比丘らしい しぐさで行い 法知れば この世において 正遊行する<368>

○少年少女のためのスッタニパータ368.
・・・
中学生には
中学生らしい態度がある。
半分大人で半分子供だから、
それは責任と学びということ。


スッタニパータ368. 第2 小さな章 13.正遍歴遊行経 10.

○中村元先生訳
368
修行者が、自分に適当なことを知り、
世の中で何ものをも害うことなく、
如実に理法を知っているのであるならば、
かれは正しく世の中を遍歴するであろう。


○正田大観先生訳
371.(368) 
比丘が、自己にとって適切なことを知って、
しかして、世において、誰であれ、害さないなら、
真実なるままに法(事象)を知って、
彼は、世において、正しく遍歴遊行するであろう。(10)


○パーリ語原文
370.
サールッパン    アッタノー   ウィディトゥワー
‘‘Sāruppaṃ     attano      viditvā,
適切なことを    自分に     知って      

ノー   チャ    ビク      ヒンセッヤ      カンチ    ローケー
no     ca     bhikkhu    hiṃseyya        kañci    loke;
ない   また   比丘が    殺害(ない)ならば  何者も  世において

ヤター    タティヤン   ウィディトワー  ダンマ
Yathā     tathiyaṃ    viditvā       dhammaṃ,
ように    真実を     知って      法を

サンマー   ソー    ローケー    パリッバジェッヤ
sammā     so      loke       paribbajeyya.
正しく     彼は    世を      遍歴するだろう


○一口メモ
この偈の一行目「比丘が、自己にとって適切なことを知って」の「自己にとって適切なこと」とは何か具体的に理解した方がよいと思います。そこで、私は比丘が毎日唱えるべき経の中の「十法経」を思い出しました。その内容は比丘が取るべき態度について述べられているからです。この内容は比丘に必要なもので、在家の方にはすべて必要とは言えません。しかし、みなさんもこの経から学ぶ点もあると思いますので、以下に引用します。

 十法経
比丘たちよ、出家した者は、常に観察すべき法が十あります。その十は何ですか?
1.私の容姿は変わりましたと比丘は観察すべき。(頭を剃って、衣の姿になったこと。)
2.私の生活は他人に依存していると比丘は常に観察すべき。
3.(在家とちがった、出家に相応しい)変わった立ち振る舞いをすべきであると比丘は常に観察すべき。
4.私の良心が戒律をおかしていると訴えているかどうか比丘は常に観察すべき。
5.智慧のある修行仲間が戒律について私を批判しないかと比丘は常に観察すべき。
6.一切の自分の好きなものが離れて消えていくものだと比丘は常に観察すべき。
7.私は業により構成され、業を相続し、業により生まれ、業を親族として、業を依存して生きているものである。何か悪行為か善行為をしたらそれを私は相続しなければならないと比丘は常に観察すべき。
8.私は日夜どのように過ごしているのかと比丘は常に観察すべき。
9.私は出家生活に満足を感じているかと比丘は常に観察すべき。
10.私は人間の知識を乗り越えた、聖なる法といえる智慧の一つでも経験しているでしょうか、最期を迎え集まった修行仲間に訊かれた時、絶句しないようにと比丘は常に観察すべき。
 以上。

二行目「世の中で何ものをも害うことなく」で再度、生きものに危害を与えずに、生命を大切すべきことを教えています。

三行目「如実に理法を知っているのであるならば」の「法理」は何をさしているのでしょうか。如実には、ありのままにということですから、五蘊(身心の要素)及び十二処(知覚・認識の領域)についての法則であると考えられます。或は365偈の「法」と同じように四聖諦と考えても大きな違いはないと思います。いずれにせよ、ブッダの教えをよく知ってということです。

このような比丘(出家修行者)は、「正しく世の中を遍歴するであろう」ということです。


比丘らしい しぐさで行い 法知れば この世において 正遊行する<368>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

みき
2014年02月24日 07:21
十法経は、在家者の生活にも、当てはめて考えられることができます。例えば、2の「私の生活は他人に依存していると確認すること」などです。

今朝は車通勤で会社に来ましたが、その行動だけでも、多くの他人に依存していると気付くことができます。

毎朝、鏡をみて、洗顔をしますが、顔が毎日違うことに気付くように、日夜の過ごし方を観察することも大切なことだと思います

このような、お経を教えていただき有難うございました。
ハマちゅー
2014年02月24日 14:31
みきさんに私も同感です。2の「私の生活は他人に依存していると確認すること」は大事だと思いました。
つい当たり前のことに感謝することを忘れてしまいます。
忘れないで置きたいと思い、コメントしました。
いつも役に立つ法話ありがとうございます。
こころざし
2016年06月04日 06:39
十法経を拝見し、怠けている暇はないと感じました。自分の生き方が十法経から反していないか、観察し戒めて、道を外れる事が少ないように注意したいです。
kempsford
2016年12月23日 10:29
おはようございます。
「自分にとって適切なことを知って」の語句から、ついつい勝手に、「私向けの意訳」をしたくなります。私にとって、適切な教えとは何か?それは、「暴飲暴食は貪欲である。瞋恚は猛毒である。因果法則をないがしろにするのは、無智である。だから、戒めねばならぬ」。「Saruppam attano viditva自分にとって適切なことを知って…saruppa適当の/attan我/vindati知る」。私個人の解釈です。ご指導ありがとうございました。