托鉢の 食を終われば 瞑想し 意識を内に 外に向けるな<388>

○少年少女のためのスッタニパータ388.
・・・
君たちは5分間、
眼を閉じて、
黙って、動かずに、
座れるだろうか。


スッタニパータ388. 第2 小さな章 14.ダンミカ経 13.

○中村元先生訳
388
そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、
ひとり退いて、ひそかに坐れよ。
自己を制して、内に顧みて思い、
こころを外に放ってはならぬ。


○正田大観先生訳
391.(388) 
しかして、比丘は、〔行乞の〕食を〔正しい〕時に得て、
独り、静所に戻って、坐すように。
内に思念ある者は、自己を制御した状態となり、
意を外に放たないように。(13)


○パーリ語原文
390.
ピンダンチャ      ビック     サマイェーナ    ラッダー
‘‘Piṇḍañca       bhikkhu    samayena      laddhā,
托鉢食を・そして   比丘は    適時に        得て

エコー    パティッカンマ   ラホー    ニスィーデー
eko      paṭikkamma     raho     nisīde;
一人     戻って       静所に   座るがよい

アッジャッタチンティー  ナ    マノー   バヒッダー
Ajjhattacintī        na    mano    bahiddhā,
内に念を向けて     ない   意が    外に  

ニッチャーライェー       サンガヒタッタバーウォー
nicchāraye           saṅgahitattabhāvo.
出て行か(ない)ように    自己を制して


○一口メモ
比丘は午前中に、托鉢を終え、午前中に食事を終えます。そうするとあとは修行するだけです。修行は、一人で静かな所で瞑想するのです。瞑想の仕方が三行目、四行目で述べられています。

それを直訳すると、「内に念を向けて、意(心)が外に出て行かないように、自己を制して(瞑想しなさい)」となります。これはヴィパッサナー瞑想です。ですから、説明は不要かもしれませんが、初心者のために、少し説明しておきましょう。

「内に念を向けて」の内とは自分自身ということです。ですから、これは「自分自身に注意(意識)を向けて」という意味になります。

「意(心)が外に出て行かないように」の「外」とは意(心)の対象です。すなわち、眼に関して言えば、見ている自分自身は内で、見る対象は色とか形です。聞くことに関して言えば、聞いている自分自身は内で、音は聞く対象です。

まとめて言えば、「内に念を向けて、意(心)が外に出て行かないように」は、「自分自身に意識を向けて、意識が観察対象に行かないように」ということになります。

もっと具体的に言えば、見ているときは、見ているものに注目するのではなく、見ている私がいると観察するのです。聞いている私がいる。或は、寒いと感じている私がいると観察するのです。

「自己を制して」とは、「五感を制して」ということです。これは意(心)が外に出て行かないようにするために、必要なことなどです。見る、聞く、匂う、味わう、触るなどの五感が働くと、欲や怒りが現れ、五感の対象に意識が向いてしまうのです。ですから、五感を制することにより、意識を内に向けること、すなわち意識を自分自身に向けることが出来るのです。またこれは逆の働きもあります。意識を内に向けることにより、五感を制することができるということです。ですから、ヴィパッサナー瞑想を行うことで、五感の働きを制して、心が清らかになるのです。これにより集中力が現れ、禅定にも至ります。更に、この実践過程で智慧が養成されるのです。


托鉢の 食を終われば 瞑想し 意識を内に 外に向けるな<388>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月20日(木)から3月26日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

みき
2014年03月16日 08:57
おはようございます。理解し易い説明有難うございます。
ヴィパッサナー瞑想を続けて、5感を内に向けていくよう努力します。
noritarou
2014年03月16日 12:11
人間の観察により結果が変わる、と量子力学で科学的に証明されているように、人間がもつ意識の力、瞑想の力には、私たちが考えている以上に強力な作用があるようです。
今回の詩も、死が確実なこの無常の世界で、見る事・感じる事を観察している、この、生きて(生かされて)幸福を感じている不思議な自分とは何か?という尊い心に気付かせてくれます。有難いことです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ゆみ
2014年03月16日 16:27
「内に念を向けて」の
分かりやすい説明ありがとうございます!

なるほど~そういう事だったのですね!
なぜ沢山、長老の本を読んでいるのに、
このポイントがわからなかったのか…。

今日はとっても嬉しいです!
こころざし
2016年06月11日 19:32
1時間の座る冥想をしている時等、内に向けていたものが外に変わっている時があります、妄想・煩悩が出ている時だと思います。注意してその状態に気が付いて・止めないと、その状態が暫く続きかねません。
早期に気が付いて止めれるように、内をしっかり観れる様に精進したいです。