比丘たちよ 時ならぬ時 出歩くな 煩悩減らずに 執着増える<386>

○少年少女のためのスッタニパータ386.
・・・
少年少女は遊ぶべき。
時間以外は勉強するな。
しかし、勉強時間は勉強すべき。


スッタニパータ386. 第2 小さな章 14.ダンミカ経 11.

○中村元先生訳
386
修行者は時ならぬのに歩き廻るな。
定められたときに、托鉢のために村に行け。
時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。
それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。


○正田大観先生訳
389.(386) 
比丘は、まさに、時ならざる〔時〕(午後)に、〔村を〕渡り歩くことがないように。
しかして、〔正しい〕時(午前中)に、〔行乞の〕食のために村を歩むように。
なぜなら、〔正しい〕時に歩まない者に、諸々の執着〔の思い〕がつきまとうからです。
それゆえに、覚者たちは、時ならざる〔時〕には〔村を〕歩まないのです。(11)


○パーリ語原文
388.
ノー    ウェー     ウィカーレー    ウィチャレッヤ    ビック
‘‘No    ve       vikāle        vicareyya       bhikkhu,
な    まさに     時ならぬ時に   歩き廻るように    比丘は

ガーメー    チャ   ピンダーヤ    チャレッヤ    カーレー
gāme      ca     piṇḍāya       careyya     kāle;
村を      また   食のために    歩くように    時に

アカーラチャーリンヒ    サジャンティ    サンガー
Akālacāriñhi         sajanti        saṅgā,
時ならぬ時に歩く者に   付きまとう     執着が

タスマー    ウィカーレー    ナ    チャンティ    ブッダー
tasmā      vikāle        na    caranti      buddhā.
だから     時ならぬ時に   ない  歩く        諸仏は


○一口メモ
仏教についてよく知らない方々は、「時ならぬ時」の意味がよく分からないと思いますので、ここから説明します。

「時ならぬ時」とは、それにふさわしくない時という意味です。ふさわしくない時とはどのような時なのでしょうか? 比丘が村を歩き廻る主な目的は、主に托鉢(食事の布施を頂くこと)のためです。戒律で比丘は正午前に食事をするように決められていますから、托鉢は午前中にしなければならないのです。しかし、この偈で語られていた時はまだそのような戒律はできていなかったようです。そうする、戒律に違反するからという理由ではなく、午後には托鉢をせず、午前中に托鉢することが比丘にふさわしい時間だと考えられていたようですね。その理由はあとでのべます。

托鉢の時間の意味する所は、食事の時間なのです。比丘は正午前に食事をすることになっています。午後は飲みものは許されていますが、固形の食べものはとりません。何故この戒律が必要なのかこの戒律を守ってみるとその意味がよく分かるのです。

私が比丘として出家して、生活上で一番大きな変化は食事の時間です。正午以後には食事をしないのです。これが出来るかどうか心配で出家する前に、午後の食事をしないことを試みました。それで分かったことがあります。食事に関することが自分の考えの多くの部分を占めているということです。朝、昼、晩と私たちは食事をとります。そのために、それぞれの食事に関して何を食べようか考えて、食事の準備をして、食べてみると美味しかった、まずかったなど考え、食事の後かたづけをします。それが一日三回あります。その間に間食をする人もいます。例えば、昼食が終わって、仕事の調子が上がってきても、仕事が終わる時間が近づいてくると、今日の夕食は何処で何を食べようかなど考え始めます。帰るしたくを始めます。夕食の準備をし、食べて、片づけるというように、食事のために、一日が分断だれ、多くの時間が費やされることになっているのです。食事の支度をする主婦にとっては男性以上に食事に関することで、自分のしたいことの邪魔をされていると思います。

しかし、食事を正午で終わりますと、正午からの時間は食事に関する思考に中断されない、就寝までの時間が広大な空間のように広がるのです。修行をしたい人には、食事に邪魔されずに、修行できるのです。というわけで、比丘が食事を正午以後には取らないことは、修行に集中するために大変重要なことなのです。

しかし、以上は一般的に言えることですが、更に高い立場で食事の問題をとらえ、食事を修行として取り組むこともできるということも述べておかなければなりません。

また、比丘が村らを歩くのは、托鉢以外の理由があります。例えば、在家の人のところに雑談をしに行くなどです。このように時ならぬ時に村を歩くと、在家に執着するなどの煩悩が付きまとうということです。そのような理由で解くならぬ時に村を歩き廻らないようにと、ブッダは比丘たちに注意したのです。


比丘たちよ 時ならぬ時 出歩くな 煩悩減らずに 執着増える<386>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月20日(木)から3月26日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

ななつ
2014年03月14日 22:48
食事についてのお話をありがとうございました。
確かに、食事を一日一度しか食べなくてすむのなら、どんなに楽でしょう。
私も試しに実践してみようと思います。
こころざし
2016年06月10日 08:15
私事ですが我が家は共働きです。仕事休みで修行が出来るはず・・と思っても、自身の昼食の対応をし、その後夕食で食事を作る内容を考え・買い物に行き・下ごしらえをして・調理し、その間に子供が学校から帰り・・と、それで午後半日が過ぎる印象があります。そして夕食・片づけ、翌日のご飯の準備・・と続きますので、夜までくい込んでくるのが実際かと思います。この状態を何とかして、もっと修行できるようにしたいなと模索中です。
心がけを持つのと共に、時間を設けれるように努めたいです。