修行者は 迷いの生活 超越し この世において 正遊行する<361>

○少年少女のためのスッタニパータ361.
・・・
欲望は人を支配している。
しかし、欲望を作ったのは人だ。
人が欲望の主人だ。
そうであるならば、
人は欲望を支配できるはずだ。


スッタニパータ361. 第2 小さな章 13.正遍歴遊行経 3.

○中村元先生訳
361
修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、
人間及び天界の諸々の享楽に対する
貪欲を慎しむならば、
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。


○正田大観先生訳
364.(361) 
比丘が、諸々の人間〔の欲望の対象〕にたいし、
さらには、また、諸々の天の欲望〔の対象〕にたいし、貪り〔の思い〕を取り除くなら、
〔迷いの〕生存を超え行って、法(真理)を行知して、
彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。(3)


○パーリ語原文
363.
ラーガン    ウィナイェータ    マーヌセース
‘‘Rāgaṃ    vinayetha       mānusesu,
貪欲を     慎むべし       人間における

ディッベース   カーメース    チャーピ    ビック
dibbesu       kāmesu      cāpi       bhikkhu;
神々における  欲望における  さらにまた   比丘は

アティッカンマ   バワン    サメッチャ     ダンマ
Atikkamma      bhavaṃ    samecca      dhammaṃ,
超え         生存を    知って       法を

サンナー   ソー   ローケー    パリッバジェッヤ
sammā     so     loke       paribbajeyya.
正しく     彼は   世に置いて  遍歴遊行するだろう


○一口メモ
人間における欲望とは感覚的欲望です。見たい、聞きたい、嗅ぎたい、味わいたい、触りたいなどです。これらの欲望を慎みなさい。これは感覚的な欲望に支配されてはいけないということです。人間は感覚の主人であるべきだから、感覚に支配されてはいけないということです。

神々における欲望とは、死後は神々として生まれ変わりたいということです。神々の世界といえども六道輪廻の一部です。天界は苦しみは少ないと言え、神々もいずれは死に、どこかに転生しなければならないのです。そのような世界を望むのではなく、輪廻からの解脱を目指しなさいと言われています。

「生存を超え(迷いの生活を超越し)」とは、三種の生存(欲界、色界、無色界)を超越してということで、すべての煩悩を捨てて、解脱し、阿羅漢になりなさいと言っているのです。

そのためには法(真理)を知る必要があるのです。具体的には四聖諦を知り、実践する必要がありますということです。

このように、説明して見ますと、この偈一つで仏教のすべてを学びなさい。そうすれは正しい遍歴遊行が出来るだろうと教えているように思います。


修行者は 迷いの生活 超越し この世において 正遊行する<361>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

noritarou
2014年02月17日 10:27
>欲望を慎む
湧きおこってくる欲望に対して静かな心でサティを入れる事が出来るときは、量子力学の実験結果でも明らかなように、それは清浄な透明な思いになって変化するように感じます。
しかし、これも日に数万回思考する中での数回の成功という絶望的な数字です。
そして、この実践は命が尽きるまで無限に続きます。

>煩悩を捨てる
これは、禅定に達することが出来るまでは、実感できないように思います。

仏道は果てしない道ですが、確実に幸福への道です。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
Ishii
2014年02月17日 12:55
先生、こんにちは。
自分で欲望を生み出しているのにその欲望に振り回されて右往左往していることが少し分かりました。理解できれば少しずつ実行に移せると思います。
ごろた石てつや
2014年02月17日 14:19
私は、修行者ではありませんが、
煩悩が産み続ける目の前の一つ一つの欲望から解放されるには、瞬間瞬間心の揺れを捨て、妄想を捨て続け、今現在やるべき目の前の事に集中する事でしか、苦から解放されていないような気がしています。

今は、これが精一杯の行動です。

在家である私には、身体を動かして一生懸命に行動する事も、思考を止めて欲望の妄想を捨てる良い方法の一つだと思っています。
そして、行動をラベリングした方が、より一層思考が止まりますね。
思考による妄想が苦ですから。

今は、これが精一杯の行動です。

とりあえす、今できる欲望に囚われない方法に専念してみます。
ななつ
2014年02月17日 21:42
「迷いの生存」という言葉の意味を、記事タイトルを見たときには「疑」の煩悩を抱えて生きることかと思いました。
でも、確かに、以前ワンギーサ先生がご解説下さったように「生存を越える」ことは「生死を乗り越える」ことですから、
「迷いの生存」は「何が真実なのか、何が幸せなのか、何が善悪なのかわからないままに、何度も何度も輪廻の世界を転生する」ことだと理解できました。
無明の中で、何度も転生するのは苦しいことです。
サティをとぎれさせると、途端に妄想が出てきます。これからまた、不放逸に励みます。

こころざし
2016年06月02日 10:17
普通に生きていたのでは、心は何も成長しないと思います。また自己啓発などで道徳的な生き方を学び実践しても、どんどん出てくる欲から根本的な心の成長にはなかなか繋がらないと思います。
ブッダの教えを実践し、そして解脱に至れるように、真剣に実践したいです。
kempsford
2016年12月23日 10:24
おはようございます。
「atikkamma bhavam 生存を乗り越える」。ここが大きな壁です。「生きていたい・死にたくない」とは、原始脳の指令です。そこから渇愛が生じます。それとの闘いに勝利しない限り、煩悩を消すことができません。「天国に生まれたい・極楽に行きたい」といったことさえ、渇愛であり、最も厄介な煩悩です。ここが、極楽や天国を最終目標に掲げる他宗教と、ブッダの教えの根本的な違いですね。ご指導ありがとうございました。