いにしえの バラモンたちは 儀式でも 牛を殺して 犠牲にしない<295>

○少年少女のためのスッタニパータ295.
・・・
どんな小さな生きものも
死にたくないと思っています。
ですから殺さないように。
慈しみの心を持って下さい。


スッタニパータ295. 第2 小さな章 7.バラモン法経 12.

○中村元先生訳
295
米と臥具と衣服と
バターと油とを乞い、法に従って集め、
それによって祭祀をととのえ行った。
かれらは、祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。


○正田大観先生訳
298.(295) 
米、臥具、衣を、さらには、
酥(バター)と油を、〔人々に〕乞い求めて、法(真理)によって集めて、
そののち、祭祀を営みました。(12)


○パーリ語原文
297.
タンドゥラン    サヤナン   ワッタン
‘‘Taṇḍulaṃ    sayanaṃ    vatthaṃ,
米粒を       臥具を    衣服を       

サッピテーランチャ   ヤーチヤ
sappitelañca        yāciya;
バターと油        乞い求め

ダンマメーナ    サモーダーネートゥワー
Dhammena     samodhānetvā,
法によって     結びつけて

タトー    ヤンニャマカッパユン
tato      yaññamakappayuṃ.
それから   祭祀を営んだ(牛は殺さなかった)


○一口メモ
この偈は注意深く読まないと、中村元先生の訳にある「祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。」を読み取れないのです。何故ならパーリ語原文にはそのように書いてないからです。しかし、その点は重要なところなのです。

バラモンは祭祀を営むことが仕事です。それは今(ブッダの時代)も昔も変わりないのです。今のバラモンが祭祀を営む時は牛を犠牲のために殺すのです。しかし、この偈では、牛を乞い求めて集めるとは書いてありません。つまり、祭祀を営む時に牛を用意しないと言うことです。つまり、犠牲として牛は殺さないのです。

少し、細かいことを言えば、米は求めるが、生きた稲などのは集めないようです。また、バターは牛の乳から作りますから、殺すことにはなりません。牛乳は牛がくれる食べ物なのです。油とはゴマ油の類です。すなわち、生きものが殺さないということです。

彼らは何故殺さなかったか? 彼らは梵天の行ないに学ぶ梵行等の徳を備えていたからです。


いにしえの バラモンたちは 儀式でも 牛を殺して 犠牲にしない<295>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月14日(土)の夜の自主瞑想会は、都合によりお休みいたします。ご了承をお願いいたします。


◎12月28日(土)から1月3日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年12月11日 09:12
法(真理)によって
必要最低限の生活必需品を集める聖者の
「慈悲の心」は「無量」です。
何気ない、一つの行為からも
その「徳の高さ」が、うかがえます。
いにしえのバラモン様を見習います。

生きとし生けるものが幸せでありますように
MK
2013年12月11日 23:44
法に従って、殺生もせず、正しく仕事を行った。
現代に置いてもそれは理想だと思います。理想が現実になるよう、心を管理することに努めます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
ごろた石てつや
2013年12月11日 23:57
客観的に、観察し、事実を積み上げて、論理的に、思考すると、
牛を生贄にする事は、只、牛を殺したに過ぎず、何の力もない。
と理解できます。
こころざし
2016年05月12日 07:08
儀式に視覚的なインパクトを与える、との視点で考えますと、生贄みたいなものが登場するのかなと思いました。「神聖な」という表現で迷信的なものが遂行される?様な流れを感じます。血が流れるのも非現実的なシーンになりますように思います。そして理性を失わせて興奮させるようなノリもありますでしょうか。
生き物を殺さない姿勢、培って参りたいです。