいつも不放逸であることを奨励していました。不放逸であれば、五戒を守ることができるばかりでなく、智慧を養成することができ、涅槃への道を歩むことができるのです。ですから今回の偈で述べられた三項目も最高の幸福なのです。

①から④は初稿では①から②と誤記していましたので御注意お願いします。


悪いこと 酒を飲むこと 止めにして 自省があれば 最高の幸<264>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年11月08日 11:34
五戒は
束縛ではなく
解放です
欲望の縄が縛りつけ
生きる屍にするのです
想念の産物に
いつまで騙され続けるのか?
常に気付いていないと
だまされちゃいますね!

生きとし生けるものが幸せでありますように
SRKWブッダ
2014年09月23日 12:52
飲酒を抑制すること:

仏教では、基本的には飲酒を禁止していない。というのは、実は飲酒の場においてさえ(第一の)善知識(化身)が出現し得るからである。これは、人の発心に関わることがらである。もし、飲酒を完全に禁止してしまうならば、修行者が善知識出現に遭遇する機会の一つを奪ってしまうことになる。

事実、釈尊は酒席の後の惨状を見て出家の一つの機縁としている。また、私(=SRKWブッダ)は酒席の場で第一の善知識と遭遇し、発心した経緯がある。

もちろん、修行者が酒に酔いつぶれてしまうのでは話にならない。そこで、「飲酒を抑制すること」が説かれることになる。これは、仏教が微妙なる教えであることの一つの証左である。

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こころざし
2016年05月01日 14:51
昨夜実家に子供と泊まった時の夕食で、飲み物で梅酒が出されてました。おかわりは遠慮しましたが、すでにあった1杯は頂きました。「五戒を破ってしまった・・」と思いましたが、本文の「理性が抑制され、正しい判断が出来なくなる」とは無縁の状態でしたので、少し?安心しました。
勿論なし崩しでは意味がないと思いますので、自制の自覚を持って戒めて参りたいです。