家を出て 欲望捨てた 修行者は いかに遍歴 すべきだろうか<359>

○少年少女のためのスッタニパータ359.
・・・
小学校を卒業して
中学生になった
生徒たちは
如何なる態度で
学ぶべきだろうか?


スッタニパータ359. 第2 小さな章 13.正しい遍歴遊行経 1.

○中村元先生訳
359
「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、
安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。
家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、
正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」


○正田大観先生訳
362.(359) 
〔化仏が尋ねた〕「多大なる知慧ある牟尼(ブッダ)に尋ねます。
〔激流を〕超え、彼岸に至り、完全なる涅槃に到達し、自己を安立した方に〔尋ねます〕。
家から出て、諸々の欲望〔の対象〕を除き去って〔そののち〕、
どのように、比丘として、彼は、世において、正しく遍歴遊行するのですか」〔と〕。(1)


○パーリ語原文
361.
プッチャーミ    ムニン    パフータパンニャン
‘‘Pucchāmi     muniṃ    pahūtapaññaṃ,
質問します     聖者に    智慧の多い

ティンナン   パーランガタン  パリニッブタン     ティタッタン
Tiṇṇaṃ      pāraṅgataṃ    parinibbutaṃ       ṭhitattaṃ;
超え       彼岸に至り    完全な涅槃に達した 自己を確立した

ニッカマンマ   ガラー  パヌッジャ  カーマ   カタン    ビック
Nikkhamma    gharā    panujja    kāme,    kathaṃ    bhikkhu
出て        家から  除去して  諸欲望を どのように  比丘として

サンマー   ソー    ローケー    パリッバジェッヤ
Sammā     so     loke        paribbajeyya’’.
正しく     彼は   世間で      遍歴遊行したらよいか


○一口メモ
今回から「正しい遍歴遊行経」が始まります。この経は別名大会経とも言われています。世尊が育ったカピラ城での大会の日に説かれたからです。その内容は「正しい遍歴遊行はいかにあるべきか」ということであります。

「古代インドのバラモンは人生の四時期の慣習を実行すべきであるとされている。それは実際問題として制度化されている。ところでこの四つの時期のうちで、最後の第四の時期、すなわち遍歴修行の時期が最も尊いとされていた。そこでゴータマ・ブッダはこの『遍歴』とはなにか、ということをここで論議し、その内容を倫理的なものに改めているのである。」と中村先生と解説しています。

古代インドのバラモンの人々の間では上記のような慣習はあったことを知った上で「正しい遍歴遊行経」を読むよいと思います。また、ブッダの説法は、ブッダの側から始めるものもありますが、質問に答えるという場合が多く、その方がよいとブッダはお考えだったように思います。今回も質問に答える形で説法をしたいとお考えだったのだと思います。しかし、適当な質問者が居なかったため、ブッダは神通力で自分の化身の質門者を作ったと注釈書には書かれています。このような形式の経はスッタニパータのなかにもいくつかあります。

今回の偈はブッダの化身の質門者が述べたものです。その質問にブッダは15の偈で答えます。そして最後のまた化身の質問者のまとめの偈があってこの「正しい遍歴遊行経」は終わります。

この偈の解説を簡単にします。前半の「聖者(牟尼)に尋ねますと述べます」の聖者とはブッダを指しています。ブッダは智慧が多く、「流れを渡り」とは煩悩の激流を克服して、「彼岸に達した」は涅槃に達して、「完全な安らぎを得て」は完全な涅槃の境地にいて、「こころ安住した」は、パーリ語直訳は「自己を安定させた」です。このような聖者(ブッダ)にお尋ねしますという意味になります。

この偈の後半は、人生の最終時期に達したバラモンたちが、家から出て、いろいろな欲望を捨てて、乞食修行者として、つまり食を得るための仕事をしないで、ただ布施だけで生きながら、「遍歴遊行する」とは、一定の場所に住むことなく、歩きながら修行することですが、それを正しく行うためには、どのようしたらよろしいでしょうか?とブッダに尋ねるという意味であります。


家を出て 欲望捨てた 修行者は いかに遍歴 すべきだろうか<359>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

こころざし
2016年06月01日 07:37
遍歴とは、一か所に留まらずに移動し、そして修行を進めていく意味があるでしょうか。定住せず人間関係に縛られず、自由に、自分の意志で修行を進めていく様子を想像致します。自由な分自分次第で容易に堕落する危険性もあると思います。
今後の偈が楽しみです。
kempsford
2016年12月23日 10:23
おはようございます。
「遍歴」から即座に想起するのは、お釈迦様が悟られた後の、「梵天勧請」です。「私が証得したこの理法は…」と、他人のために教えを説きたくないような気持ちが生じたとき、梵天が、「ああ、世は破滅する。尊師よ、世尊は教えをお説きください」と、説法を懇請して下さいました。その結果、ブッダの説法が始まり、その教えを、今の私が学ぶことができます。「paribbajati遍歴する」。感謝です。ご指導ありがとうございました。