バラモンは 家畜や財産 持たなかった 聖典読誦 宝と見なした<285>

○少年少女のためのスッタニパータ285.
・・・
昔の人格者は
お金や財産を持たずに
道徳を学び
清らかな生き方を
誇りにしていた。


スッタニパータ285. 第2 小さな章 7.バラモン法経 2.

○中村元先生訳
285
バラモンたちには家畜もなかったし、
黄金もなかったし、穀物もなかった。
しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし、
穀物ともなし、ブラフマンを倉として守っていた。


○正田大観先生訳
288.(285) 
〔過去の〕婆羅門たちに、家畜たちは存在しませんでした。
黄金なく、穀物なく、
〔聖典の〕誦詠を財産とし穀物とする者たちとして〔世に〕存し、
梵宝(心身における最高のあり方)を守りました。(2)


○パーリ語原文
287.
 ナ     パスー   ブラーフマナーナースウン
‘‘Na     pasū     brāhmaṇānāsuṃ,
ない     家畜は   バラモンに・あった

ナ   ヒランニャン    ナ    ダーニヤン
na    hiraññaṃ      na    dhāniyaṃ;
ない  黄金は       ない   穀物は

サッジャーヤダナダンニャースン
Sajjhāyadhanadhaññāsuṃ,
読誦を財産とし、穀物とした

ブラフマン   ニディマパーラユン
brahmaṃ     nidhimapālayuṃ.
崇高なものを  宝を・守った


○一口メモ
この偈でバラモンとは昔のバラモンのことです。ですからパーリ語原文の動詞はアオリスト(過去形)になっています。

彼は家畜や黄金や穀物、今で言えば財産に価値をおいていなかったのです。その代わりに、聖典を読むこと、これは聖典に書かれている梵天 (崇高なもの)の生き方を学び、そのような生き方をすることに誇りを持っていたのだとブッダは説かれました。

梵天 (崇高なもの)の生き方とは、既に学んだ「慈教」の9番目の偈に次のように説明されています。

「立っている時も、歩いている時も、坐っている時も、
あるいは横になっていても眠っていない限り、
この [慈悲の] 念をしっかり保つものである。
これが梵天 (崇高なもの) の生き方であると言われています。」
http://76263383.at.webry.info/201308/article_14.html


バラモンは 家畜や財産 持たなかった 聖典読誦 宝と見なした<285>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年12月01日 17:31
時間的空間的制約をはねのけた
恒久普遍の「宝」=「仏教聖典」。
時間的空間的制約をはねのけられるのは
宇宙の中心にある一つの点の様な
「心」でありますから
仏典を実践する事によって
「心」を「宝」、
すなわち
「慈悲の心」に育てることです。
全てを手放す努力をいたします。
慈悲の念をしっかり保つ努力をいたします。

生きとし生けるものが幸せでありますように
ごろた石てつや
2013年12月01日 20:57
私達仏教徒は、パーリ三蔵経を学び、実践し、理性と慈悲ある人格を育て、瞬間瞬間、苦の滅尽を実践して参ります。

Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
MK
2013年12月01日 23:52
在家でいる以上、お金は溜めなくてはいけません。ただ、何も考えずに働いていると、働く目的が徐々に稼ぐことだけに移行して行ってしまいます。
バラモンを見習って、在家として生きるのに必要な財を保ちながら、慈悲という本当の宝をしっかりと保てるよう努力します。
こころざし
2016年05月08日 07:35
本文の「(崇高なもの)の生き方を学び、そのような生き方をすることに誇りを持っていたのだ」の姿勢、是非自分も持ちたいです。欲を満たす事では心の安定は得られないと思います。
心が成長できるように、毎日の今を大切にしながら、慈悲の実践をして参りたいです。