論争を 好むバラモンは ブッダから 何かを得ようと 望んでいるのだ<382>

○少年少女のためのスッタニパータ382.
・・・
いろいろ言ってくる人は
あなたに関心があるのです。
相手を嫌がらずに、
話しを聞いてあげて下さい。


スッタニパータ382. 第2 小さな章 14.ダンミカ経 7.

○中村元先生訳
382
論争を習いとするいかなるバラモンでも、
老年であろうとも、あるいは(中年、あるしは青年の)バラモンであろうとも、
またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも、
すべてあなたから<ためになることがら>を得ようと望んでいるのです。


○正田大観先生訳
385.(382) 
彼らが誰であれ、これらの論〔争〕を戒とする婆羅門たちは、
さらには、また、〔世に〕存する年長の婆羅門たちも、誰であれ、
あなたにたいしては、〔彼らの〕全てが、義(目的)に縛られた者(他者に問い尋ねる者)たちとして〔世に〕有ります。
さらには、また、それらの〔自らを〕論者と思いなしている他の者たちも。(7)


○パーリ語原文
384.
イエー    ケーチメー      ブラーフマナー    ワーダスィーラー
‘‘Ye      kecime         brāhmaṇā       vādasīlā,
彼らが   誰であれ・これらの  バラモンたちは   論争を習いとする

ウッダー   チャーピ    ブラーフマナー   サンティ   ケーチ
vuddhā     cāpi       brāhmaṇā       santi      keci;
年長の    更にまた   バラモンたちが    いる      誰であれ

サッベー    タイ        アッタバッダー    バワンティ
Sabbe      tayi         atthabaddhā      bhavanti,
一切が    あなたに対する  関心に結びついて いる 

イェー    チャーピ    アンニェー  ワーディノー    マンニャマナー
ye       cāpi       aññe       vādino        maññamānā.
彼らは   更にまた    他の人達    論客と       自負している


○一口メモ
ブッダがおられた当時のインドでは、論争を好む人々は思想家ばかりではありませんでした。多くのバラモンたちは論争に生きがいを感じていたのでしょうか。歳をとった長老はもちろん、中年や青年も同じでした。この傾向は昔だけでなく現在のインドでも同じようです。日本人はあまり論争を得意としていませんので、あまり論争は好みませんが、インド人は日本人より論争が上手なようです。それは余談です。

この偈の後半「またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも、すべてあなたから<ためになることがら>を得ようと望んでいるのです。」の意味は、当時のインドの論客たちの意識には常に、ブッダとの関係が重要だったということです。

すなわち、ブッダとの論争で勝つか、負けるかとは重要でしたが、それ以上にブッダとの論争で何かを学びたいと思っているのだと、ダンミカさんは思っていたのです。つまり、そのようなブッダだったから、彼は質問するのです。是非お答えくださいとお願いしているのです。

この偈の説明としては以上ですが、思考については正しく考えておく必要があります。ブッダは八正道の二番目に正思(正思惟)入れています。これは正しい思考です。正しく考えることは必要なことなのです。思考すると智慧は生まれませんが、智慧がない時は、正しく考えることで、正しく行動する必要があるのです。

しかし、正しく考えないと、不幸になることを知っておくべきなのです。私たちの日常生活の中で思考は私たちの道具であるべきですが、多くの場合、思考は私たちを支配しているという現状があるのです。私たちはその現状に気づいてなく、思考に支配されて、悩み苦しんでいるのです。そのことに気づいて、私たちは思考の主人であることを思い出して下さい。そして、今ある思考に執着しないで、他の思考も作り、それらの中から適当な思考を選択してください。それが思考から自由になることです。


論争を 好むバラモンも ブッダから 何かを得ようと 望んでいるのだ<382>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月20日(木)から3月26日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

noritarou
2014年03月10日 10:15
「得ようとする」ということではないのですね。

>義(目的)に縛られた者
と素晴らしい訳があるように、目的思考に縛られること、コントロールしようとすること、は、ワンギーサ先生の仰るように、智慧からかけ離れてしまいます。

>思考すると智慧は生まれませんが、智慧がない時は、正しく考えることで、正しく行動する必要があるのです。

先人は、「正しく」考える事が凡夫には出来ないので、お経のようなテキストを遺してくれたのだと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
みき
2014年03月10日 11:49
毎日、有難うございます。
論争をしたくなる時もありますが、そこは、あえてしないほうが良いときもありますね。

苦手な人からこそ、逃げずに何かを学ばせていただくつもりで、接することが大切に思います。
こころざし
2016年06月09日 07:29
これまでの人生で、思考に支配され今が疎かになり、色々な意味で不安定になった事があります。また何かを仕向けてくる方は、色々施行させて冷静さを失わせて、そして誘導するような姿勢があると感じた事があります。
思考に支配されるような状況ではなく、智慧が生まれる様な流れに出来るようにしたいです。