昔から 人間たちは 生命を 殺してきたが バラモンがした<312>

○少年少女のためのスッタニパータ312.
・・・
皆がしているから、
自分もするのではなく、
善いことはして
悪いことはしないこと。


スッタニパータ312. 第2 小さな章 7.バラモン法経 29.

○中村元先生訳
312
このように(殺害の)武器を不法に下すということは、
昔から行われて、今に伝わったという。
何ら害のない(牛が)殺される。
祭祀を行う人は理法に背いているのである。


○正田大観先生訳
315.(312) 
この法(正義)ならざることが、
過去のこととして、諸々の棒(暴力)のなかの〔一つの〕現われとして、〔世に〕有りました。
汚れなき者たちが殺され、祭祀をする者たちは、
法(正義)から転落します。(29)


○パーリ語原文
314.
エーソー    アダンモー    ダンダーナン
‘‘Eso       adhammo     daṇḍānaṃ,
この       不法が      諸々の暴力のなかに

オッカントー    プラーノー    アフ
okkanto       purāṇo      ahu;
現れて       昔から      あった

アドゥースィカーヨー   ハンニャンティ
Adūsikāyo          haññanti,
汚れないもの       殺される         

ダンマー    ダンサンティ    ヤージャカ
dhammā     dhaṃsanti      yājakā.
法から     脱落する       祭祀をする者たちは


○一口メモ
正直に言うと、私はこの偈は何を言いたいのか分からなかったのです。
あまりにも、当たり前のことを言っているのに過ぎないのではないかと思ったのです。

人類が現れて、彼らは他の生命に暴力で殺されることもあったと思いますが、生きるために他の生命を何度も殺して来ただろうと思います。それは、自分たちの身を守るためもあったでしょうが、他の生命を殺して、それを食べ物にする場合があったと思います。そのことがこの偈の前半で述べられています。昔から行われていたことではありますが、他の生命を殺すという行為は不法だったのです。

しかし、この偈の後半で、何ら害のない(汚れなき者たち)牛たちが殺されることの不法さを改めて述べられています。しかも、それを人々のリーダーであるべき当時の知識人であるバラモンたちが先導して、牛を殺す祭祀を行うことの不法さを強調しているのです。バラモンたちは正義から転落して、没落の道を進み始めたのでした。


昔から 人間たちは 生命を 殺してきたが バラモンがした<312>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月28日(土)から1月3日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年12月26日 09:23
汚れ無き牛さんを
「獣」だと言って殺害するバラモン自身が
「獣の脳」にやられちゃって
獣化しています。
「三次元の渇愛」の餌食ですよ。

生きとし生けるものが幸せでありますように
鹿野苑の馬鹿凡
2013年12月26日 10:20
人は何故に生命を殺すのか? 
その理由は、殺して食べるために、相手が憎いから、相手が邪魔でうっとうしいから、お金になる仕事だから、兵士としての義務だから、犯罪者を罰するため、単に殺すのが楽しいから、相手に殺されそうになったので当方が生き残るために反撃して(つまり正当防衛)・・・等々、いろいろと考えられます。
が、その全ては貪・瞋・痴の煩悩に基づくものだと思います(基本は「怒り」だとされます。怒りとは正反対の、相手を慈しみ大切に思う気持ちがあれば決して殺すことなどできませんので)。

したがって、仏教的には、生命を殺すことは、その理由のいかんを問わず、絶対的に悪であり、例外的に許されるということもあり得ないことになります。(一般世間では異論があることでしょうが)
生命を殺すことは、死にたくないという本能を持つ生命に対して極限の苦しみを与える行為というべきですから、自ら墓穴を何億回(以上)も掘ることになる、というのが業論の帰結でしょう(半○の10倍返しなど、もってのほかです!)。

それにもかかわらず、昔から殺生はひたすら繰り返されている。清らかな暮らしをしていたバラモンでさえも・・・
ブッダが発見された本物の智慧に従って精進しなければ、誰でも、いつ何時、殺戮者に変身するかわからない、ということではないでしょうか。

皆様に智慧の光が輝きますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
MK
2013年12月26日 23:33
生きる為には何か生き物を食べなくてはなりません。スマナサーラ長老の本で「生きるという事はそもそもが残酷な事である」と書いてあったのを思い出します。
とはいえ、法を守るべきリーダー達が、法を破ってしまっては確かに本末転倒です。
僕は仏教徒なんだよと誰かに言いながら、五戒を犯したり慈悲を実践しなかったりしている様な物だと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように
てくてく
2013年12月27日 08:27
おはようございます。
今日の偈は、大変に難しく、ずっと洞察していました。
そして、自分は、このように受け取りました。

人間は、動くものと動かないものの違いが認識できます。さらに、生き物と生き物では無いものの違いも認識できます。そのような心の認識ができる生命には、”生き物を殺してはならない”という正しい法も認識できます。また、そのような生命は、生き物を殺して食べなくても充分に、心と体を養える智慧と能力が備わっています。だから、人間は、生き物を殺す必要はありません。人間が真摯に努力をして、人間に備わっている智慧と能力を存分に発揮するなら、人間だけでなく、たくさんの生命と共に喜べると、思いました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2016年05月17日 07:23
バラモンが殺生を勧めるような状況は、真理を教えて下さる立場から逸脱していると感じます。バラモンという表現が色々な意味になる流れが分るように思います。
殺生を戒めて参りたいです。