いにしえの バラモンたちは 害せない 真理によって 守られていた<288>

○少年少女のためのスッタニパータ288.
・・・
友達を差別しない子は
いじめられることが
有るかもしれないが
誰からもにくまれない。


スッタニパータ288. 第2 小さな章 7.バラモン法経 5.

○中村元先生訳
288
バラモンたちは法によって守られていたので、
かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。
かれらが家々の戸口に立つのを、
なんびとも決して妨げなかった。


○正田大観先生訳
291.(288) 
婆羅門たちは、不可侵の者たちとして、不可伐の者たちとして、
法(真理)に守護された者たちとして、〔世に〕存しました。
誰であれ、家々の戸口において、
全くもって、彼らを妨げませんでした。(5)


○パーリ語原文
290.
アワッジャー    ブラフマナー    アースン
‘‘Avajjhā       brāhmaṇā      āsuṃ,
不可侵で      バラモンたちは  あった

アジェッヤー     ダンマラッキター
ajeyyā          dhammarakkhitā;
勝ってはならない  法に守られていた

ナ    ネー    コーチ    ニワーレースィ
Na     ne     koci      nivāresi,
ない   彼らを  誰も      妨げる

クラドゥワーレース    サッバソー
kuladvāresu         sabbaso.
家の門において      まったく


○一口メモ
欲を捨て、慈悲のある昔のバラモンは、善行為をしているから、その結果として生活に苦労することがなかったことはその通りではあります。しかし、それ以上の意味があると思います。彼らは真理の実践者であるということです。真理とは実践でありますから、彼らは真理的存在だったのです。真理は何者も侵すことの出来ないものでありますから、昔のバラモン達を侵すことはできなかったのです。それを真理に守られていたというのです。

彼らを殺してはならないし、彼らに打ち勝ってはならないのです。また、誰も彼らに捧げた門口の奉納物を受け取ることに対して「それはいけない」などと妨げることを出来なかったのです。

このように、いろいろ昔のバラモンについて述べられていることは、今(その当時)のバラモンの行ないに対する批判があるのです。


いにしえの バラモンたちは 害せない 真理によって 守られていた<288>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月6日(金)及び12月14日(土)の夜の自主瞑想会は、都合によりお休みいたします。ご了承をお願いいたします。


◎12月28日(土)から1月3日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年12月04日 10:05
もたらされた結果は
全て自分の行為から生じたもの。
真理を実践すれば
真理によって守られる。
宇宙の法がありますものね。

生きとし生けるものが幸せでありますように
ななつ
2013年12月04日 12:41
私も真理によって守られるように、
日々慈しみを実践します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ごろた石てつや
2013年12月04日 20:19
生命の弱さを如実に露わにしております。
安住が生命に執着と自我を増幅させる。ということだと思います。
柿八年
2013年12月04日 20:39
sati サティ(自覚。意識)と訳したほうが
日本語としては意味が通じやすいと思うのですが、

「気づく」「気づき」と訳す方が多いですね。
日本語辞書によっても、気づくは違うのではないかと。

Mindfulness も気づきではなく、注意深く気を付ける
では無いでしょうか
MK
2013年12月04日 23:12
真理に従って正しく生きている人を目の前にしたと思うと、例えその人と性格が合わなかったとしても、害する気持ちにはならないと思います。非の打ち所無く、正しく生きる人を否定してしまっては自分が極悪人になった気分になるからです。
真理に守られるとはそういうことなのだと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年05月09日 08:35
真理に沿って生きれば、法に守られる印象を感じています。私的な解釈になりますが、そこで、自分の未熟さから、人を正したり、自分の固定概念を押し付けるような行為をしてしまうと、摩擦が出来るように思います。自分の心が汚れない・相手が怒らない・周囲も嬉しい様な、そんな生き方が出来るようになりたいです。