順逆の 思いをやめた 修行者は この世において 正遊行する<362>

○少年少女のためのスッタニパータ362.
・・・
食べ物において
好き嫌いを止めると
身体が成長する。
なにごとにも
好き嫌いをやめると
心が成長する。


スッタニパータ362. 第2 小さな章 13.正遍歴遊行経 4.

○中村元先生訳
362
修行者がかげぐちをやめ、
怒りと物惜しみとを捨てて、
順逆の念を離れるならば、
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。


○正田大観先生訳
365.(362) 
比丘が、諸々の中傷〔の言葉〕に背を向けて、
忿激と吝嗇〔の思い〕を捨棄するなら、
〔他者にたいする〕共感と反感(好き嫌いの感情)を捨棄した者であり、
彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。(4)


○パーリ語原文
364.
ウィピッティカトゥワーナ    ペースナーニ
‘‘Vipiṭṭhikatvāna         pesuṇāni,
背を向けて            中傷を

コーダン   カダリヤン   ジャヘッヤ    ビック
kodhaṃ    kadariyaṃ    jaheyya      bhikkhu;
怒りを    吝嗇を      捨てて      比丘が

アヌローダウィローダウィッパヒーノー
Anurodha・virodha・vippahīno,
順・逆の念を捨てた

サンマー   ソー    ローケー     パリッバジェッヤ
sammā     so      loke        paribbajeyya.
正しく     彼は    世において   遍歴遊行するだろう


○一口メモ
ブッダの指導はさらに具体的になりました。pesuṇāniはpesuṇaの複数形、中傷すること、二枚舌、仲たがいさせるような言葉を使うことです。言葉による悪行為は四つ(嘘をつくこと、二枚舌、乱暴な言葉、無駄話)ですが、この言葉で代表させているのではないかと思います。

次に激怒しないこと、もの惜しみをしないこと。もの惜しみは、欲の種類のようにも思えますが、アビダルマでは、自分のものが失うことを嫌うことで怒りの感情に分類しています。

「順・逆の念を捨てる」とは、従う気持ち、逆らう気持ちを捨てることです。別の言い方をすれば、好き嫌いをなくすことです。以前にも書きましたが、昔インドから中国に禅が達磨によって伝えられ、その三代目の僧璨(そうさん)という祖師は信心銘という本の中で「悟りに達するのが難しくない。ただ好き嫌いを捨てるだけだ。」と書いています。すなわち、「順・逆の念を捨てる」とは悟るということです。悟った比丘(修行者)は正しく世の中を遍歴遊行するということです。


順逆の 思いをやめた 修行者は この世において 正遊行する<362>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

noritarou
2014年02月18日 10:00
>好き嫌いを捨てること、概念(疑)を捨てること

これは、喜びに満たされつつ、好き嫌いから離れ、主客の対象を観察出来る状態だと思います。
我慢して好きや嫌いから離れるように意図し、感じないようにするのは、怒りにつながり、新たな貪瞋痴を作るだけであり、間の抜けた禁欲主義に陥ってしまう恐れがあると思います。

好悪も受容し、慈悲の気持ちを育んでくれる仏道に帰依します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
SRKWブッダ
2014年08月05日 00:00
順逆の念を離れることは、すなわち我執(我ありという思い)を捨て去ることと同義である。

また、(征服した)国を捨てた王のように振る舞うことであるとも表現される。

順逆の念を離れた人は、さらに超え難きこの情欲を超える。この情欲を超えたならば、心解脱したと認められ得る。これは、一つの覚りの境地である。

***
こころざし
2016年06月02日 10:21
職場で「嫌だな」と思う事を後回しにしたり、出来れば避けたりしても、結局は痛い目に遭う様な状況に陥る事があります。嫌な事は最初に「嫌がらずに」やる方が良い方向に行くと体験しています。
加えて、嫌いや好きの区別をしない方が、仕事ですし業務はやるしかないという点でも、問題が生じにくい流れに繋がると感じています。
エゴの感情に左右されず、好き・嫌いの意識を減らし、淡々と出来るようにしたいです。
kempsford
2016年12月23日 10:25
おはようございます。
「順・逆の念」について、間違った理解をしていました。私は、てっきり、それは「顛倒」のことだと考えていました。即ち、「無常なのに常住」と、また、「不浄なのに浄」と捉えてしまう愚かさが、「順・逆の念」であると誤解していたのです。でも、先生の解説のおかげで、その誤りに気付くことができました。「順・逆の念を捨てる」とは、「好き嫌いをなくすことです」。頭に叩き込んでおきます。ご指導ありがとうございました。