釈尊は マーガに答えた 施しに ふさわしい方に 布施すればよい488>

○少年少女のためのスッタニパータ<488>
・・・
雑草がなく、よく耕された畑に
種をまけば作物はよく実る
そのように心の汚れを取り除き、
心を育てた人に、お布施をすれば、
大きな功徳がありますよ。


第3 大きな章 5.マーガ経 2.

○中村元先生訳
488
尊い師は答えた、
「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主、
福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が、
この世で他人に飲食物を与えるならば、
まさに施与を受けるにふさわしい人々とともに目的を達成することになるであろう。」


○正田大観先生訳
493.(488) かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「マーガさん、すなわち、乞いに応じる施主たる在家者が、
功徳を義(目的)に祭祀をするとして
――功徳を期す者が、この〔世において〕、食べ物と飲み物を、他者たちに施しながら〔祭祀をするとして〕
――そのような者は、施与されるべき者たちによって、〔目的を〕達成するでしょう(供養するにふさわしい者に施すことで、捧げものは清まる)」〔と〕。(2)


○パーリ語原文
492.
ヨー       ヤーチャヨーゴー  ダーナパティ   ガハットー
‘‘Yo       yācayogo       dānapati      gahaṭṭho,
その人が    乞いに応じる    施主が      在家の

マーガーティ   バガワー
(māghāti      bhagavā)
マーガよと    世尊は

プンニャペッコー   アジャティ    プンニャペッコー
Puññatthiko      yajati        puññapekkho;
福徳を求め      供養する     福徳を期待して

ダダン   パレーサン    イダ     アンナパーナン
Dadaṃ    paresaṃ      idha     annapānaṃ,
与えるなら 他の人々に   ここに   食物と飲物を

アーラーダイェー    ダッキネッヤービ         ターディ
ārādhaye         dakkhiṇeyyebhi          tādi’’.
成就するだろう     供養に値する人達によって  そのような(施主は)・と


○一口メモ
昨日の偈でマーガ学徒は世尊に「何者にささげた供物が清らかとなるのでしょうか。」(中村先生訳)あるいは「祭祀をしている者の捧げものは、どのようにして、清まるのですか」(正田先生訳)と尋ねました。それに対して世尊は「施与を受けるにふさわしい人々とともに目的を達成することになるであろう。」(中村先生訳)、「施与されるべき者たちによって、〔目的を〕達成するでしょう(供養するにふさわしい者に施すことで、捧げものは清まる)」(正田先生訳)と答えました。

つまり、その答えは、「供養(布施)するにふさわしい者に、供養すれば供養(布施)は成功するということです。では何故、供養するにふさわしい者に供養すれば供養は成功するのでしょうか? その点について考えてみましょう。

その問題を解決するダンマパダの偈を紹介します。356偈の記事にその理由を述べてあります。
356 田畑の 雑草のような 貪欲の ない人にこそ 施しをせよ
357 田畑の 雑草のような 怒ることの ない人にこそ 施しをせよ
358 田畑の 雑草のような 愚かさの ない人にこそ 施しをせよ
359 田畑の 雑草のような 願望の ない人にこそ 施しをせよ
356 http://76263383.at.webry.info/201301/article_17.html
357 http://76263383.at.webry.info/201301/article_19.html
358 http://76263383.at.webry.info/201301/article_21.html
359 http://76263383.at.webry.info/201301/article_22.html

すなわち、供養する対象者を田畑に例えて見ると分かりやすいのです。作物の種を雑草で覆われた田畑に種もまいても作物は大きく実りません。しかし、雑草のない田畑に作物の種をまけば、作物は大きな実りをもたらします。そのように、煩悩で汚れてない人、この場合は供養するにふさわしい人ですが、その人に供養(布施)すれは大きな功徳があるというのです。

マーガ学徒は世尊のこの答えを聞いた時点ではまだ、どのような者が供養にふさわしい者であるのか理解しておりません。明日の偈でマーガ学徒がその点を世尊に尋ねることになるのです。


釈尊は マーガに答えた 施しに ふさわしい方に 布施すればよい488>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

みき
2014年06月13日 18:48
こんばんは、ワンギーサ先生。
お布施するにも考えてしなくてはいけないということですね。折角のお布施を犯罪やいけない遊びに使われてはたまりません。
そして、できる範囲でよいということだと思います。
こころざし
2016年07月10日 07:08
雑草はすぐにはびこるので、丁寧に除草していかないといけません。そのような意味で雑草の生えていない畑は、心が成長している聖者の様子を表していると感じました。
余談ですが、畑の手入れをしています。日々草は伸びるので、定期的な管理が不可欠です。除草剤は使いませんが、心もこのように管理できるように実践して参りたいです。