執着が 存在しない 如来こそ 供養の菓子を 受ける価値ある<473>

○少年少女のためのスッタニパータ473.
・・・
どんなことにも
執着がない人は
どんな人だろう。
空気のような人かな。


第3 大きな章 4.献菓経(スンダリカ・バーラドヴァージャ経)19.

○中村元先生訳
473
執著を超えていて、執著をもたず、
慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく、
畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている
<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。


○正田大観先生訳
478.(473) 
彼に、諸々の執着〔の思い〕が存在しないなら、執着を超え行く者であり
――彼が、〔我想の〕思量ある有情たちのなかにいながら、〔我想の〕思量なき有情であるなら
――田畑や地所(苦しみの原因)と共に、〔世の〕苦しみを遍く知って、
如来として、献菓〔を受ける〕に値します。(21)


○パーリ語原文
477.
サンガーティゴー    ヤッサ    ナ    サンティ   サンガー
‘‘Saṅgātigo        yassa    na     santi      saṅgā,
執着を越えて       彼に    ない   存在し     執着は

ヨー    マーナサッテース      アマーナサットー
yo     mānasattesu         amānasatto;
彼が   慢心のある人々の中で  慢心がなく

ドゥッカン   パリンニャヤ    サケッタワットゥン
Dukkhaṃ    pariññāya      sakhettavatthuṃ,
苦を      遍く知って      田畑にともなう

タターガトー    アラハティ    プーララーサン
tathāgato      arahati      pūraḷāsaṃ.
如来は       値する      献菓


○一口メモ
「執着がないこと」について少し考えてみましょう。執着するのは心です。執着がないとは心が執着しないことです。心が執着しなければ、心は完全に自由です。凡夫の心は自分の心がする執着によって自由が奪われているのです。完全に自由な心は解脱していると言われるのです。執着がないとは煩悩がないことです。煩悩がないとは涅槃です。ですから執着がないとは涅槃です。

慢心は他と比べる心です。心は他と比べることによって、評価します。評価はその人の価値観を基準にしています。そして多くの人々は自分の価値観に執着せているのです。自分の価値観への執着から悩み苦しみが生まれます。ですから慢心から悩み苦しみが生まれます。

すべての凡夫は慢心があります。しかし、そのような凡夫の中にいて如来は阿羅漢でありますから、煩悩はありません。もちろん慢心はありません。

田や畑はそれを所有すると、それに苦労があります。それを有効に活用したいとか、それを取られたくないとか、減らしたくないとはという思いが現れ、それが悩みや苦労の原因になります。そのようなことがありますから、田畑は業と煩悩の象徴として表現されます。如来はそれらをよく知りつくしているのです。ですから田畑には執着しないのです。どのようなことにも執着しないのです。


執着が 存在しない 如来こそ 供養の菓子を 受ける価値ある<473>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎5月30日(金)から6月5日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが関西ウェーサーカ祭及び熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

Ishi
2014年05月31日 07:54
 先生、おはようございます。毎日の更新とご説明ありがとうございます。
 気づきで念じて心の執着が消えて離れたほんの一瞬でも煩悩がなくなったということは涅槃に近ついたと理解してよろしいのでしょうか。ただまたすぐに他の執着が生まれて煩悩に入ってしまうとも思っています。
ワンギーサ
2014年05月31日 08:02
Ishiさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。

質問にお答えします。

質問:気づきで念じて心の執着が消えて離れたほんの一瞬でも煩悩がなくなったということは涅槃に近ついたと理解してよろしいのでしょうか。

解答:そのように考えてよいと思います。
Ishi
2014年05月31日 18:08
 先生、解答ありがとうございます。毎日30分を目標に瞑想をすすめます。
こころざし
2016年07月06日 20:35
執着しない様にしたいと心から思っています。ですが、今日の事ですが、仕事から帰宅した後、音がするので玄関近くにいくと、隣のお爺さんがホースで水を、我が家の窓の方にかってかけているのと目が合うような状態になりました。以前除草剤を撒かれたと思われる状態になった事もあります。怒ってはいけないと思いながら、ネットでそれが犯罪か?等を延々と検索する・・ような頂けない自分がいました。執着していますよね。
その方は恐らく80歳位と思います。私は高齢者福祉の仕事をしている者ですし、ブッダの智慧で乗り切り・そして智慧もつけて参りたいです。